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 琴葉が理仁の病室にやって来てから少し。
 お手洗いにでも行っていた為に席を外していたのだろう。理仁の母親がガラガラ、と扉を開けて病室に戻って来た。

「──! あら、藤川さん今日も来て頂いていたのね」
「こ、こんにちわ……!」

 琴葉はガタリ、と慌てて椅子から立ち上がると理仁の母親にぺこりと頭を下げる。

 琴葉の格好を見て会社帰りに寄ってくれたのだろうと察した母親は、眉を下げて申し訳無さそうに唇を開いた。

「ごめんなさいね、藤川さん……。会社を早退してここに寄ってくれているんでしょう? 無理して、お見舞いに来なくてもいいのよ……?」

 病院の面会時間は夕方の五時まで。
 その時間までしか病室で理仁が目覚めるのを待つ事は出来ない。
 理仁の母親も、五時を過ぎると近くに取っているホテルへ戻っているらしく、琴葉は自分と樹のせいで理仁が怪我をしたのだから、と理仁の母親のホテル代を払おうとしたがそれは断られてしまっている。

 理仁の母親は椅子に腰を下ろすと、呆れたように理仁の額をぺちり、と叩く。

「──もう。命に別状も無いってお医者様からは聞いているし、早く起きて欲しいんだけどね。まったくもう、階段から落ちるなんて間抜けなんだから」

 ぺちぺち、と母親は理仁の額を軽く叩きながら言葉を続けていて、琴葉は慌てて理仁の母親に向かって唇を開く。

「そ、そんな事ないですっ! 大隈さ──、そのっ、理仁さんが咄嗟に助けて下さらなければ、私が階段から落ちてしまっていたので……! 理仁さんは、私の代わりに階段から落ちてしまったんです……、本当に申し訳ありません……」

 自分を庇ったせいで理仁が大怪我をしたのだ、と説明しながら琴葉はぐっと悔しさに唇を噛み締めて視線を下げる。

 あんな場所で、喧嘩をしていた自分と樹が全体的に悪い。
 理仁は、たまたま帰宅した時に言い争う声を聞いて止めようと来てくれたのだろう。
 そこで、理仁の顔を見た樹が更に怒りを顕にしてしまった。

「──私が、先延ばしにしていたせいなんです……」

 小さく呟いた琴葉の言葉に、理仁の母親は眉を下げて「仕方ないわよ」と答えた。



 そして、琴葉と理仁の母親は暫し病室の中で会話を楽しむ。
 理仁は中々実家に帰りもしないし、連絡もしていなかったらしい。
 その事を知った琴葉は、隣人と言う事もあり理仁と度々顔を合わす機会があった事や、趣味が同じ映画鑑賞である事や、話す切っ掛けとなった事を理仁の母親と談笑していた。

 暫く会話を楽しんでいた琴葉と理仁の母親だったが、窓の外が薄暗くなって来た事に気付いた理仁の母親が「あ、いけない」と声を上げる。

「どうしましたか?」
「ごめんなさい、藤川さん。私今日理仁の会社の上司の方とお会いする予定があるのよ。少し早いけれど、私はここで失礼するわね」
「そうだったのですね……! 気を付けて行って下さいね……!」
「ふふ、ありがとう藤川さん」

 琴葉の言葉に理仁の母親は微笑むと椅子から立ち上がり帰宅の支度を始める。

「まあ、理仁も目が覚めて一番に私の顔を見るより、藤川さんの顔を見た方が嬉しいと思うわ」

 じゃあ、失礼するわね。
 と言葉を続けた理仁の母親に琴葉はガタリっ、と慌てて椅子から立ち上がると顔を真っ赤にさせて狼狽える。

「そっ、そんな事は……っ」
「また明日ね、藤川さん」
「はっ、はいまた明日……っ」

 理仁の母親が病室を出て行くのを、ぺこぺこと頭を下げて見送ると、琴葉は熱くなった自分の頬を冷ますように手のひらで仰ぐ。

 琴葉は力無く椅子に座り直すと、恥ずかしさを誤魔化すように理仁に向かってぶちぶちと言葉を発した。

「も、もう……。大隈さんが早く起きてくれないから、大隈さんのお母様に誤解されてしまいました……」

 琴葉は今だ規則正しい呼吸音を立てながら眠っている理仁の指先を、医療機器に触れないように気をつけながらつんつんと自分の指先でつつく。

「早く起きて、大隈さんも一緒にお母様の誤解を解かないと……勘違いされてしまったままになっちゃいますよ……」

 あながち、琴葉が理仁に抱く感情は勘違いや誤解では無いが、理仁の母親のニュアンスだとまるで理仁も琴葉の事が好きだと思っているような口振りだった。

「また、大隈さんと映画の事とか……あの映画の主人公がしてたみたいに、帰り道を遠回りして一緒に歩きたいです……」

 琴葉は、パルスオキシメーターが付けられていない理仁の小指を軽くきゅっと握ると、早く起きてくれと願うが、理仁の指先に力が入る事は無く、そのまま面会終了時間を迎えた。
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