警吏騎士はもらわれたい

海水

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中編 「警吏騎士はうなだれる」

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 生誕祭前日。リリーはベルデガートを巡回していた。青色折り襟の警吏騎士服をまとい、腰にはガットに直してもらった剣を佩き、祭りの準備に余念がない街を歩いていた。
 明日を思い、道行く人の顔には笑顔が咲く。街にはどことなくそわそわとした雰囲気が漂っていた。
 住民の期待が熱気となって、冬の刺さるような空気を和らげていると感じるほどだ。

「でもあたしは待機なんだよなぁ」

 リリーはぼやきながら人ごみをかき分けるように歩く。大通りを巡回し酒場の角を曲がり細い路地に入った。

「いたっ」

 リリーを追い抜いていった男の子が石に躓いたのか、派手に転んだ。

「おっと、大丈夫?」

 彼女は駆けより、座り込んでいる男の子の脇に膝をついた。ささっと彼の身体に目を巡らせる。

「頭からの出血無し。腕、足の向き良し。膝からの出血を確認。その他の出血無し」

 警吏騎士服のポケットからハンカチを取り出し、彼の膝にぽんぽんあてた。涙ぐみ、今にも泣きそうな男の子の頭を撫で「泣かなくって、エライね」と笑顔を向ける。

「こ、これくらい、へいきさ!」

 男の子はぐしっと腕でなみだを拭き取り、立ち上った。彼はまた駆け出し、振り返らず「ねーちゃんありがと!」と叫んで路地を走っていった。

「走ったらまた転ぶってば!」

 彼を追いかけて路地を抜け、高台にある警吏所に繋がる階段を上りかけたところで、リリーはある人物を見かけた。
 階段脇の花屋で、そこの看板娘と立ち話をしているガットだ。

「ガ……」

 リリーは声をかけようかと思ったが、やめた。ガットが楽しそうにしているからである。
 いつもとは違った、ちょっと外向きの顔で、和やかな空気を作り出していた。
 花屋の娘は赤いワンピースに暖かそうな茶色のマフラーを巻き、フェミニンな雰囲気だ。
 くりくりっとした目は、女のリリーでも保護欲を刺激される。小さい唇にはきっちりと紅がのっている。
 どこから見ても誰から見ても可愛いと言われるだろう娘だ。

「調子はどう?」
「あー、いまてこずってるやつがあってさ。明日には納品だから、今日中に仕上げないとまずいんだ」
「あら、大変ねぇ」
「なれない材料で配分が難しいんだ」

 すっかり男の顔になったガットが頭を掻いている。花屋の娘は眉を下げ、心配そうな顔になった。

「じゃあ明日は空いてるの?」
「んー、昼間は空いてるかなー」

 リリーは俯き、階段を上り始めた。これ以上ふたりの会話を聞きたくなかったのだ。
 一段上るごとに胸が痛む。気が付けば、リリーは警吏所にたどり着いていた。




 その日の業務を終えたリリーは、酒場に来ていた。生誕祭を明日に控えたせいか、いつもなら空きがある席も今日は満席だった。
 リリーはカウンターの端に陣取り、カットグラスに浮かぶ琥珀色の蒸留酒をなめている。
 彼女の頭に浮かぶのは昼の出来事。ガットが花屋の娘と楽し気に話している場面だ。

「ふんだ」

 リリーはその映像をかき消すように、グラスを煽った。
 自分以外の女と楽し気に話をしているのが気に入らない。
 そのことが何を示しているのか、彼女とて知っている。
 だがあの場でふたりの間に入り込む勇気が出なかった。そのこともリリーは知っている。
 邪魔をすることで、ガットの機嫌を損ねる可能性すらあった。
 自分の選択が間違っていないことの裏付けが欲しくて、言い訳をしているのだ。

「あの娘、可愛いもんなー」

 グラスを持つ右腕に視線を落とした。訓練のたまものの、筋肉が目立つ腕。グラスを持つ掌には剣ダコができ、皮膚は硬い。フェミニンという言葉がむなしく遠ざかる。

「女の身体じゃないよねー」

 思わず苦笑が漏れる。
 比較するのは花屋の娘。女の子を体現したような彼女は柔らかなイメージ。化粧もろくにしない自分は、頼れる姉御なイメージだろうか。
 男がどちらに惹かれるかなど、考えなくても答えはすぐに出る。

「あーらリリー。元気ないじゃなーい」

 カウンターの向こうから、女将の揶揄する声が飛び込んでくる。顔を上げれば、恰幅の良い中年女性がワインボトルを抱えていた。
 いつものような覇気のない自分を思って声をかけてきたのだと、リリーは感じた。そのやさしさに感謝するが、同時に放っておいて欲しかったと、捻くれた感情に囚われてしまう。

「どうしちゃったのよ」
「いやー、考え事してただけさ!」

 目の前に腰掛ける女将に、から元気を絞り出す。
 リリーはガサツだが明るい性格としてベルデガート中に知れ渡っている。彼女自身もそう思っている。そのイメージを壊したくなかった。

「ならいいけどさ。そうそう、聞いたけど、明日は警吏所で留守番なんだって?」

 なぜか笑っている女将に、リリーはイラっとした。心配してくれてたわけじゃないのか、と落胆したのだ。

「そうだよ。せっかくの祭りなのに刑吏所に監禁さ。担ぎ込まれた酔っ払いの相手なんてうんざりだ」

 リリーは空になったグラスを、これ見よがしにカウンターに打ちつける。はいはい、と言いながら女将は木のグラスを取り出し、ワインを注いだ。

「ま、健気にお留守番してるあんたの所にも、神様のご褒美があるかもよ?」

 ワインが入ったグラスをカウンターに置きながら、女将は言う。

「主神アルケヌスは勤勉な人間にはその代償を与えるっていうじゃないか」

 そう。確かに女将の言う通りだった。
 アルケヌスは慈悲深い神で、まじめに働く人間には褒美として幸せを授けるという言い伝えがあるのだ。女将はリリーのことを前提にしたのだろうが彼女はそう思っていない。
 リリーの脳裏に浮かんだのは、ガットの顔だった。
 若くして工房を継ぎ、歯を食いしばり必死に鍛冶に励む姿は、まさに勤勉だ。それを見たアルケヌスが授けた幸せが、あの花屋の娘なのかも。
 幸せそうなふたりが並んで立っている映像が頭に浮かび、目の奥が熱くなる。
 ガサツな自分が横にいるよりも、ずっとお似合いだった。

「そうかも、ね」

 カウンターに力なく肘をつく女性警吏騎士から、ぽたりと涙が落ちた。




 生誕祭当日。
 街は朝からざわつき、靄が消えきらぬうちから人々が働きだしていた。早めに仕事を終え、生誕祭を楽しむためだ。
 そんな活気にあふれる街を、高台にある警吏所から、リリーはぼんやりと眺めていた。
 心ここにあらず。
 警吏所にある見張り台の手するに頬杖をつき、焦点の定まらぬ目で、ここでないどこかを見ている様子は、そうとしか言い表せなかった。

「じゃー巡回にいってくる」

 警吏騎士たちが街へと降りていく。気の早い住民はすでに酒を呑み始めていた。ひとり、またひとりと仲間が減っていくなか、警吏騎士隊長からの呼ばれ、待機する部屋へと戻っていった。

「ケインが来れない!?」

 ガチムチ隊長から発せられた言葉に、リリーは食事抜きを言い渡されたほどの衝撃を受けた。
 ケインとは、今晩ともに待機所で悲しい一晩を過ごすはずだった警吏騎士だ。

「奥さんが転んで骨折したらしくてな。そばにいないとトイレもままならないらしい」
「だ、大丈夫なの?」
「このお祭り騒ぎで医師も捕まらなくってな。応急手当しかできてないんだと」
「ひとりにしたらかわいそうだよ! 警吏所はあたしで大丈夫だから、ケインはそばにいてあげて!」

 文句の一つも言いたいところだが事態が深刻でそんな気分も吹き飛んでしまった。
 怪我の度合いも、タイミングも悪い。ガチムチ隊長も黙って頷いた。

「すまんが、今晩はよろしく頼む」
「まっかせて!」

 すまなそうに眉を下げる隊長に、リリーはドンと胸を叩いた。




 とはいえ、時間がたてばその覇気も薄れてくるもので。
 夕刻になり、街のあらゆる場所が明かりで照らされると、高台から望む景色も煌びやかさを増していた。
 聞こえてくる笑い声や囃し立てる叫びが、リリーの心の奥に隠したはずの寂しさを引きずり出す。
 警吏所でひとり寄る辺なく過ごすリリーの心は沈んでいった。

「あたしは間違っちゃない、よね」

 自分の判断に間違いはないと言いきれる。
 リリーは何度もケインの妻とあって話をしたことがある。彼女はおとなしめな性格で、いつもケインの背中に体を半分隠しているような控えめな女性だった。
 自身の不安を押し殺し、ケインには仕事に行けと言っただろう。彼女だったらそうするはずだと確信が持てた。
 ケインもそばにいたかったはずだ。
 彼は、仕事と妻のどちらを取るかと言われたら即断で妻と言い切るほどの愛妻家もでもあった。隊長も見るに見かねての判断だったに違いない。
 自分を納得させるためにも、リリーはそう考えた。

「あたしが我慢すれば、丸く収まるんだよな」

 自分に言い聞かせるように繰り返される言葉。
 肌を刺す夜風を頬に感じながら、リリーは見張り台に佇んでいる。
 眼下からは音楽に酔いしれる調子はずれの歌声が耳をかすめていく。浮かれた空気は高台にある警吏所まで伝搬してきた。
 星のように瞬く街の灯を眺めながら、リリーは大きなため息をつく。

「今頃は、ガットもあそこであの娘と楽しんでるかな」

 脳裏に浮かぶ花屋の娘と仲良く話をしているガットの姿。自分のものだと思っていたのに、知らぬ間に横取りされていた。
 耳のよみがえるのは昨晩の酒場の女将の言葉。あとを継ぐために、工房のために働くガットには、ご褒美が与えられた。
 でも、それは自分ではない。
 胸の奥に、気が付かないようにしていた痛みが、じくじくと大きくなっていく。
 どうして自分ではなくあの娘なのか。小さい時から近くにいた自分ではないのか。
 自分を選ばなかったガットの目は節穴じゃないのか。自分の魅力に気が付かない鈍感で朴念仁でオタンチンではないのか。

「そうだ、あいつが悪いんだ。あたしっていう存在が身近にいたのに、気が付かないアイツが、悪いんだ!」

 怒りの矛先が、だんだんとガットに向かっていく。
 八つ当たりである。であるが、今のリリーには誤魔化しと八つ当たりの区別はつかない。
 認めたくない事実がのさばっている現実に対応しきれず、心が泣いているのだ。

「バッカやろーーーーーー!!」

 リリーは感情のままに叫んだ。心の嘆きは夜空に響く雑踏にかき消され、晴れない気持ちとは裏腹に、あっという間に闇に呑まれていった。
 おさまらないリリーは見張り台の手すりを掴んだ。身を乗り出し、夜空に吠える。

「ガットの、バカやろーー!」

 リリーはぐっと唇をかみしめた。叫べども気持ちは昂るばかりだ。ここまで彼を好きだったとは自分でも思っておらず、それ故に返ってくるダメージも大きかった。
 今頃気が付いたって遅いんだ。
 じくじたる思いに囚われたリリーは、奥歯をかみしめ唸る。
 自分だって真面目に警吏騎士を務めあげてきたつもりだった。つもりだっただけで、他人から見た自分の評価が聞けたわけでは無い。
 ガサツでおおざっぱ。街の子供たちからはよくからかわれた。
 だから神様は自分にご褒美はくれなかったのか。

「あたしだって、あたしだってご褒美が欲しいんだぁぁ! ガットのバカァァァ!!」
「何度もバカバカ言いやがって。言われなくったって自覚してるって」

 聞き覚えのある声が悪態をついた。涙をため込んだ目を限界まで開き、リリーは声のした方を見る。高台への階段を登ってくるランタンが揺れている。
 ぼんやりと浮かび上がる、見知った顔。

「ガガガガット!?」

 リリーの目には、大きな袋を担いでえっちらおっちら階段を登るガットの姿が映った。
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