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最終話

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 理仁と琴葉はお互い顔を見合わせて照れ臭そうにはにかみ合うと、理仁は「まだ一緒にお話しませんか?」と琴葉に言葉を掛けて、琴葉が頷く。

 そうして、琴葉が頷いてくれるのを見ると理仁は嬉しそうに瞳を細め、自分の家の扉を開けて、二人で中へと入って行った。





◇◆◇

 理仁が退院した日。

 理仁と琴葉が想いを通じ合わせて数ヶ月。
 寒い冬が終わり、春がやって来てあっという間に春が終わりじめっとした梅雨がやって来た。



 金曜日の夜、時刻は十九時を少し過ぎた頃。
 スーツ姿の理仁は自分の左手首の時計をちらりと見て、焦ったように駅の階段を駆け上ると自宅方面の電車に駆け乗った。

 帰宅ラッシュの時間帯だからか、朝よりは人が少ないがそれでも電車内は混雑していて、理仁が乗り込んだその後すぐに電車の扉は閉まり、お決まりのように電車の車掌の駆け込み乗車はおやめ下さい、と言うアナウンスが流れて理仁は気まずくなってしまう。

 ──急いでいたし、仕方ないよな。
 と、誰に言うでも無く自分に言い聞かせて心の中で言い訳をしてしまうのもまたいつもの事で、理仁は梅雨時の少しむっとした車内の空気に嘆息して、首元を少しだけ緩めた。



 電車に揺られる事、十五分。
 急行の止まる駅は人の乗り降りが多く、理仁の住む賃貸のマンションがある駅もまたこの急行が止まる駅なので、大勢の人が降りる流れに乗って理仁もホームへと足を下ろした。

「やべぇ、もう来てるよな……」

 理仁は焦ったように小さく呟くと、スラックスからスマホを取り出して慣れたようにトークアプリを開くとタタタっ、と素早く文字を打ち込み送信する。

 送信が完了すると、一度スラックスのポケットにスマホをしまい、ホームを急ぎ足で歩いて行く。
 マンションまでは駅から徒歩で十五分。
 大通り沿いにあるそのマンションは立地が良く、近くにスーパーやコンビニもあり、大きな公園もあってファミリー層に人気の街だ。

 駅の改札を出た所で理仁はもう一度スマホのトークアプリを開いて先程自分が送った相手から連絡が返って来ているのを確認すると目尻を下げる。
 可愛らしいペンギンが「了解!」と喋っているスタンプが押されていて、理仁はマンションに向かって早歩きで帰路に着いた。


 途中のコンビニで缶ビールとコンビニ限定のデザートを何種類かカゴにぽいぽいと入れて会計をして自動扉から外に出て再度腕時計を確認する。

 時刻は十九時四十五分。
 約束から一時間も遅れてしまう。

 理仁は慌ててマンションまでの残り少ない距離を走って帰る事にした。




 マンションのエントランスをくぐり、エレベーターを待ちながら「もう着くよ」とトークアプリで連絡をする。
 送信すると同時にエレベーターの扉が開き、理仁はエレベーターに乗り込むと逸る気持ちそのままに「閉」のボタンを数回押してしまう。
 自分の部屋がある階のボタンを押して、エレベーターの壁に背中を預けると目を瞑って到着するのを待つ。

 ぽん、と軽快な音を立てて目的の階に到着した事を知らせる音に目を開けると開くドアの隙間からすり抜けてフロアへと出て自分の家へと向かう。

 家の鍵を開けようとビジネスバッグをゴソゴソと漁っていると、目の前の扉の奥から鍵を開ける音が聞こえて、理仁が鍵を開ける前に扉がゆっくりと開いた。



「理仁さん、お帰りなさい」

 扉からひょこり、と可愛らしく顔を覗かせて嬉しそうに笑う琴葉の姿を見て、理仁はふにゃりと眉を下げて笑顔を浮かべると琴葉に向かって唇を開いた。

「──ただいま」

 琴葉も嬉しそうに笑顔を返すのを見て、理仁はじんわりとした形容し難い気持ちが胸に満ちて来ると開けられた扉から自宅の中へと入って行く。

 ぱたり、と閉まった扉の奥からは二人の笑い声が微かに響いた。






「残業? お疲れ様です」
「ああ、うん。本当に疲れた。急に取引先から連絡が来てさ……」

 玄関から廊下を抜けてリビングの扉を開けて中に進むと、ふわりと美味しそうな匂いが鼻腔を刺激する。

 理仁の腹からぐぅ、と大きな音が響いて、女性はその音に目を丸くするとくすくすと笑い声を出した。

「もう出来てますから、着替えて来ちゃっていいですよ」
「あー……うん、ごめん琴葉さん。着替えて来るね」

 理仁は恥ずかしそうに頬を染めると、琴葉の言葉に甘えて自室へとそのまま向かった。

 スーツを脱いで、ラフな格好に着替えるとそのまま洗面所へ向かって手洗いとうがいを済ます。

 理仁がリビングに戻って来ると、夕食の準備が終わった琴葉が理仁が帰りに買って来たコンビニの袋の中身を取り出して瞳を輝かせた。

「理仁さん、これ!」
「琴葉さん甘いの好きでしょ? ビールは、飲みながら映画見ようと思って」
「ありがとうございます!」

 琴葉は嬉しそうに理仁に向かってお礼を言うと、いそいそと冷蔵庫にビールとデザートを入れて冷蔵庫を閉める。
 映画を見ながら、と言っていたのでビールとデザートはご飯の後楽しむと言う事を、何も言わなくても分かる程、二人は何度もこうして同じ時間を過ごしている。

 リビングにあるテーブルに用意されたご飯を、二人はソファに並んで腰掛けながら食べ始める。
 ゆったりと会話を楽しみながら、時折正面のテレビに映ったニュース番組を聞いてああだこうだ話す。

 時折落ちる沈黙の時間も苦では無く、ゆったりと食事を楽しみながらこの後に見る映画の話をしている内に、あっという間に食事が終わり、二人で食器を運ぶ。
 流しに食器をつけて、冷蔵庫から缶ビールとデザートを持って来て再びソファへと戻る。

 二人が話をする切っ掛けとなった映画をこうして見るのが不思議で、お互いどこか擽ったい気持ちになりながら体を寄せ合い、映画を再生する。

 理仁は、無意識に自分の額に薄らと出来た傷跡を指先でなぞった。

「──理仁さん? 傷、痛みますか?」

 理仁が傷跡をなぞった姿を見ていたのだろう。
 琴葉が申し訳無さそうに、心配そうに眉を寄せてそう言葉を掛けて来る。

 理仁はゆるゆると首を横に振ると、優しく瞳を細めて琴葉に向かって言葉を返す。

「──いや、大丈夫。……何か琴葉さんと話す切っ掛けになったこの映画も……琴葉さんと付き合う切っ掛けになったこの傷も……感慨深いなぁ、と思って触れただけだから。──あ、もう謝るのは無しね?」
「……うぅ……。分かりました、謝らないように頑張ります」
「ははっ、頑張るって。頑張らなくていいんだよ、こんなの」

 理仁は笑いながらこうして今日のような日を、以前も過ごしていたような気がする。

 入院して、目が覚めなかったあの期間。
 琴葉と一緒に箱根旅行に行っていたような気がする。

 そうしてやっぱり琴葉と共に過ごす事の心地良さ、幸せな時間にずっと一緒に居たい、と思っていたと思う。

 退院した当初はあまり覚えて居なかったが、琴葉と過ごす内、ふと既視感を覚えるような光景が増えた。

(──俺、夢でも琴葉さんが好き過ぎて……一緒に過ごしたいって願望が出てたのかな……)

 理仁は願望が夢になって、眠っている間に琴葉と共に過ごしている日々を送っていた事に若干恥ずかしくなってしまう。

「──理仁さん、どうしました? 映画始まってますよ?」

 また、不思議そうに理仁へ視線を向けてキョトン、と瞳を瞬かせる琴葉に理仁は笑う。

「いや、不思議な体験をしたなぁって……」
「え、?」
「いや、何でもないよ。俺はきっと何度でも琴葉さんを好きになるんだろうなぁ、って実感しただけ」

 理仁はそう言った後、照れ隠しにビールをぐっと呷る。
 隣に座っていた琴葉は、理仁の言葉に頬を赤く染めるとそっと理仁に体を寄せた。

「──私だって、何度も理仁さんを好きになってますよ」

 ぽつりと呟いた琴葉の言葉に、理仁は幸せそうに笑った。





 琴葉と出会って、会話をする度に惹かれて、好きになって。
 笑う姿や隣を歩く姿に何度も好きだな、と実感した。
 自分と似た価値観に一緒に過ごす時間が心地良くて。

 ああ、きっと何度でも人は人を好きになるんだろうなぁと理仁はしみじみと実感した。






何度でも、僕はまた君に恋をする。
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みんなの感想(18件)

夢梨(ゆめり)
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夢梨(ゆめり)
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高瀬船
2023.06.09 高瀬船

いつもご感想ありがとうございます!╰(*´︶`*)╯
ストーリー展開に戸惑って頂けて嬉しい…!💪✨なにやらおかしな展開になってますよね✨
今後も最後まで楽しんで頂けるような展開を続けていけるように頑張ります!✨

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夢梨(ゆめり)
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