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 退院日、当日。

 理仁は病室の中にあった私物達を旅行カバン程度のバッグに纏めると、最後に忘れ物が無いか確認の為室内に振り返る。

 長い時間、ここで過ごしてしまった。
 週明けから会社に復帰だ。
 定期的にひと月に一度、通院はあるが極力それも土曜日の休日にしてもらった。

 理仁は忘れ物が無い事を確認すると、病室を出て廊下を歩く。

 歩いて、入退院の受付センターへと向かう道中、看護師の人達とすれ違い、軽く挨拶をする。
 皆理仁の退院を祝ってくれて、理仁も笑顔で言葉を返す。
 動けない間、病院の看護師の人達にはとても良くして貰ったと感謝の言葉を返しながら、理仁はエレベーターのボタンを押して下へと降りる。

 今日も、琴葉が迎えに来てくれるらしく、琴葉とは病院の入口で待ち合わせをしている。
 理仁は逸る気持ちを何とか押さえ付けて退院の手続きを行うと、病院の入口へと向かった。



 自動ドアの側のベンチに、黒髪を結い上げている見慣れた後ろ姿を見付けて理仁は目尻をゆるゆる下げると、足早に自動ドアをくぐった。

 自動ドアの開く音に反応したのだろう。
 琴葉が振り向いて、理仁とぱちり、と視線が合った。
 視線が合った瞬間、琴葉は嬉しそうに笑顔を浮かべると「大隈さん!」と理仁の名前を呼んでベンチから立ち上がる。

「退院おめでとうございます!」
「ありがとうございます、藤川さん」

 二人は顔を合わせて笑い合うと、揃って歩き始める。

 琴葉が理仁の荷物を持とうと声を掛けてくれたが、その申し出にお礼を述べつつ断る。
 意外と重くなってしまったバッグを琴葉に持たせる訳にはいかない。

「ええ、でもそれじゃあお手伝い出来ないじゃないですか」
「こうして迎えに来て貰っただけで嬉しいので、大丈夫ですよ」

 理仁の言葉に、琴葉は僅かに頬を染めると笑いながら理仁と共にバス停まで歩いた。

 バスに乗り込み、マンションへと帰る。
 バスの中でも二人の会話が途切れる事は無くて、楽しい会話を交わしながらバスから降りてマンションへと戻る。

 理仁は久しぶりに戻って来たマンションを見上げて、「やっぱり自宅を見ると安心するな」と何処かほっと安堵する。



 エレベーターに乗り込み、自分達の部屋がある階のボタンを押す。
 上昇して行くエレベーターの中、理仁と琴葉は先程まで楽しく弾んだ会話をしていたのだが、家に近付くにつれてお互い段々と言葉少なくなり、今では無言になってしまっている。

 気まずい、と言うような雰囲気では無い。
 それよりも、部屋に着いてしまったらそこで別れてしまうのか、と言う寂しさだろうか。

「──……」
「──あ、着きました、ね」

 エレベーターが目的の階に到着して、扉が開く。
 理仁が言葉を紡ぐと、琴葉がぴくりと肩を跳ねさせてから「ですね、」と眉を下げて笑い、二人でエレベーターの外へと出る。

 歩く度に自分の部屋に近付いて来る。
 一歩一歩、踏みしめて歩く中、理仁は必死に頭の中で考えていた。

(──連絡先も、交換していない……。家に着いたら……約束をしてないから……、また"偶然"を待つだけの日常に戻ってしまう……)

 ちらり、と自分の横を歩く琴葉を盗み見る。
 病院に迎えに来てくれた時の明るさは今の琴葉には全く見受けられず、何だか寂しそうに眉を下げている。

 自惚れだろうか。
 少しでも、琴葉も同じように考えてくれているのだろうか、と理仁は考えてしまう。

 自分達の部屋の前に到着してしまい、理仁と琴葉は顔を見合わせる。
 お互いの間に流れる空気が何処か悲しげで、理仁は何かを言い淀んでいるような雰囲気の琴葉に向かって思い切って唇を開いた。

「──藤川さん」
「……っ、はい」

 理仁の言葉に、琴葉がぴくりと反応して顔を上げる。
 しっかりとお互い視線を合わせて、理仁は言葉を続けた。

「今日まで、本当に色々とありがとうございました。毎日お見舞いに来て下さって、沢山話せて楽しかったです」
「──いえっ、元はと言えば私達の事情に大隈さんを巻き込んでしまったので……本当に申し訳御座いませんでした……っ」

 改めて深々と琴葉から頭を下げられてしまい、理仁は慌てて自分の手をわたわたと動かす。

「いっ、いえ! 本当に気にしないで下さい……! 俺も気にしてないので、藤川さんがずっと負い目を感じて過ごして行くのは嫌です」
「──っ、あり、がとうございます」
「それよりも……、毎日藤川さんとお話をさせて貰って、楽しい時間を過ごさせて頂いた事が嬉しくて……本当にありがとうございます」
「私も、大隈さんと沢山お話が出来て楽しかったです。本当に……、沢山趣味のお話とか、映画のお話とか出来て……」
「ええ。俺もここまで趣味が合う人は居ないので……」

 話している内に、何だか別れの挨拶のような雰囲気になってしまい、理仁は狼狽える。
 違う、話したいのはこうじゃなくて、と琴葉に視線を向けると琴葉はこの時間が終わるのを、悲しんでくれているのだろうか。
 楽しかった、と琴葉は口にしているのに寂しそうに眉を下げている。

 終わりじゃなくて。
 また会いたい、と言うたった五文字の言葉を口にするのを躊躇っていた理仁だったが、寂しそうに、悲しそうにしている琴葉の表情を見てするり、と自然にその言葉が口から零れ落ちた。

「──今後も、藤川さんと会いたいのですが……、連絡先を教えて貰っても大丈夫ですか?」
「──……っ、! も、もちろんですっ!」

 理仁の言葉を聞いた瞬間、琴葉は弾かれたように顔を上げて、直ぐに理仁に向かって嬉しそうにそう答えた。
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