53 / 59
ロレッタの望み
第五話 語りはしない無表情な男
しおりを挟む
クルツに案内されたのは王城の中庭にある庭園の端っこだった。端っこと言っても壁からは離れており日当たりは良い場所だ。
そこには庭園にはそぐわない、小麦が植えてあった。その一角だけ黄金色の穂を風にたゆとうているのだ。背丈も色も微妙に違うものが数種類植えてある。
「これは、小麦ですか?」
ハンナが小麦の穂を指でつつきながらクルツに尋ねている。穂にはたくさんの実がなっていて、これが畑一面に広がっていれば豊作だろうと思えるほどだ。
「えぇ、そうですよ」
クルツも歩み寄り腰を落とした。
「小麦って春に種まき、ですよね?」
ハンナが首を捻ってクルツに問うている。確かに小麦は春と秋にまくのだ。そして冬に収穫する。つまり今は種か発芽したばかりのはずだ。
「品種改良で時期をずらして収穫できるものも開発されたんです。ちょうど病気にかかりやすい時期を種でやり過ごせるようにです」
「へぇ~。凄いですね」
ハンナはクルツにニコッと微笑んでいる。ハンナは幸薄い顔だが笑うと可愛らしくなる。笑顔を向けられたクルツは相変わらずの無表情だが、ロレッタはなんとなく胃の辺りがムズムズしていた。
「で、これをどうするの?」
ちょっとイラついているロレッタは、割って入るようにハンナのすぐそばにしゃがみ込む。そして小麦を指でつつく。
「これは、エクセリオン帝国に持っていく種です」
「帝国に?」
ロレッタとハンナは声を揃えて疑問を呈した。ロレッタは小麦の病気で帝国が窮地にあることはなんとなく聞いているが、解決方法などは全く知らない。病気というくらいだから何か薬でも持っていくのかな、という認識しかないのだ。
「向こうで難儀している病気は、分かってはいるんです。でも帝国の穀倉地帯の地質が我が国と同じとは限りません。気候も多少違うでしょう。勿論薬は持っていきますが、それでは対処療法にしかならないのです。向こうの風土に合わせた、病気に強い品種を育てていかねば、解決にはならないのです」
クルツは二人にも分かる様、難しい専門用語を極力なくし、説明していた。おかげでロレッタにも理解できた。
「ってことは、この種を持っていくんだ」
ロレッタは首を後ろに向かせ、クルツを見上げた。
「えぇ、向こうで栽培して数を増やすんです。それと現地の小麦との交配です。より強い種にするために」
クルツは淀みなくすらすらと説明をしてくる。結構専門的な事を話しているとロレッタは感じた。知識が無ければ、素人とのロレッタがここまで理解することはできないはずだ。
「クルツさんは、良く知ってるのね」
ロレッタは素直に感心した。細かい気配りができることといい、知識があることと言い、今まで会ったことのあるどの男性ともタイプは違っている。無表情なのがちょっと減点だが、美男子といえる顔なのだから、笑顔は素敵なんだろうと、漠然と思った。
「いえ、たまたま知っていただけです」
クルツは眼鏡のブリッジを指でくいっとあげた。
「数年前まで戦争をしていた間柄ですが、食料不足で民が苦しむところは、他国と言えども見たくはないです」
そう言うクルツの眼鏡の奥にある青い瞳は、寂しそうに揺れている。ロレッタにはそう見えた。クルツは静かに続ける。
「それに帝国が不安定になると難民が我が国に流入してくるでしょう。多少なら面倒は見れますが、止めどなく溢れてくるようなら我が国も危険になります。これは我が国にとっての安全保障でもあるのです」
クルツの説明にロレッタもハンナも聞き入ってしまっていた。風に揺れる黄金の穂が立てるさわさわとした音が、やけに大きく聞こえる。
ネイサンがわざわざ帝国へと行ったのは、こんな事情もあるからなのだ。捕らわれた彼を連れ戻すのは、どちらかというとついでだったのかもしれない、とロレッタは思ってしまった。これから向こうでは大変だろうと不安になるが、帝国にいる彼には寄り添ってくれる相手がいるのだ。何とかしてくれるだろう。
そう考えると胸の奥がキリキリと痛むが、ロレッタは気が付かないふりをした。
「ロゼッタさん、どうされましたか?」
その声にハッと顔をあげれば、ちょっとだけ心配そうに眉をさげたクルツが様子を窺ってきてるのが目に入る。ロレッタはきゅっと手を握り「なんでもない」とそっけなく返した。
「……そうですか」
クルツは追及することなく、あっさりと引き下がる。その事にロレッタは安堵の息を吐く。
それにしても、よく気が付いたわね。
無表情なクルツの顔をちらっと見ながら、ロレッタはそんな事を思った。
その日は無事に屋敷に帰る事が出来たロレッタは、当然の如くネイサンに呼び出しをくらい、こんこんと説教を受けていた。
「門の所で気が付いたのがクルツだから良かったものの、あれが他の貴族だったら大変な事になっていたのだぞ!」
ネイサンの顔は真剣だ。あそこで揉めたままだったら間違いなく兵士に連れていかれたはずだ。ロレッタがいくらリッチモンド家の娘だと言い張ったところで、妄言だと切り捨てられ、牢屋に入れられてしまっていただろう。ロレッタが屋敷に戻らない事で大騒ぎになり、王城でとらえられている娘がロレッタだと分るまで、王都中で捜索がされていたことも予想できる。
公爵令嬢が王城に忍び込もうとするなど、よくある事では済まされないし、ネイサンや王城で働く兄たちにも迷惑がかかるのだ。
万が一兵士に弄ばれでもしたら、ロレッタの尊厳が無になってしまう。当然嫁ぐ事もできず、一生領地に引きこもる羽目になっていたろう。
「結果的に、何とかなりました!」
ロレッタはそれが分っていない。自分がやったことによる影響が予想できないのだろう。ネイサンも額に皺を作り、どうしたものかと唸っている。
「ロレッタ。お前は公爵の娘なのだ。軽々しく行動してはならん。お前が動くことによって、大勢の人間が影響を受け、迷惑を被るのだ。それは覚えておきなさい」
「分っていますわ!」
ロレッタは強気で突っぱねる。箱入りで育てられた令嬢故に、外を知ってしまうと興味が湧いて仕方がないのだ。それに輪をかけているのが、屋敷を訪れる貴族の男への呆れだ。
「また週末には夜会がある。それまでは屋敷でおとなしくしていてくれ」
「屋敷にいてもつまらない男性ばかり来るので、辟易してしまいます! その、クルツさんの様な大人な男性はいないのですか?」
ネイサンが説得するがロレッタも負けじと反論する。その際クルツの名前を出すときに、彼の無表情だが少し寂しそうな顔が脳裏に浮かんだ。
「アイツは特別だ。アレが無ければ逸材で、囲っておきたいくらいだ」
そんなネイサンの言葉に、ロレッタはふと思い出した。
「そういえば、今日王城の廊下で品のない男性に絡まれた時に、クルツさんが後ろ盾がどうとか捨て台詞で言われてましたが、アレはなんです?」
ロレッタは眉を顰めながらネイサンに聞く。昼間のあの男を思い出し、嫌な気分になってしまったのだ。数日前にロレッタを見ているはずだが、彼女とは気が付かず、胸や尻などをじろじろと見ているいやらしい視線を思い出し、ぶるっと身体を震わせる。あんな品の欠片もない様な男など、ロレッタはお断りだった。
そんなロレッタの様子を見ていたネイサンが重そうな口を開いた。
「……クルツはな、男爵なのだ。普通なら王城で官僚の役につく事は無い。爵位で言えば一番下だしな」
ネイサンは静かに、呟く様に語る。
「元々は地方の役人だったのだ。たまたま視察で出向いた先にいてな。えらく有能で部下に欲しかったから王城へ連れてきたんだ。クルツは王城でもその能力をいかし、官僚として十分な働きをしておった。だが爵位の低いものが王城で官僚になる事を毛嫌う貴族も居てな。クルツは大分苛められていたようだった」
ロレッタは話を聞いているが、どうも納得できないでいる。能力があるならば、それなりの地位に行くのは当然ではないのかと。そう思うのだ。
「苛めるって、単に妬んでるだけでしょ!」
ロレッタは我慢しきれずに声を上げた。だがネイサンは力なく首を横に振る。
「貴族にとって爵位での上下は絶対だ。自分よりも下の地位のクルツが官僚として活躍しているのが許せないという、心の狭い貴族は多い。クルツの様な奴は例外だ」
「なんでよ。能力があって国のためになってるんだから、そこ認めるべきよ! なんなの、その、せこい考えは!」
ロレッタは頬を膨らませて怒った。ネイサンはゆっくりと目を瞑り、静かに語りだす。
「お前は生まれながら公爵の娘だ。王族を除いては上位の貴族がいないから分らんのだ」
ネイサンが言う様に、ロレッタは貴族でも最上位と言える公爵の令嬢だ。だからこそ、どこに行っても丁寧に扱われ、ロレッタもそれが当然と思っている。だが中位や下位の貴族は違う。明け透けに区別され、扱いも適当だったりもする。だから彼らは自分よりも下位の貴族が相手だと同じような振る舞いをするのだ。
クルツは父親を亡くし、すでに男爵。爵位で見ると一番下だ。王城の貴族から見れば、一番いじめられやすい立場にあるのだ。そして当然の如く苛められている。
「私はクルツを何かと庇ったが、それも彼等から見れば気に入らない原因になっていたのだろうなぁ……」
ロレッタはようやく理解した。クルツの後ろ盾とは彼を連れてきたネイサンであり、そのネイサンは、退きはしたが宰相という内政でトップにいた人物だ。王城の貴族から見ても羨望の地位だ。その人物がよりによって一番地位の低いクルツに目をかけていれば反発もあるだろう。
それが、あの時の彼の悲しそうな目の原因だった。そしてロレッタはある疑問に辿り着く。その疑問の答えを売るべく、ネイサンに聞く。
「お父様が引退した後は、クルツさんはどうなるの?」
「……恐らく、早々に王城を追い出されるだろうな。陛下もクルツの有能さと国への貢献度は分っているが、王城内の貴族の反発が高まれば、黙っているわけにもいかんだろう……」
ネイサンの最後の言葉は殆どかすれてしまっていた。ロレッタはその答えに絶句したが、すぐにネイサンに食い掛かった。
「何とかならないの? だって有能なんでしょ? あたしの時だって、細かい気遣いもしてくれたし、兵士と揉めてた時も、あたしに気が付いて助けてくれたのよ! なんでできる人間が追い出されなきゃならないの!」
ロレッタは火がついたように喚いた。ネイサンは深くため息をついてロレッタを見てくる。
「以前、クルツに縁談を持ちかけたことがある。いずれ王城を追い出されるのならば、いっそ我が家系に連なる貴族のどこかに婿入りさせようかとも思った。王城を追い出されると言う事は、能力なしと断ぜられたと思われてしまうからな。それが真実ではなくとも、周囲はそうとってしまう。それではクルツが不憫だ」
ネイサンはそこで小さく息をつき、下を向いた。
「だがクルツは縁談を断ってきた。なんでも幼いころから仲が良かった令嬢と婚約をしていたそうだが、もっと地位の高い貴族にとられてしまったそうだ。それ以来、婚約だ婚姻だとかを信じることが出来なくなってしまったようでな。どうせ最後にひっくり返されるのだ、と。だからあの歳まで独りなのだ」
ロレッタは目を瞬かせた。クルツは所帯持ちだと思ったからだ。あの落ち着き様と女性に対する気の利きようは、妻帯者ならでは、と思っていたが違ったようだ。
「クルツさんて、独身だったの?」
「あぁ、アイツはそんな理由で、そういう事は言わないからな」
ネイサンも仕方がないと言わんばかりのため息をつく。
「ふーん」
ロレッタは生返事をした。だがロレッタの中で、彼に対する評価がまた違ったものになりつつあったが、彼女自身その事には気が付いていない。
そこには庭園にはそぐわない、小麦が植えてあった。その一角だけ黄金色の穂を風にたゆとうているのだ。背丈も色も微妙に違うものが数種類植えてある。
「これは、小麦ですか?」
ハンナが小麦の穂を指でつつきながらクルツに尋ねている。穂にはたくさんの実がなっていて、これが畑一面に広がっていれば豊作だろうと思えるほどだ。
「えぇ、そうですよ」
クルツも歩み寄り腰を落とした。
「小麦って春に種まき、ですよね?」
ハンナが首を捻ってクルツに問うている。確かに小麦は春と秋にまくのだ。そして冬に収穫する。つまり今は種か発芽したばかりのはずだ。
「品種改良で時期をずらして収穫できるものも開発されたんです。ちょうど病気にかかりやすい時期を種でやり過ごせるようにです」
「へぇ~。凄いですね」
ハンナはクルツにニコッと微笑んでいる。ハンナは幸薄い顔だが笑うと可愛らしくなる。笑顔を向けられたクルツは相変わらずの無表情だが、ロレッタはなんとなく胃の辺りがムズムズしていた。
「で、これをどうするの?」
ちょっとイラついているロレッタは、割って入るようにハンナのすぐそばにしゃがみ込む。そして小麦を指でつつく。
「これは、エクセリオン帝国に持っていく種です」
「帝国に?」
ロレッタとハンナは声を揃えて疑問を呈した。ロレッタは小麦の病気で帝国が窮地にあることはなんとなく聞いているが、解決方法などは全く知らない。病気というくらいだから何か薬でも持っていくのかな、という認識しかないのだ。
「向こうで難儀している病気は、分かってはいるんです。でも帝国の穀倉地帯の地質が我が国と同じとは限りません。気候も多少違うでしょう。勿論薬は持っていきますが、それでは対処療法にしかならないのです。向こうの風土に合わせた、病気に強い品種を育てていかねば、解決にはならないのです」
クルツは二人にも分かる様、難しい専門用語を極力なくし、説明していた。おかげでロレッタにも理解できた。
「ってことは、この種を持っていくんだ」
ロレッタは首を後ろに向かせ、クルツを見上げた。
「えぇ、向こうで栽培して数を増やすんです。それと現地の小麦との交配です。より強い種にするために」
クルツは淀みなくすらすらと説明をしてくる。結構専門的な事を話しているとロレッタは感じた。知識が無ければ、素人とのロレッタがここまで理解することはできないはずだ。
「クルツさんは、良く知ってるのね」
ロレッタは素直に感心した。細かい気配りができることといい、知識があることと言い、今まで会ったことのあるどの男性ともタイプは違っている。無表情なのがちょっと減点だが、美男子といえる顔なのだから、笑顔は素敵なんだろうと、漠然と思った。
「いえ、たまたま知っていただけです」
クルツは眼鏡のブリッジを指でくいっとあげた。
「数年前まで戦争をしていた間柄ですが、食料不足で民が苦しむところは、他国と言えども見たくはないです」
そう言うクルツの眼鏡の奥にある青い瞳は、寂しそうに揺れている。ロレッタにはそう見えた。クルツは静かに続ける。
「それに帝国が不安定になると難民が我が国に流入してくるでしょう。多少なら面倒は見れますが、止めどなく溢れてくるようなら我が国も危険になります。これは我が国にとっての安全保障でもあるのです」
クルツの説明にロレッタもハンナも聞き入ってしまっていた。風に揺れる黄金の穂が立てるさわさわとした音が、やけに大きく聞こえる。
ネイサンがわざわざ帝国へと行ったのは、こんな事情もあるからなのだ。捕らわれた彼を連れ戻すのは、どちらかというとついでだったのかもしれない、とロレッタは思ってしまった。これから向こうでは大変だろうと不安になるが、帝国にいる彼には寄り添ってくれる相手がいるのだ。何とかしてくれるだろう。
そう考えると胸の奥がキリキリと痛むが、ロレッタは気が付かないふりをした。
「ロゼッタさん、どうされましたか?」
その声にハッと顔をあげれば、ちょっとだけ心配そうに眉をさげたクルツが様子を窺ってきてるのが目に入る。ロレッタはきゅっと手を握り「なんでもない」とそっけなく返した。
「……そうですか」
クルツは追及することなく、あっさりと引き下がる。その事にロレッタは安堵の息を吐く。
それにしても、よく気が付いたわね。
無表情なクルツの顔をちらっと見ながら、ロレッタはそんな事を思った。
その日は無事に屋敷に帰る事が出来たロレッタは、当然の如くネイサンに呼び出しをくらい、こんこんと説教を受けていた。
「門の所で気が付いたのがクルツだから良かったものの、あれが他の貴族だったら大変な事になっていたのだぞ!」
ネイサンの顔は真剣だ。あそこで揉めたままだったら間違いなく兵士に連れていかれたはずだ。ロレッタがいくらリッチモンド家の娘だと言い張ったところで、妄言だと切り捨てられ、牢屋に入れられてしまっていただろう。ロレッタが屋敷に戻らない事で大騒ぎになり、王城でとらえられている娘がロレッタだと分るまで、王都中で捜索がされていたことも予想できる。
公爵令嬢が王城に忍び込もうとするなど、よくある事では済まされないし、ネイサンや王城で働く兄たちにも迷惑がかかるのだ。
万が一兵士に弄ばれでもしたら、ロレッタの尊厳が無になってしまう。当然嫁ぐ事もできず、一生領地に引きこもる羽目になっていたろう。
「結果的に、何とかなりました!」
ロレッタはそれが分っていない。自分がやったことによる影響が予想できないのだろう。ネイサンも額に皺を作り、どうしたものかと唸っている。
「ロレッタ。お前は公爵の娘なのだ。軽々しく行動してはならん。お前が動くことによって、大勢の人間が影響を受け、迷惑を被るのだ。それは覚えておきなさい」
「分っていますわ!」
ロレッタは強気で突っぱねる。箱入りで育てられた令嬢故に、外を知ってしまうと興味が湧いて仕方がないのだ。それに輪をかけているのが、屋敷を訪れる貴族の男への呆れだ。
「また週末には夜会がある。それまでは屋敷でおとなしくしていてくれ」
「屋敷にいてもつまらない男性ばかり来るので、辟易してしまいます! その、クルツさんの様な大人な男性はいないのですか?」
ネイサンが説得するがロレッタも負けじと反論する。その際クルツの名前を出すときに、彼の無表情だが少し寂しそうな顔が脳裏に浮かんだ。
「アイツは特別だ。アレが無ければ逸材で、囲っておきたいくらいだ」
そんなネイサンの言葉に、ロレッタはふと思い出した。
「そういえば、今日王城の廊下で品のない男性に絡まれた時に、クルツさんが後ろ盾がどうとか捨て台詞で言われてましたが、アレはなんです?」
ロレッタは眉を顰めながらネイサンに聞く。昼間のあの男を思い出し、嫌な気分になってしまったのだ。数日前にロレッタを見ているはずだが、彼女とは気が付かず、胸や尻などをじろじろと見ているいやらしい視線を思い出し、ぶるっと身体を震わせる。あんな品の欠片もない様な男など、ロレッタはお断りだった。
そんなロレッタの様子を見ていたネイサンが重そうな口を開いた。
「……クルツはな、男爵なのだ。普通なら王城で官僚の役につく事は無い。爵位で言えば一番下だしな」
ネイサンは静かに、呟く様に語る。
「元々は地方の役人だったのだ。たまたま視察で出向いた先にいてな。えらく有能で部下に欲しかったから王城へ連れてきたんだ。クルツは王城でもその能力をいかし、官僚として十分な働きをしておった。だが爵位の低いものが王城で官僚になる事を毛嫌う貴族も居てな。クルツは大分苛められていたようだった」
ロレッタは話を聞いているが、どうも納得できないでいる。能力があるならば、それなりの地位に行くのは当然ではないのかと。そう思うのだ。
「苛めるって、単に妬んでるだけでしょ!」
ロレッタは我慢しきれずに声を上げた。だがネイサンは力なく首を横に振る。
「貴族にとって爵位での上下は絶対だ。自分よりも下の地位のクルツが官僚として活躍しているのが許せないという、心の狭い貴族は多い。クルツの様な奴は例外だ」
「なんでよ。能力があって国のためになってるんだから、そこ認めるべきよ! なんなの、その、せこい考えは!」
ロレッタは頬を膨らませて怒った。ネイサンはゆっくりと目を瞑り、静かに語りだす。
「お前は生まれながら公爵の娘だ。王族を除いては上位の貴族がいないから分らんのだ」
ネイサンが言う様に、ロレッタは貴族でも最上位と言える公爵の令嬢だ。だからこそ、どこに行っても丁寧に扱われ、ロレッタもそれが当然と思っている。だが中位や下位の貴族は違う。明け透けに区別され、扱いも適当だったりもする。だから彼らは自分よりも下位の貴族が相手だと同じような振る舞いをするのだ。
クルツは父親を亡くし、すでに男爵。爵位で見ると一番下だ。王城の貴族から見れば、一番いじめられやすい立場にあるのだ。そして当然の如く苛められている。
「私はクルツを何かと庇ったが、それも彼等から見れば気に入らない原因になっていたのだろうなぁ……」
ロレッタはようやく理解した。クルツの後ろ盾とは彼を連れてきたネイサンであり、そのネイサンは、退きはしたが宰相という内政でトップにいた人物だ。王城の貴族から見ても羨望の地位だ。その人物がよりによって一番地位の低いクルツに目をかけていれば反発もあるだろう。
それが、あの時の彼の悲しそうな目の原因だった。そしてロレッタはある疑問に辿り着く。その疑問の答えを売るべく、ネイサンに聞く。
「お父様が引退した後は、クルツさんはどうなるの?」
「……恐らく、早々に王城を追い出されるだろうな。陛下もクルツの有能さと国への貢献度は分っているが、王城内の貴族の反発が高まれば、黙っているわけにもいかんだろう……」
ネイサンの最後の言葉は殆どかすれてしまっていた。ロレッタはその答えに絶句したが、すぐにネイサンに食い掛かった。
「何とかならないの? だって有能なんでしょ? あたしの時だって、細かい気遣いもしてくれたし、兵士と揉めてた時も、あたしに気が付いて助けてくれたのよ! なんでできる人間が追い出されなきゃならないの!」
ロレッタは火がついたように喚いた。ネイサンは深くため息をついてロレッタを見てくる。
「以前、クルツに縁談を持ちかけたことがある。いずれ王城を追い出されるのならば、いっそ我が家系に連なる貴族のどこかに婿入りさせようかとも思った。王城を追い出されると言う事は、能力なしと断ぜられたと思われてしまうからな。それが真実ではなくとも、周囲はそうとってしまう。それではクルツが不憫だ」
ネイサンはそこで小さく息をつき、下を向いた。
「だがクルツは縁談を断ってきた。なんでも幼いころから仲が良かった令嬢と婚約をしていたそうだが、もっと地位の高い貴族にとられてしまったそうだ。それ以来、婚約だ婚姻だとかを信じることが出来なくなってしまったようでな。どうせ最後にひっくり返されるのだ、と。だからあの歳まで独りなのだ」
ロレッタは目を瞬かせた。クルツは所帯持ちだと思ったからだ。あの落ち着き様と女性に対する気の利きようは、妻帯者ならでは、と思っていたが違ったようだ。
「クルツさんて、独身だったの?」
「あぁ、アイツはそんな理由で、そういう事は言わないからな」
ネイサンも仕方がないと言わんばかりのため息をつく。
「ふーん」
ロレッタは生返事をした。だがロレッタの中で、彼に対する評価がまた違ったものになりつつあったが、彼女自身その事には気が付いていない。
0
お気に入りに追加
193
あなたにおすすめの小説
美しい貴婦人と隠された秘密
瀧 東弍
恋愛
使用人の母と貴族の屋敷で働く四歳の少女アネイシアは、当主の嫡子である十歳の少年ディトラスと親しくなり、親交を深めるようになる。
ところが三年目の夏、忌まわしい事件がおこり彼女は母親ともども屋敷を追い出された。
それから十年の時が過ぎ、貴族の父にひきとられていたアネイシアは、伯爵家の娘として嫁ぐよう命じられる。
結婚式当日、初めて目にした夫があのディトラスだと気づき驚くアネイシア。
しかし彼女は、自分が遠い日の思い出の少女だと告げられなかった。
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
【コミカライズ決定】魔力ゼロの子爵令嬢は王太子殿下のキス係
ayame@コミカライズ決定
恋愛
【ネトコン12受賞&コミカライズ決定です!】私、ユーファミア・リブレは、魔力が溢れるこの世界で、子爵家という貴族の一員でありながら魔力を持たずに生まれた。平民でも貴族でも、程度の差はあれど、誰もが有しているはずの魔力がゼロ。けれど優しい両親と歳の離れた後継ぎの弟に囲まれ、贅沢ではないものの、それなりに幸せな暮らしを送っていた。そんなささやかな生活も、12歳のとき父が災害に巻き込まれて亡くなったことで一変する。領地を復興させるにも先立つものがなく、没落を覚悟したそのとき、王家から思わぬ打診を受けた。高すぎる魔力のせいで身体に異常をきたしているカーティス王太子殿下の治療に協力してほしいというものだ。魔力ゼロの自分は役立たずでこのまま穀潰し生活を送るか修道院にでも入るしかない立場。家族と領民を守れるならと申し出を受け、王宮に伺候した私。そして告げられた仕事内容は、カーティス王太子殿下の体内で暴走する魔力をキスを通して吸収する役目だったーーー。_______________
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました
三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。
助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい…
神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた!
しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった!
攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。
ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい…
知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず…
注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる