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しおりを挟む琴葉は、自分の隣を歩く理仁にちらりと視線をやって、視線を向けた事に気付かれない内に直ぐに自分の視線を正面へと戻した。
藤川琴葉には、二つ年上の彼氏がいる。
今のマンションには転職を機に越して来たのだが、転職前の職場で自分の指導役をしていた男性が今の彼氏だ。
彼氏の名前は嘉川樹。新卒で入社した琴葉の指導役で、慣れない業務や仕事内容に日々悪戦苦闘していた琴葉を根気強く指導してくれた。
何度も残業に付き合わせてしまったからお礼で、と何度かご飯を食べに行き、それがお礼も関係無く二人でご飯に行く事が多くなり、そして休日にも会うようになって自然と付き合いがスタートした。
最初は順風満帆なお付き合いだったが、付き合って半年近く経った頃、琴葉の彼氏の浮気が発覚した。
琴葉は別れ話を切り出したが、話しをする時間を作り、会って話しをしている内に樹に説得されて別れ話が何処かに行ってしまう。
そんな事を何度か繰り返し、琴葉は自分の会社の業務量がとても多く、月の残業時間が四十時間を超える事もざらにあり、所謂「ブラック企業」に自分が務めていると言う事に二年目に気が付いた。
このままこの会社に居ては、自分は駄目になってしまう、と考えた琴葉は退職を決意し、そして退職して無事転職出来たのだが、そのタイミングで樹も退職してしまった。
樹の方が琴葉よりも月の残業時間が多く、精神的にも限界だったのだろう。
琴葉は転職を機に樹との関係も精算し、新しくスタートを切りたかったのだが、樹の残業時間が多いのも、琴葉の仕事を手伝っていたからだ、と言われ精神的負荷が掛かっていたと言われてしまえば、冷たく突き放す事が出来ず、このマンションに越して来てからも琴葉と樹は何度も別れ話をする為に会ってはいるのだが、毎回樹が怒り、感情に任せて食器を割った後、逃げるように出て行ってしまう。
(このままでは、ずっと別れられない……)
琴葉は自分の目元を指先で軽く揉むと、再度隣を歩く理仁にちらり、と視線を向ける。
引越し当日、琴葉が越して来た部屋の隣に住んでいる理仁と出会ったのは本当に偶然で。
琴葉は、自分の隣人がこんなに格好良い人なのだ、と少しだけ気持ちが浮上した。
転職したばかりで、慣れない仕事に、別れられない彼氏。
気持ちが落ち込むばかりの毎日だったが、隣人が自分と同じ年頃の格好良い男性で良かった、と少しだけ浮かれていた。
しかも、理仁も映画鑑賞が趣味らしく、会話から映画の好みも似ている。
趣味の話しでこれだけ盛り上がれる人は少なく、琴葉はもっと理仁と話す機会があればなぁ、と考えていたが、別れ話が拗れているとは言え、自分はまだ彼氏が居る状態である。
理仁に踏み込んだ話しをする事は出来ず、当たり障りの無い世間話をする事しか出来ない。
(それに、さっき……)
琴葉は、ふと思い出してしまう。
先程、理仁の家のベランダに洗濯物が風で飛んで行ってしまい、インターホンを鳴らした時。
理仁の家には、誰かもう一人居るようだった。
(休日だものね……もしかしたら、彼女さんかもしれない……)
琴葉はそこまで考えて、急激に不安になって来る。
理仁にもし彼女が居るのであれば、こうして自分が理仁の隣を歩くのは不味いのではないだろうか。
もし、自分の立場だったら。
彼氏の隣に、見知らぬ女性が仲良さ気に居たら。
そこまで考えて、琴葉は今更ではあるがさあっ、と顔色を悪くさせると理仁に向かって唇を開いた。
「す、すみません……! 大隈さん! すっかり失念してしまっていたのですが……」
「──へっ? え、ええ、何です?」
先程まで、映画の話しをしていたのだが、突然慌てたように顔を上げた琴葉にじいっと視線を向けられ、理仁は戸惑いながら言葉を返す。
「えっと、その……っ。こうして一緒に買い物に出てきてしまいましたけど、大隈さんの彼女さんに悪いのでは……、と思って……」
「──彼女?」
「ええ。今日、ご一緒でした、よね……?」
きょとん、と瞳を瞬かせる理仁に、琴葉もあれ? と首を傾げる。
インターホンを鳴らした時、理仁は誰かからの言葉に返事をしていたように覚えている。
その事から、琴葉は理仁が返事をした相手が彼女なのではないか、と心配になったのだが、理仁には全く心当たりが無いのだろう。
不思議そうな表情を浮かべて理仁が唇を開いた。
「えっと……、俺に彼女は居ませんが……。今日、部屋にいたのは会社の後輩で、男ですけど……」
理仁から聞かされた言葉に、琴葉は自分の勘違いが恥ずかしく頬を染めてしまう。
「そっ、そうだったんですね……! すみません、勘違いをっ、お恥ずかしいです……忘れて下さい」
へにょり、と眉を下げて笑う琴葉に、理仁は「大丈夫ですよ」と苦笑しながら言葉を返すと、その後輩──晃太について話し始めた。
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