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 金曜日の夜、時刻は十九時を少し過ぎた頃。
 スーツ姿の男性は自分の左手首の時計をちらりと見て、焦ったように駅の階段を駆け上ると自宅方面の電車に駆け乗った。

 帰宅ラッシュの時間帯だからか、朝よりは人が少ないがそれでも電車内は混雑していて、男性が乗り込んだその後すぐに電車の扉は閉まり、お決まりのように電車の車掌の駆け込み乗車はおやめ下さい、と言うアナウンスが流れて男性は気まずくなってしまう。

 急いでいたし、仕方ないよな。
 と、誰に言うでも無く自分に言い聞かせて心の中で言い訳をしてしまうのもまたいつもの事で、男性──大隈理仁は梅雨時の少しむっとした車内の空気に嘆息して、首元を少しだけ緩めた。



 電車に揺られる事、十五分。
 急行の止まる駅は人の乗り降りが多く、理仁の住む賃貸のマンションがある駅もまたこの急行が止まる駅なので、大勢の人が降りる流れに乗って理仁もホームへと足を下ろした。

「やべぇ、もう来てるよな……」

 理仁は焦ったように小さく呟くと、スラックスからスマホを取り出して慣れたようにトークアプリを開くとタタタっ、と素早く文字を打ち込み送信する。

 送信が完了すると、一度スラックスのポケットにスマホをしまい、ホームを急ぎ足で歩いて行く。
 マンションまでは駅から徒歩で十五分。
 大通り沿いにあるそのマンションは立地が良く、近くにスーパーやコンビニもあり、大きな公園もあってファミリー層に人気の街だ。

 駅の改札を出た所で理仁はもう一度スマホのトークアプリを開いて先程自分が送った相手から連絡が返って来ているのを確認すると目尻を下げる。
 可愛らしいペンギンが「了解!」と喋っているスタンプが押されていて、理仁はマンションに向かって早歩きで帰路に着いた。


 途中のコンビニで缶ビールとコンビニ限定のデザートを何種類かカゴにぽいぽいと入れて会計をして自動扉から外に出て再度腕時計を確認する。

 時刻は十九時四十五分。
 約束から一時間も遅れてしまう。

 理仁は慌ててマンションまでの残り少ない距離を走って帰る事にした。




 マンションのエントランスをくぐり、エレベーターを待ちながら「もう着くよ」とトークアプリで連絡をする。
 送信すると同時にエレベーターの扉が開き、理仁はエレベーターに乗り込むと逸る気持ちそのままに「閉」のボタンを数回押してしまう。
 自分の部屋がある階のボタンを押して、エレベーターの壁に背中を預けると目を瞑って到着するのを待つ。

 ぽん、と軽快な音を立てて目的の階に到着した事を知らせる音に目を開けると開くドアの隙間からすり抜けてフロアへと出て自分の家へと向かう。

 家の鍵を開けようとビジネスバッグをゴソゴソと漁っていると、目の前の扉の奥から鍵を開ける音が聞こえて、理仁が鍵を開ける前に扉がゆっくりと開いた。



「理仁さん、お帰りなさい」

 扉からひょこり、と可愛らしく顔を覗かせて嬉しそうに笑う女性の姿を見て、理仁はふにゃりと眉を下げて笑顔を浮かべると女性に向かって唇を開いた。

「──ただいま」

 女性も嬉しそうに笑顔を返すのを見て、理仁はじんわりとした形容し難い気持ちが胸に満ちて来ると開けられた扉から自宅の中へと入って行く。

 ぱたり、と閉まった扉の奥からは二人の笑い声が微かに響いた。






「残業? お疲れ様です」
「ああ、うん。本当に疲れた。急に取引先から連絡が来てさ……」

 玄関から廊下を抜けてリビングの扉を開けて中に進むと、ふわりと美味しそうな匂いが鼻腔を刺激する。

 理仁の腹からぐぅ、と大きな音が響いて、女性はその音に目を丸くするとくすくすと笑い声を出した。

「もう出来てますから、着替えて来ちゃっていいですよ」
「あー……うん、ごめん琴葉さん。着替えて来るね」

 理仁は恥ずかしそうに頬を染めると、女性──琴葉の言葉に甘えて自室へとそのまま向かった。

 スーツを脱いで、ラフな格好に着替えるとそのまま洗面所へ向かって手洗いとうがいを済ます。

 理仁がリビングに戻って来ると、夕食の準備が終わった琴葉が理仁が帰りに買って来たコンビニの袋の中身を取り出して瞳を輝かせた。

「理仁さん、これ!」
「琴葉さん甘いの好きでしょ? ビールは、飲みながら映画見ようと思って」
「ありがとうございます!」

 琴葉は嬉しそうに理仁に向かってお礼を言うと、いそいそと冷蔵庫にビールとデザートを入れて冷蔵庫を閉める。
 映画を見ながら、と言っていたのでビールとデザートはご飯の後楽しむと言う事を、何も言わなくても分かる程、二人は何度もこうして同じ時間を過ごしている。

 リビングにあるテーブルに用意されたご飯を、二人はソファに並んで腰掛けながら食べ始める。
 ゆったりと会話を楽しみながら、時折正面のテレビに映ったニュース番組を聞いてああだこうだ話す。

 時折落ちる沈黙の時間も苦では無く、ゆったりと食事を楽しみながらこの後に見る映画の話をしている内に、あっという間に食事が終わり、二人で食器を運ぶ。
 流しに食器をつけて、冷蔵庫から缶ビールとデザートを持って来て再びソファへと戻る。

 二人が話をする切っ掛けとなった映画をこうして見るのが不思議で、お互いどこか擽ったい気持ちになりながら体を寄せ合い、映画を再生する。

 理仁は、無意識に自分の額に薄らと出来た傷跡を指先でなぞった。



 二人の視線の先で、再生され始めた映画に理仁は缶ビールを傾け、琴葉はぱくりと一口デザートを口に含んだ。
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