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しおりを挟むルシアナ・ハーバーさんとは、アーヴィング様が以前まで婚約していた方だ。
お互い、家の事情で婚約したと言っていた。
政略的な意味合いでの婚約だった為、お互いに恋焦がれるような熱情がある訳でも無く、ただただ家の為に婚約後は結婚するのだろう、とアーヴィング様は思っていた、と以前お話して下さった。
お互いに愛情が無いからと、アーヴィング様は私と出会い、惹かれ、私を想って下さった時にルシアナさんと婚約の解消をして下さった。
お互い、特別な感情は抱いていないから、と。安心して欲しい、とアーヴィング様が仰って……。
けれど、今目の前に居るアーヴィング様は、確かにルシアナさんを求め、名を読んでいる。
「──ルシアナは、居ないのか……? 何故……。それにこのご令嬢は一体誰なんだ?」
「ア、アーヴィング様……」
訝しげに眉を顰め、視線を向けられて私は思わずアーヴィング様を呼んでしまった。
そうしたら、アーヴィング様は不快感を顕にして、この邸の家令の名を大声で呼んだ。
「シヴァン……! シヴァン!」
アーヴィング様の声に、扉の外に控えていた家令──シヴァンさんが慌てた様子で室内に入ってくる。
シヴァンさんは、アーヴィング様の表情と、私の顔を交互に見て何かあったのだろうか、と戸惑いながら唇を開いた。
「ど、どうされました旦那様? 何を慌てておいでで?」
「シヴァン。ルシアナは何処に……? それに、このご令嬢は一体誰だ? 何故私の名前を馴れ馴れしく呼び、私の寝室に居る?」
ぴしゃり、とアーヴィング様から冷たい声音でそう言われたシヴァンさんは、信じられない者を見るように瞳を見開き、アーヴィング様に悲鳴じみた声を上げた。
「奥様をお忘れですか……!? それに、ルシアナ嬢とはベル奥様と婚約を結ぶ際に旦那様が婚約を解消されたではないですか!!」
「──なに?」
シヴァンさんの言葉に、アーヴィング様が驚きに目を見開き、信じられないと言うような表情を浮かべる。
「──何故、私がルシアナと婚約を解消して、その令嬢と……奥様……? まさか、私はそこの令嬢と結婚をしたのか……!?」
「ええ、そうです! 旦那様が愛して止まない奥様ですよ、ベル奥様を何故そのような他人行儀な……っ」
シヴァンさんの言葉に、再びアーヴィング様から視線を向けられて、私はびくりと小さく体を跳ねさせた。
また、あのような冷たい視線で見られてしまう、と私が俯くと、アーヴィング様は唖然としたような口調で小さくぽつりと呟いた。
「何故、私はそんな血迷った事を仕出かしたんだ……」
アーヴィング様はそう零すと、シヴァンさんにも、私にも視線を向ける事無くただ一言「出て行ってくれ」と呟くとそのまま再びベッドに横になってしまう。
シヴァンさんは尚もアーヴィング様に何か言葉を掛けていたが、私はじわじわと滲んで来る視界にこれ以上この部屋に居ては泣き出してしまう、と思い焦ってアーヴィング様の部屋から出て行く。
──何故、アーヴィング様はルシアナさんの名前を愛しげに呼んだのか。
あの夜会の後、次の夜会で会って、アーヴィング様から想いを告げられて、婚約を申し込まれた時に説明をしてくれた事は全て嘘だったのだろうか。
政略的な婚約で、ルシアナさんの事は何とも思っていないと言っていたのに。そして、ルシアナさんもアーヴィング様には何の感情も抱いていない、と言っていたのに。
お互い、納得してあっさりと婚約の解消は済んだから、と言っていたのに。
「──アーヴィング様……アーヴィング様……」
私はアーヴィング様の部屋を出た後、よろよろと歩き廊下の壁に手を着くと、その場に蹲るようにして咽び泣いた。
何が、どうなっているのか全く分からない。
確かに、今日──夜会に行く前まではアーヴィング様に愛されていたのに。
あの夜会で突然意識を失ったアーヴィング様が目が覚めた時、何故か私の事を忘れて愛する人が他の女性を求めている。
そうして私は、瞳から涙を零しながらアーヴィング様と普段から共に使用していた夫婦の寝室から離れ、一人で自室へと戻って行った。
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