8 / 39
第八話
しおりを挟むこの国では、女性から顔合わせの約束を断られると、基本的にその女性との縁は切れてしまう。
その為、顔合わせが上手くいかなかった両者は今後縁が結ばれることは二度とない。
クライヴは、あの後どうやって自分の邸に戻ってきたのか記憶になかった。
自室で呆然と立ち竦み、何も無い空間をただただ見つめている。
クライヴの侍従は気まずそうにただ黙って扉の前で控えていた。
自分の主人であるクライヴと、意中の女性であるクランディア嬢から少し離れた場所で待機していた侍従は、この二人の間で何が起きたのかある程度あの場所の雰囲気から察していた。
あの場所で、クランディア嬢が立ち去ってからも茫然自失した様子で立ち竦んでいたクライヴを何とか馬車まで引っ張ってきてこの邸まで戻ってきたばかりだ。
どうしてこうなった。
前回の顔合わせの時まではお互い好意を送り合っていたのに。
その雰囲気が傍から見ても分かるくらい、二人の気持ちは分かりやすかったのに。
それが、突然。今日になってクランディア嬢の態度がおかしかった。
何かを悩んでいるような、悲しむような視線を自分の主に向けていた。
だからこそ、自分の主はクランディア嬢を心配して庭園の散策に誘ったのだ。
傍から見れば仲睦まじく話しているように見えたのに。
「イラルド…」
「…っはい!」
侍従、イラルドは地の底を這うようなクライヴの声音に瞬時に反応すると、さっとクライヴの近くまで移動して控える。
「…ティアーリア嬢とは、良く話す仲だったのか?」
低く威圧感のある声でクライヴに問いかけられてイラルドは必死に首を横に振った。
クライヴの侍従である為、クランディア家へ赴く回数は多いが、自分の主であるクライヴの想い人と個人的にやり取りしたのは今日が初めてだ。
顔を合わせば目礼したり、こんにちわ、程度の挨拶はした事があるが今日程の接触はした事がない。
そこまで考えて、イラルドははっとした。
まさか、今日の"あの場面"をクライヴは見てしまったのではないか?そしてこの落ち込みよう、何かとんでもない勘違いをしていないか。と考えイラルドは顔色をさあっと無くすと慌てて自分の唇を開いた。
「クライヴ様…!もしや、今日庭園の散策から戻られた時、何か見ましたか…っ!」
「──何か、とは?」
一段と声が低くなり、じろりと睨まれて小さな悲鳴を上げる。
怒気のこもった声と、表情からやはりあの場面を見られていたのだ、と判断してイラルドは誤解です!と声を荒らげる。
「あの時、強い風が吹いてクランディア嬢のハンカチが飛んで落ちてしまったんです!私がそれを拾い、クランディア嬢にお渡ししようとした時に慌ててしまったクランディア嬢がバランスを崩し、転倒してしまいそうだったのでお支えしただけです!」
それに、私がクライヴ様の想い人にそんな邪な気持ちを抱く訳がありません!
とイラルドは必死に言い募る。
抱き留めた時に頬を染めてしまったが、あんな綺麗な令嬢と至近距離で顔を合わせてしまえば至極当然の反応だ、疚しい気持ちは自分にはまったくない。
尚も疑うような視線を向けてくるクライヴに、イラルドは両手を胸の前に上げて必死に首を横に振る。
あれは事故だったのだ、というのを必死に伝えるとクライヴは視線をイラルドから外すと、小さく声を零す。
「──と言う事は、ティアーリア嬢の片思いか…」
ぶつぶつと呟く言葉はイラルドの耳には入らず、クライヴはどうしたものか、と頭を抱える。
例えばこれが、まだティアーリアと自分がここまで親しくなる前ならば、ティアーリアが幸せになるのであれば自分は身を引き応援していたかもしれない。
けれど、この三ヶ月近くの顔合わせでティアーリアと共に時間を過ごし、人柄に触れ、あの時の少女のまま変わらない笑顔を見て、幸せな時間を過ごして来た。
幼少の頃の一週間を遥かに塗り替える程のティアーリアと幸せな時間を過ごした。
もう、諦めるなんて、ティアーリアが幸せになるなら、と自分が身を引くのは無理だ。
ティアーリアは自分の手で幸せにしたいし、これからも共に幸せで楽しい時間を作って行きたい。
見知らぬ誰かの横で幸せそうに笑うティアーリアなんて見たくない。
「だが、顔合わせを断られた以上これからどうすれば…」
クライヴは自室のソファに乱雑に腰を下ろすと、ぐしゃりと自分の前髪を握り締める。
きっと自分との顔合わせが破棄された後、ティアーリアにはまた申し込みが届き始めるだろう。
それを自分は止める事が出来ない、そんな権利も権限も何も持っていないのだ。
それに、ティアーリアが自分の侍従を想っているのであればその気持ちを自分が無理矢理横槍を入れて絶たせてもいいのか。
だが、ティアーリアには酷な事をしてしまうが自分の侍従と上手く行くはずがない。
ティアーリアは貴族令嬢だ。いくら自分に慕う男性がいても、相手は貴族の侍従。身分に釣り合いが取れない事は自分でもよく分かっているはずだ。
「ああ、だからそこあんなに悲しそうに表情を歪めていたのか…」
叶う事のない自分の想いに、想ってはいけない人物へ恋心を抱いてしまった事に胸を痛め葛藤していたのかもしれない。
だからこそ突然、顔合わせを断る言葉を伝えて来たのかもしれない。今後も自分と顔合わせを続ければ必然的に自分の侍従であるイラルドは同行する。
これ以上イラルドに気持ちを傾けたくなかったのだろう。
そして、顔合わせを行っている人物の侍従へ恋をしてしまった事への気まずさだろうか。
「前回までは、そんな雰囲気まったく無かったのに…何か、ティアーリア嬢がイラルドに惹かれる何かがあったのだろうか…」
考えてても埒が明かない。
クライヴは、後日送られてくるであろう断りの理由を確認したら一度クランディア伯爵に連絡を取ってみよう、と決めた。
157
お気に入りに追加
2,874
あなたにおすすめの小説
【完結】もう結構ですわ!
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
恋愛
どこぞの物語のように、夜会で婚約破棄を告げられる。結構ですわ、お受けしますと返答し、私シャルリーヌ・リン・ル・フォールは微笑み返した。
愚かな王子を擁するヴァロワ王家は、あっという間に追い詰められていく。逆に、ル・フォール公国は独立し、豊かさを享受し始めた。シャルリーヌは、豊かな国と愛する人、両方を手に入れられるのか!
ハッピーエンド確定
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/11/29……完結
2024/09/12……小説家になろう 異世界日間連載 7位 恋愛日間連載 11位
2024/09/12……エブリスタ、恋愛ファンタジー 1位
2024/09/12……カクヨム恋愛日間 4位、週間 65位
2024/09/12……アルファポリス、女性向けHOT 42位
2024/09/11……連載開始

【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら
みおな
恋愛
子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。
公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。
クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。
クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。
「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」
「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」
「ファンティーヌが」
「ファンティーヌが」
だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。
「私のことはお気になさらず」


偽りの愛に終止符を
甘糖むい
恋愛
政略結婚をして3年。あらかじめ決められていた3年の間に子供が出来なければ離婚するという取り決めをしていたエリシアは、仕事で忙しいく言葉を殆ど交わすことなく離婚の日を迎えた。屋敷を追い出されてしまえば行くところなどない彼女だったがこれからについて話合うつもりでヴィンセントの元を訪れる。エリシアは何かが変わるかもしれないと一抹の期待を胸に抱いていたが、夫のヴィンセントは「好きにしろ」と一言だけ告げてエリシアを見ることなく彼女を追い出してしまう。

そんなに優しいメイドが恋しいなら、どうぞ彼女の元に行ってください。私は、弟達と幸せに暮らしますので。
木山楽斗
恋愛
アルムナ・メルスードは、レバデイン王国に暮らす公爵令嬢である。
彼女は、王国の第三王子であるスルーガと婚約していた。しかし、彼は自身に仕えているメイドに思いを寄せていた。
スルーガは、ことあるごとにメイドと比較して、アルムナを罵倒してくる。そんな日々に耐えられなくなったアルムナは、彼と婚約破棄することにした。
婚約破棄したアルムナは、義弟達の誰かと婚約することになった。新しい婚約者が見つからなかったため、身内と結ばれることになったのである。
父親の計らいで、選択権はアルムナに与えられた。こうして、アルムナは弟の内誰と婚約するか、悩むことになるのだった。
※下記の関連作品を読むと、より楽しめると思います。

冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。
ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。
事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる