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ロレッタの望み
第三話 トラブルと無表情な男
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街歩きを成功させたロレッタだが、ネイサン帰宅後に彼の部屋に呼び出された。ロレッタは何だろうと思いつつも、素直に従った。そして開口一番こう言われたのだ。
「ロレッタ。日中、街へ行ったそうだな」
椅子に腰かけるネイサンが眼つき鋭くロレッタに詰問してくる。街の散策を満喫したロレッタは気が付かれていないと思っていたのだ。屋敷の使用人には口封じを命じたし、店であったクルツには人違いと言い切り逃れたと思っていたのだ。
「お父様、何故それを?」
言い訳をしても無駄であろうオーラを纏ったネイサンを騙すなど、ロレッタでは無理だ。頭脳優秀な初恋の彼でも無理だろう。ロレッタは大人しく観念した。
「報告が上がって来たのだ。お前は自分のしたことが分かっているのか? もしお前に何かあった場合、一緒に行ったハンナは責任を取らされ、侍女を首になってしまうのだぞ?」
ネイサンの言葉にロレッタは絶句する。思いついて連れ出したのは自分なのだから責められるべきは自分だと思っていた。ちっともハンナは悪くない。
「何故なんです? 悪いのは私でしょう! ハンナは心配で私についてきてくれたんです。むしろ褒めるべきです!」
納得のいかないロレッタはネイサンに食い下がる。強い口調で捲し立てた。だがネイサンがにべもなく答える。
「お前とハンナでは身分が違う。お前に何か会った場合、当家が傷つくのだ。ハンナが傷ついても変わりがいるが、お前には代わりはいないいのだぞ?」
ネイサンに正論を言われ、ロレッタは押し黙った。ハンナの代わりはいるなどど言われて頭にはきたが、反論できなかったのだ。
「屋敷にいて暇なのはわかる。だが、出かけるのであれば、せめて事前に相談せい。それと護衛は必ずつけるように」
「……はい、分りましたお父様」
護衛なんか付けたら自由に出歩けないじゃない!
ロレッタは、心の内では猛反発しているが口には出せない。友人がいれば遊びに行くことも出来ようが、蝶よ花よと深窓の令嬢として育てられたロレッタには兄以外には初恋の彼しか親しい友人と呼べるものはいなかった。公爵であるがゆえに他の貴族の令嬢とは仲良くなれなかったのもあるのだが。
「すまんが、自重しておいてくれ」
ネイサンは深いため息をついた。
自室に戻ったロレッタはすぐに次の作戦を考えついた。街が危ないと言うのならば、安全と思われる城に行けば良い。ネイサンへの反抗もあるのだろうが、何としても屋敷にはいたくないロレッタの頭はフル回転したのだ。
「そうよ、王城なら安全ね! お父様もいるし」
夜会で迷子になった時、クルツだったから良かったものの、と言われた事など頭からすっかりと無くなっているのか、ロレッタは楽しそうに拳を握りしめた。
「ハンナにも話をしなきゃ!」
ロレッタは早速ハンナの部屋を襲撃した。ロレッタは懲りていない。
翌朝、「自重してなさい」とネイサンに釘を刺されたロレッタだが、既に計画は実行に移されていた。今日の服装は王城での下働きの下女を装ったものだ。栗色の髪も少し乱れ気味にして、化粧は殆どしないすっぴんに近いものだ。とても公爵令嬢のする格好ではない。
「お嬢様、本当に、行かれるのですか?」
同じく下女の格好をしたハンナが不安げな顔で確認している。ハンナもネイサンから直々に説教を喰らっているのだ。ロレッタ付きの侍女とはいえネイサンを怒らせれば屋敷を追い出されてしまうだろう。
「当然よ!」
腰に手を当てにっこりと微笑み、自信たっぷりなロレッタの横でハンナが小さくため息をついた。
下女に変身したロレッタとハンナは早朝の大通りの隅っこを、二人ならんでチマチマと歩いていた。登城する馬車がひっきりなしに通過するので端にいないと轢かれてしまいそうで危ないのだ。
「荒っぽい馬車ねぇ」
「朝は登城の役人が多いから、危険なんですよ」
眉をひそめたロレッタのぼやきにハンナが律儀に答えていく。転がっている馬糞を避けながら二人は歩き続ける事五分、王城が見えた。
「お嬢様、こちらからです」
堂々と正面から入ろうとするロレッタの袖をハンナが引っ張る。正面の脇には歩行者用の入り口があって、そこからはいる事になっているのだ。そっちを見れば若い兵士数人が門の両側に立って中に入る人間のチェックをしているのが見える。
「なによ、あれじゃ分らないじゃない!」
ロレッタはぷいっと顔を背けた。ハンナが「まぁまぁ」と宥めるが、ロレッタの鼻息は荒い。そんな事をしていると門を守る強面の兵士に怒鳴られる。
「そこにいると邪魔になる。入るならさっさと入れ」
その大きな声に二人はビクッと肩を震わせた。特にロレッタは驚いたのか、足をカクカクといわせている。
「お嬢様?」
ハンナが心配そうな顔で話しかけてくるがロレッタは「だ、大丈夫っ」と返した。本当は怖かったのだが意地で耐えたのだ。
「それと今日は「お嬢様」じゃなくて「ロゼッタ」って呼んでって言ったでしょ?」
「そ、そうでしたね、ロ、ロゼッタ、様」
「様はいらないわよ」
「は、はい!」
ロレッタは静かに窘めた。流石に本名は不味いからと、似たような名前のロゼッタと名乗ることにしたのだ。
「ほら、行くわよ」
ロレッタは街娘らしく気取らずに歩き、門を潜ろうとした。
「おい、許可証はどうした」
両脇に立っている兵士の一人がロレッタに問いかけてくる。ロレッタはびっくりして彼の顔を見た。見られた兵士はロレッタの顔を見て少し頬を赤らめたが、すぐに真面目な顔に戻る。
「許可証……」
王城であるから厳しい警備体制が敷かれている。仕事で中に入る者に対しては許可証が発行されるのだ。夜会などで貴族の子息子女が来る場合は招待状が送られるので、それを見せればよかったのだ。当然ロレッタはそんな事は知らない。
「うん? 許可証が無いのか?」
「えぇっと、忘れてしまったようで……」
訝しむ兵士にハンナは答えた。頭を掻きながら「すみません」と苦笑いしている。ロレッタに任せるとボロが出るからだろう。当のロレッタはそれを理解し黙っている。
「うーん、忘れちゃ中には入れられないなぁ」
兵士も困った顔になった。許可証が無ければ王城にいれてはいけない、という決め事があるのだろう。兵士の独断でその決まりを破るわけにはいかないのだ。
「で、でもいかないと仕事が……」
ハンナは胸の前で手を組んでお願いポーズをとっている。ロレッタほどではないがハンナも可愛げのある顔で、胸も大きい。その女の武器をいかんなく発揮できる、あざとい角度とポーズで兵士に訴えているのだ。潤んだ目に見つめられている兵士はたじろぎ「うっ」と呻く。
「ダ、ダメだダメだ! 規則で決まってるんだ。許可証なき者を城に入れるわけにはいかないんだ!」
兵士は煩悩を振り切って役目を果たした。
「何よ、ケチ」
ロレッタがぼそりと呟いた。その呟きを拾った兵士がロレッタを睨み付ける。
「き、規則は規則だ! 大体許可証を忘れた方が悪いんだろうが!」
兵士がロレッタに怒鳴る。が、ロレッタも負けてはいない。
「人間だもの、忘れることだってあるわよ」
「なんだと!」
城門前でちょっとした騒ぎを起こしてしまっている。そんな騒ぎの中を、深緑色の官僚の服を着たクルツが通りかかる。周囲のことなど気にしていないような風体だが、一瞬だけ視線をロレッタとハンナに向け、ピタっと止まった。じっとロレッタを凝視してくる。
うわ、またこの人だ。不味いんじゃなの、これ。
ロレッタは背中に嫌な汗を感じた。
「この娘が何か?」
クルツが兵士に尋ねているが、相変わらずの無表情だ。表情筋はサボタージュしているのだろうか。
「いえ、何でも許可証を忘れたそうで」
「許可証?」
兵士の答えにクルツがぼそりと呟くと、顔の向きを変えロレッタを見てくる。ロレッタもハンナも額に汗をかいてしまっていた。その様子を見ていたクルツが小さく息を吐く。
「この娘たちは今日からネイサン閣下の所で雑作業をする予定なんだ。私が責任を取るから、彼女達を中に入れてくれないか。彼女たちがいないと閣下が困るんだ」
クルツは淡々と説明をすると、その兵士も納得したようだ。中にいれた責任は自分ではないからだろうか。
「分かりました。許可証は大事なものです。無くさない様にしっかりと教え込んでください」
「すまない。きっちり教育しておくよ」
クルツは兵士とそんな会話をして、再びロレッタとハンナに向きを変えてくる。二人は手を繋ぎ、ビクッと肩を震わせた。
「さて、行きましょうか」
無表情で彼は言った。
ロレッタとハンナはクルツの後をトコトコと歩いている。王城に来る時は馬車で通った道には、使用人と思われる男女がたくさん歩いていた。
「結構な人がいるのね」
「そりゃそうですよ。王都のお屋敷だって十人はいるんですよ?」
ロレッタとハンナはコソコソと囁くような声で話をしている。クルツに聞かれるとマズい。
「迷子にならない様についてきてください」
クルツが振り返ってきた。やはり無表情だ。
「何処に行くの?」
このままだとどこかに連れて行かれてしまうと考えたロレッタはクルツに尋ねた。ロレッタとしては王城探索と行きたいのだ。
「一旦閣下の部屋に行きます。このまま貴女を放置しておくと大変な事になってしまいます」
足を止めたクルツに正論を言われ、ぐうの音も出ないロレッタだが、このままでは王城散策という野望が潰えてしまう。
「あたしは下働きで来てるの。偉い人の所に行っても仕方ないの」
ロレッタは下女らしく見せるために言葉を選び、なんとかそれっぽく繕った。
「……確認してよろしいですか? 貴女は閣下のご息女のロレッタ様でよろしいんですよね?」
無表情の向こう側で何を考えているか不明だが、クルツはロレッタに確認をしてきた。眼鏡の奥の青い瞳はロレッタを見ているが、何を考えているのかは全く見えない。
「あたしはロゼッタっていうの。人違いよ」
ロレッタはその青い視線に耐えかね、ぷいっと視線を逃がした。
「……そうですか、ロゼッタさんですか。昨日街で見かけたのも貴女ですね」
クルツの言葉に「そうよ」とロレッタは答え「良く分ったわね」と続けた。
「醸し出す雰囲気が同じでしたので」
クルツはそう答えると向きを戻し歩き始めた。ロレッタとハンナも後についていく。何でわかったんだろう、とロレッタは首を捻った。ロレッタの変装はそれなりに上手く化けている。髪は荒く整え、髪型で顔を少し隠せば可愛い顔も隠せる。こうすると毎日でも見ていない限りロレッタだと分らないものだ。
「雰囲気、ね」
「高貴なオーラでも見えているんでしょうか?」
「そんなのあるの?」
「いえ、適当に言ってみただけです」
ロレッタとハンナはまたもこそこそと内緒話をしているのだった。
「ロレッタ。日中、街へ行ったそうだな」
椅子に腰かけるネイサンが眼つき鋭くロレッタに詰問してくる。街の散策を満喫したロレッタは気が付かれていないと思っていたのだ。屋敷の使用人には口封じを命じたし、店であったクルツには人違いと言い切り逃れたと思っていたのだ。
「お父様、何故それを?」
言い訳をしても無駄であろうオーラを纏ったネイサンを騙すなど、ロレッタでは無理だ。頭脳優秀な初恋の彼でも無理だろう。ロレッタは大人しく観念した。
「報告が上がって来たのだ。お前は自分のしたことが分かっているのか? もしお前に何かあった場合、一緒に行ったハンナは責任を取らされ、侍女を首になってしまうのだぞ?」
ネイサンの言葉にロレッタは絶句する。思いついて連れ出したのは自分なのだから責められるべきは自分だと思っていた。ちっともハンナは悪くない。
「何故なんです? 悪いのは私でしょう! ハンナは心配で私についてきてくれたんです。むしろ褒めるべきです!」
納得のいかないロレッタはネイサンに食い下がる。強い口調で捲し立てた。だがネイサンがにべもなく答える。
「お前とハンナでは身分が違う。お前に何か会った場合、当家が傷つくのだ。ハンナが傷ついても変わりがいるが、お前には代わりはいないいのだぞ?」
ネイサンに正論を言われ、ロレッタは押し黙った。ハンナの代わりはいるなどど言われて頭にはきたが、反論できなかったのだ。
「屋敷にいて暇なのはわかる。だが、出かけるのであれば、せめて事前に相談せい。それと護衛は必ずつけるように」
「……はい、分りましたお父様」
護衛なんか付けたら自由に出歩けないじゃない!
ロレッタは、心の内では猛反発しているが口には出せない。友人がいれば遊びに行くことも出来ようが、蝶よ花よと深窓の令嬢として育てられたロレッタには兄以外には初恋の彼しか親しい友人と呼べるものはいなかった。公爵であるがゆえに他の貴族の令嬢とは仲良くなれなかったのもあるのだが。
「すまんが、自重しておいてくれ」
ネイサンは深いため息をついた。
自室に戻ったロレッタはすぐに次の作戦を考えついた。街が危ないと言うのならば、安全と思われる城に行けば良い。ネイサンへの反抗もあるのだろうが、何としても屋敷にはいたくないロレッタの頭はフル回転したのだ。
「そうよ、王城なら安全ね! お父様もいるし」
夜会で迷子になった時、クルツだったから良かったものの、と言われた事など頭からすっかりと無くなっているのか、ロレッタは楽しそうに拳を握りしめた。
「ハンナにも話をしなきゃ!」
ロレッタは早速ハンナの部屋を襲撃した。ロレッタは懲りていない。
翌朝、「自重してなさい」とネイサンに釘を刺されたロレッタだが、既に計画は実行に移されていた。今日の服装は王城での下働きの下女を装ったものだ。栗色の髪も少し乱れ気味にして、化粧は殆どしないすっぴんに近いものだ。とても公爵令嬢のする格好ではない。
「お嬢様、本当に、行かれるのですか?」
同じく下女の格好をしたハンナが不安げな顔で確認している。ハンナもネイサンから直々に説教を喰らっているのだ。ロレッタ付きの侍女とはいえネイサンを怒らせれば屋敷を追い出されてしまうだろう。
「当然よ!」
腰に手を当てにっこりと微笑み、自信たっぷりなロレッタの横でハンナが小さくため息をついた。
下女に変身したロレッタとハンナは早朝の大通りの隅っこを、二人ならんでチマチマと歩いていた。登城する馬車がひっきりなしに通過するので端にいないと轢かれてしまいそうで危ないのだ。
「荒っぽい馬車ねぇ」
「朝は登城の役人が多いから、危険なんですよ」
眉をひそめたロレッタのぼやきにハンナが律儀に答えていく。転がっている馬糞を避けながら二人は歩き続ける事五分、王城が見えた。
「お嬢様、こちらからです」
堂々と正面から入ろうとするロレッタの袖をハンナが引っ張る。正面の脇には歩行者用の入り口があって、そこからはいる事になっているのだ。そっちを見れば若い兵士数人が門の両側に立って中に入る人間のチェックをしているのが見える。
「なによ、あれじゃ分らないじゃない!」
ロレッタはぷいっと顔を背けた。ハンナが「まぁまぁ」と宥めるが、ロレッタの鼻息は荒い。そんな事をしていると門を守る強面の兵士に怒鳴られる。
「そこにいると邪魔になる。入るならさっさと入れ」
その大きな声に二人はビクッと肩を震わせた。特にロレッタは驚いたのか、足をカクカクといわせている。
「お嬢様?」
ハンナが心配そうな顔で話しかけてくるがロレッタは「だ、大丈夫っ」と返した。本当は怖かったのだが意地で耐えたのだ。
「それと今日は「お嬢様」じゃなくて「ロゼッタ」って呼んでって言ったでしょ?」
「そ、そうでしたね、ロ、ロゼッタ、様」
「様はいらないわよ」
「は、はい!」
ロレッタは静かに窘めた。流石に本名は不味いからと、似たような名前のロゼッタと名乗ることにしたのだ。
「ほら、行くわよ」
ロレッタは街娘らしく気取らずに歩き、門を潜ろうとした。
「おい、許可証はどうした」
両脇に立っている兵士の一人がロレッタに問いかけてくる。ロレッタはびっくりして彼の顔を見た。見られた兵士はロレッタの顔を見て少し頬を赤らめたが、すぐに真面目な顔に戻る。
「許可証……」
王城であるから厳しい警備体制が敷かれている。仕事で中に入る者に対しては許可証が発行されるのだ。夜会などで貴族の子息子女が来る場合は招待状が送られるので、それを見せればよかったのだ。当然ロレッタはそんな事は知らない。
「うん? 許可証が無いのか?」
「えぇっと、忘れてしまったようで……」
訝しむ兵士にハンナは答えた。頭を掻きながら「すみません」と苦笑いしている。ロレッタに任せるとボロが出るからだろう。当のロレッタはそれを理解し黙っている。
「うーん、忘れちゃ中には入れられないなぁ」
兵士も困った顔になった。許可証が無ければ王城にいれてはいけない、という決め事があるのだろう。兵士の独断でその決まりを破るわけにはいかないのだ。
「で、でもいかないと仕事が……」
ハンナは胸の前で手を組んでお願いポーズをとっている。ロレッタほどではないがハンナも可愛げのある顔で、胸も大きい。その女の武器をいかんなく発揮できる、あざとい角度とポーズで兵士に訴えているのだ。潤んだ目に見つめられている兵士はたじろぎ「うっ」と呻く。
「ダ、ダメだダメだ! 規則で決まってるんだ。許可証なき者を城に入れるわけにはいかないんだ!」
兵士は煩悩を振り切って役目を果たした。
「何よ、ケチ」
ロレッタがぼそりと呟いた。その呟きを拾った兵士がロレッタを睨み付ける。
「き、規則は規則だ! 大体許可証を忘れた方が悪いんだろうが!」
兵士がロレッタに怒鳴る。が、ロレッタも負けてはいない。
「人間だもの、忘れることだってあるわよ」
「なんだと!」
城門前でちょっとした騒ぎを起こしてしまっている。そんな騒ぎの中を、深緑色の官僚の服を着たクルツが通りかかる。周囲のことなど気にしていないような風体だが、一瞬だけ視線をロレッタとハンナに向け、ピタっと止まった。じっとロレッタを凝視してくる。
うわ、またこの人だ。不味いんじゃなの、これ。
ロレッタは背中に嫌な汗を感じた。
「この娘が何か?」
クルツが兵士に尋ねているが、相変わらずの無表情だ。表情筋はサボタージュしているのだろうか。
「いえ、何でも許可証を忘れたそうで」
「許可証?」
兵士の答えにクルツがぼそりと呟くと、顔の向きを変えロレッタを見てくる。ロレッタもハンナも額に汗をかいてしまっていた。その様子を見ていたクルツが小さく息を吐く。
「この娘たちは今日からネイサン閣下の所で雑作業をする予定なんだ。私が責任を取るから、彼女達を中に入れてくれないか。彼女たちがいないと閣下が困るんだ」
クルツは淡々と説明をすると、その兵士も納得したようだ。中にいれた責任は自分ではないからだろうか。
「分かりました。許可証は大事なものです。無くさない様にしっかりと教え込んでください」
「すまない。きっちり教育しておくよ」
クルツは兵士とそんな会話をして、再びロレッタとハンナに向きを変えてくる。二人は手を繋ぎ、ビクッと肩を震わせた。
「さて、行きましょうか」
無表情で彼は言った。
ロレッタとハンナはクルツの後をトコトコと歩いている。王城に来る時は馬車で通った道には、使用人と思われる男女がたくさん歩いていた。
「結構な人がいるのね」
「そりゃそうですよ。王都のお屋敷だって十人はいるんですよ?」
ロレッタとハンナはコソコソと囁くような声で話をしている。クルツに聞かれるとマズい。
「迷子にならない様についてきてください」
クルツが振り返ってきた。やはり無表情だ。
「何処に行くの?」
このままだとどこかに連れて行かれてしまうと考えたロレッタはクルツに尋ねた。ロレッタとしては王城探索と行きたいのだ。
「一旦閣下の部屋に行きます。このまま貴女を放置しておくと大変な事になってしまいます」
足を止めたクルツに正論を言われ、ぐうの音も出ないロレッタだが、このままでは王城散策という野望が潰えてしまう。
「あたしは下働きで来てるの。偉い人の所に行っても仕方ないの」
ロレッタは下女らしく見せるために言葉を選び、なんとかそれっぽく繕った。
「……確認してよろしいですか? 貴女は閣下のご息女のロレッタ様でよろしいんですよね?」
無表情の向こう側で何を考えているか不明だが、クルツはロレッタに確認をしてきた。眼鏡の奥の青い瞳はロレッタを見ているが、何を考えているのかは全く見えない。
「あたしはロゼッタっていうの。人違いよ」
ロレッタはその青い視線に耐えかね、ぷいっと視線を逃がした。
「……そうですか、ロゼッタさんですか。昨日街で見かけたのも貴女ですね」
クルツの言葉に「そうよ」とロレッタは答え「良く分ったわね」と続けた。
「醸し出す雰囲気が同じでしたので」
クルツはそう答えると向きを戻し歩き始めた。ロレッタとハンナも後についていく。何でわかったんだろう、とロレッタは首を捻った。ロレッタの変装はそれなりに上手く化けている。髪は荒く整え、髪型で顔を少し隠せば可愛い顔も隠せる。こうすると毎日でも見ていない限りロレッタだと分らないものだ。
「雰囲気、ね」
「高貴なオーラでも見えているんでしょうか?」
「そんなのあるの?」
「いえ、適当に言ってみただけです」
ロレッタとハンナはまたもこそこそと内緒話をしているのだった。
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