第三騎士団の文官さん

海水

文字の大きさ
上 下
35 / 59
キツネとタヌキの逆襲

第三十二話 女のケジメ

しおりを挟む
 ロレッタとの決着がついてから数日後、ネイサンとロレッタ親子は帰国することになった。当初目的である麦の病気に対する援助とその見返りの条約締結が纏まったからだ。勿論アーガス王国の国王の印璽がないままでは条約締結は完了しない。このためにも帰国は必須だった。
 帝国に残るのは怪我をしているローイックとその護衛のハーヴィーの二名。人質になっていたジョン・ウィドーソンとオーガスタス・パーマーは帰国の途に就く。
 良く晴れた春のさわやかな風の中、早朝にもかかわらず宮殿前の広間には馬車が連なり、アーガス側の騎士達は馬の世話をしていた。

「俺は残ることになってるから、ネイサン閣下とロレッタ嬢を無事に国まで送りと届けてくれよ!」

 ハーヴィーは国に帰る騎士達に発破をかけていた。来た時同様に南関門まではエクセリオン帝国側の騎士も護衛に着く。ロレッタがいるから第三騎士団も数人加わることになっている。
 ローイックとキャスリーンは見送りの為にハーヴィーと共に宮殿前に来ていた。早朝ゆえに、帝国側からの見送りは少ない。その中でもヴァルデマルの姿はあった。ネイサンと挨拶を交わしているようだ。

「ローイック」

 杖をつきながらネイサンが歩いてきた。寄り添うように純白のワンピースのスカートを揺らすロレッタと、にこやかな笑みを浮かべるヴァルデマルもローイックに向かって歩いてくる。

「ネイサン閣下、おはようございます」
「おはようローイック、キャスリ-ン殿下。殿下は今日も麗しいですな」

 ネイサンはローイックをスルーしてキャスリーンの元へ向かい、深々と頭を下げた。

「あぁ、ありがとう」

 ネイサンはローイックそっちのけでキャスリーンと話をしている。その脇からロレッタがキャスリーンの前に立ち、ふわっと微笑んだ。キャスリーンも一瞬驚いたがすぐに表情を引き締める。辺りには二人が醸し出す気まずい空気が流れ始めた。
 だがローイックは黙って二人の成り行きを見守ることにした。ロレッタにはちゃんと話をした。彼女も納得したのだ。ここでキャスリーンに喧嘩を売るようなことはしないと、ロレッタを信じることにした。

「キャスリーン殿下。大変お世話になりました」

 ロレッタは優雅にスカートを摘まみ挨拶をした。キャスリーンは騎士の礼で答える。キャスリーンは相変わらず白い騎士服に身を包んで凛々しい出で立ちだ。ロレッタとキャスリーンが並んでいると、お似合いに見えてしまうローイックは、ちょっと悔しいと思った。

「あまりお相手できず、申し訳ない」

 キャスリーンは苦笑いで非礼を詫びた。二人は視線を逸らさずに見合っている。漂う剣呑な空気に、数瞬、周囲の時間が停止したあと、ロレッタが先に口を開いた。

「殿下がローイック様を泣かせたら、私が取り返しに来ます」
「それは絶対に無い、心配無用だ」

 ロレッタの言葉にキャスリーン即答した。キャスリーンもロレッタも背筋をピンと伸ばしている。まるで演劇でも見ているかのようだった。
 しかしキャスリーンは更に続ける。

「私が望んだ伴侶にそんな事はさせない。ね、旦那様?」

 キャスリーンはローイックに振り向き、笑顔を見せた。ローイックが大好きな、無垢な少女の笑みだ。その笑みにローイックは息をのむが、直後に引きつった笑みに変わった。この場にいる皆の視線がローイックに集中したのである。
 皇女自らの発言で縁談の噂が確定。更に相手がローイックだと暴露された挙句、その男が目の前にいるのだ。視線が集まるのは当然と言えた。

「ちょっと姫様! それは不味いですって!」
「なによー、あたしを逃がさないって言ってくれたじゃなーい」

 突然の事にオタオタするローイックに対してキャスリーンは可愛くプゥとふくれた。いつもの凛々しさがどこかに家出してしまったようだ。

「い、言いました。確かに言いました。でも、それをここで暴露しなくてもいいじゃないですか!」

 ローイックは額に汗を浮かべ、必死に沈静化を図っているが、キャスリーンはそうするつもりは無いようだ。そもそもローイックも認めている時点で、自ら墓穴を掘っているのだ。

「ふふーん、世の中言ったもん勝ちなのよ!」
「そ、そんなぁ」

 キャスリーンは勝ち誇ったかのように、ニカっと笑った。
 それを見たロレッタは口を開け、驚きに目を丸くしている。凛々しかったキャスリーンが目の前で普通の女の子になってしまったのだ。受け応えるローイックの口調からも、二人の親密さが嫌でも伝わるのだろう。ロレッタは少し寂しそうな顔でぽつりと呟いた。

「そっか、皇女様も女の子だもんね。外面は取り繕わなきゃいけないけど、ローイック様の前では、普通の女の子なんだ。やっぱり、負けかぁ……」

 皇女が皇女でなくなる相手。取り繕わなくてもいい、本心を見せられる相手。それがローイックなのだと、悟ったのだ。





「はぁ、文句を言う気にもなりません」

 苦笑いのロレッタが盛大なため息をついた。周囲は、キャスリーンの変貌にざわつきが収まっていない。

「ふふ、文句を言われても、渡す気はないぞ」

 凛々しさを取り戻したキャスリーンは笑みを浮かべ、堂々と言い返した。

「……本当に御馳走様です、キャスリーン殿下。今度お会いする時は、私も素敵な殿方をお連れして、この倍にしてお返しさせていただきますわ!」

 ロレッタは令嬢らしくそう言うと、スカートをひるがえして、馬車へと歩いていった。リスの尻尾の様な亜麻色の髪が左右に揺れている。昨日のことは引きずっていなさそうなので、ローイックはちょっとホッとしていた。

「キャスリーン殿下。娘が、大変失礼な事を……申し訳ありません」
「いや、こちらこそ、彼女には申し訳ない事をした」

 ネイサンが汗をかきながら頭を下げたが、キャスリーンはロレッタを擁護した。こう言わないとネイサンの立場が危うくなるというのもあるが、ローイックから手を引いて貰ったという負い目もあるのだ。キャスリーンは少し寂し気な眼差しで、ロレッタの揺れる亜麻色の髪を見つめていた。

「……時にローイック」

 気を取り直したネイサンが、低い声で話しかけてきた。その眼つきは鋭く、ローイックは少し嫌な予感がした。

「お前、我々を出迎えたあそこで、殿下にとんでもない事をしてくれたようだな」

 射殺すほどの視線と地の底から漏れ出る様なネイサンの低い声に、ローイックの心臓が跳ね上がった。レギュラス皇帝に知られ、ここでネイサンにも知られていたことを知ったからだ。ローイックは知る由もないが、この事は、宰相同士の会談の最後にヴァルデマルから知らされた。この事があって、交渉では実際にはアーガス側が負けていたのだ。
 皇女をかどわかしたのであれば、例えそこで行為がなされていなくとも、アーガス側は謝罪するほかない。宰相同士が戦う前から勝負はついていたのである。

「正式な発表までに身籠らせてしまうような醜態は晒すなよ」

 ローイックだけに聞こえるように、ネイサンは囁いた。というか、脅した。これ以上アーガスの不利益になる様な事はしてくれるな、という特大の釘だった。
 そんな裏の事情など全く知らないローイックは、血の気が引き、真っ青になって混乱した。事実ではあるが、その情報が勝手に独り歩きをし、どんどんと大きくなっていたのだ。もはやローイックがどうこうできる話ではない。

「は、はい……」

 ローイックはかすれ声で返すのが精一杯だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

美しい貴婦人と隠された秘密

瀧 東弍
恋愛
使用人の母と貴族の屋敷で働く四歳の少女アネイシアは、当主の嫡子である十歳の少年ディトラスと親しくなり、親交を深めるようになる。 ところが三年目の夏、忌まわしい事件がおこり彼女は母親ともども屋敷を追い出された。 それから十年の時が過ぎ、貴族の父にひきとられていたアネイシアは、伯爵家の娘として嫁ぐよう命じられる。 結婚式当日、初めて目にした夫があのディトラスだと気づき驚くアネイシア。 しかし彼女は、自分が遠い日の思い出の少女だと告げられなかった。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

【コミカライズ決定】魔力ゼロの子爵令嬢は王太子殿下のキス係

ayame@コミカライズ決定
恋愛
【ネトコン12受賞&コミカライズ決定です!】私、ユーファミア・リブレは、魔力が溢れるこの世界で、子爵家という貴族の一員でありながら魔力を持たずに生まれた。平民でも貴族でも、程度の差はあれど、誰もが有しているはずの魔力がゼロ。けれど優しい両親と歳の離れた後継ぎの弟に囲まれ、贅沢ではないものの、それなりに幸せな暮らしを送っていた。そんなささやかな生活も、12歳のとき父が災害に巻き込まれて亡くなったことで一変する。領地を復興させるにも先立つものがなく、没落を覚悟したそのとき、王家から思わぬ打診を受けた。高すぎる魔力のせいで身体に異常をきたしているカーティス王太子殿下の治療に協力してほしいというものだ。魔力ゼロの自分は役立たずでこのまま穀潰し生活を送るか修道院にでも入るしかない立場。家族と領民を守れるならと申し出を受け、王宮に伺候した私。そして告げられた仕事内容は、カーティス王太子殿下の体内で暴走する魔力をキスを通して吸収する役目だったーーー。_______________

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました

三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。 助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい… 神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた! しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった! 攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。 ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい… 知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず… 注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...