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弱気なキツネ
第十九話 黄昏る皇女
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春の柔らかい日差しを受け、馬車は帝都への道を進んでいる。冷えた朝の空気が窓から入り込むが、爽やかさも運んできた。街道には人も馬車も増えたが、皇室の紋章があるこの馬車が近づくと周囲からはいなくなる。
南関門を出てから三日目。帝都はすぐそこのところまで来ていた。街道は整備され、石畳が敷かれているとはいえ、砂利を踏めば馬車は跳ねる。
「いっ!」
馬車が跳ねた衝撃で左腕に痛みを感じるローイックが、右手で庇う。添え木で固定して包帯で巻いていても、全身を襲う衝撃には弱い。
「ローイック様! 大丈夫ですか?」
右横に座るロレッタがリスの尻尾の様な髪を振って、心配そうな顔を向けてくる。ロレッタは二の腕あたりにそっと手を添えた。ちょっと潤んだ目を上目遣いに見られるとさしものローイックも慌ててしまう。
キャスリーンには慣れているが、成人したロレッタには慣れていないのだ。かなり悩ましい体の曲線が、幼い時にはなかった何かをローイックに感じさせ、狼狽させている。
「だ、大丈夫だから」
苦笑いをしながら、ちらと左側を見て、キャスリーンの顔色を窺うが、彼女は窓の外を見て何かを考えている様だった。南関門を出てから馬車の中でも宿泊先でも、キャスリーンは何かに捕らわれてしまったかのように考え事をしていた。彼女を四年ほど見てきたローイックだが、こんな事は初めてだった。
ローイックはそんなキャスリーンが心配だったが、宿泊先では男女は分けられ、しかもミーティアが見張っている。訪ねて行こうものなら睨み付けられ、追い返されてしまうだろう。
かといって馬車の中ではロレッタが何かにつけて甘えてくる。四年間離れていて懐かしいのは分かるがベタベタされても困る、というのがローイックの心の内である。
この男は仕事以外を勉強した方が良いだろう。
「そんなことありません、私に寄りかかっていれば、衝撃も和らぎます!」
ロレッタは強引にローイックの腕をとり、自らの腕を絡めてくる。そしてぎゅーぎゅーと自慢の胸を押し当てるのだ。
「ちょ、ちょっと!」
ローイックはこれにうまく対処するような甲斐性はなく、挙動が怪しくなるばかりだった。
そんな様子を楽しそうにニヤニヤして見ているのがハーヴィーだ。
「笑ってないで、なんとか言ってくれても良いんじゃないのか?」
ローイックは恨めしく睨むが、ハーヴィーは「見てる分には面白いもんだ」と笑ってかえす。
「人の気も知らないで」
「はは、フォローは大事だぞ」
「なんの事だよ」
「……まったく、お前は……」
ハーヴィーは視線だけキャスリーンに向け、目をぐるりと回した。
「そろそろ着くかな」
「すげぇな。流石に規模が違う」
窓から外を眺めたローイックが呟くとハーヴィーが感嘆の声をあげる。帝都を囲う堅牢な外壁が見えていたからだ。
防衛上の観点から帝都への入り口は四か所しかない。帝都を中心に街道が十字に伸びているが、その場所に門がある。街道をまっすぐに行けば南の門に辿り着く。だが一行を乗せた馬車は門の直前で速度を落とし、道を変えた。
「まぁ、そうだろうな」
ハーヴィーが進行方向を見ていた。そこには槍を携えた多数の兵士達が守る、小さな門がある。
大抵の国の中心都市では支配者層は専用の出入り口を使う。一般と同じ入り口を使うと時間がかかり、そこで襲撃を受けると護衛の騎士も満足に動けないからだ。
一旦そこで馬車が止まる。キャスリーンが窓から外に顔を覗かせた。
「アーガス王国の方々をお連れした」
「お疲れ様であります!」
キャスリーンがいつもの凛とした口調で告げると、応対した兵士は直ぐに周囲の兵士たちに皇女の帰還を通達した。兵士達がバタバタと動き馬車が通れる道を開けた。
「ふぅ、やっと着いたか。王国を出てから二週間。長かったなぁ」
ハーヴィーは肩を落として長旅を思い起こしている様だった。まぁ、肩を落としている事から良い思い出ではないのかもしれないが。
馬車は再度動き出し、ゆっくりとだが、帝都の中へ入っていった。
通路の両脇にある、色とりどりの花が植えられた花壇に案内される様に、馬車は宮殿の敷地に入った。
「ローイック様、綺麗です! 王国でもこんなにたくさんの花は咲いてないですよ!」
ロレッタはその華やかな様子に興奮しているのか、窓に釘付けだ。彼女はかぶりつきで景色を独占していた。
そんな様子にローイックは苦笑いしながらも視線をキャスリーンに向ければ、丁度彼女と目が合った。キャスリーンの緋色の瞳は一瞬開いたが、直ぐに視線を下にずらされてしまった。
おかしい。
ローイックはその原因を記憶の中に求めたが思い当たる節はない。暗い影を落としたキャスリーンの顔を見ると、ローイックの胸は矢が刺さったような痛みに襲われる。
何が原因で彼女がそんな顔をするのか分からない。色々な事が一度に起きすぎて、何が彼女を考え込ませるのか、心当たりがありすぎて見当がつかなかった。一度冷静になって事実を纏めよう、とローイックは文官らしい結論に達した。
馬車が宮殿前の広場に着いたのは、もう日が真上を過ぎたあたりだった。芸術的な掘り込みの施された、三階建ての宮殿の前の広場には警護のための第二騎士団と第三騎士団の騎士達が出迎えの為に整列している。その騎士達の前に、馬車は静かに止まった。
「お迎え、お疲れ様です」
馬車の扉を開け、挨拶をしてきたのは白い騎士服に身を包んだ、双子の片割れのテリアだ。声は優しかったが、顔はちょっとむっとしていた。身代わりに置いて行かれたことに怒っているのだろう。
「アーガス王国の方々、ようこそ帝国へいらっしゃいました。歓迎いたします」
テリアは打って変わってにこやかな顔になった。その顔を見たロレッタとハーヴィーは目を丸くしている。
「え……もう一人?」
ロレッタはポツリと言葉を零した。既にタイフォンは見ていたし、身代わりだとの説明も受けていたが、キャスリーンによく似た女性がもう一人現れたからだ。
アーガス王国の国王でも一人しかいない身代り的存在が、もう一人いたのだ。驚くのも無理はない。
「あぁ、私はタイフォンの姉になります、テリア・ロックウェルと申します」
微笑んで挨拶するテリアに対して、二人は「あの、お世話になります」としか返せなかった。
馬車から降りたローイックは、荷物を確認すると第三騎士団の建物に向かって歩き出した。
「おいローイック、どこに行くんだ?」
どこかに歩いて行くローイックに気が付いたのか、ハーヴィーが大きな声を上げた。その声にローイックは振り返った。
「あぁ、第三騎士団さ。多分書類が山の様に溜まっているはずだからね。早く処理しないといけない物もあるだろうし」
「直ぐに仕事かよ。お前は変わってねえなぁ」
ハーヴィーは腰に手をあて、呆れていた。ローイックはそんな彼を見て苦笑いをした。
「仕方ない、性分だ」
「えぇ~、仕事なんですか?」
そんなローイックにロレッタは抗議する。だがローイックもここは譲れなのだ。
残っていた騎士達がある程度は事務仕事をしていただろうが、慣れない仕事でまともには処理できていないだろう。結局はローイックがやらなければならないのだ。
それならば少しでも残る仕事を少なくしたい。それがローイックの仕事人間的思考だ。
「では、私もお手伝いいたします!」
ロレッタはテコテコと歩み寄ってくるが、その途中でネイサンに呼び止められた。
「ロレッタ、まずは挨拶が先だ。それにローイックはやらねばいかん事がある」
「まずはお部屋にご案内いたします」
「……はぁい、分かりましたぁ」
テリアが追い打ちをかけるように声をかければ、ロレッタは渋々従った。ここはアーガス王国ではない。遊びに来たわけでは無く、交渉に来ているのだ。それに他国で自由に動き回れるはずもない。
それが分からないロレッタではなかったようだ。ロレッタはスカートをちょこんと摘む。
「仕方ありません。ローイック様、またあとで!」
リスの尻尾を振り、ロレッタはネイサンの方へと戻っていった。
「姫様は、如何なさいます?」
「……ちょっと、休みたい」
「分かりました。ではお部屋の方に」
未だ考え事が頭を占めてしまっているのか、キャスリーンの表情が暗い。ミーティアも心配なのだろう、直ぐに侍女たちに指示を飛ばしている。
ローイックもキャスリーンの事が心配ではあるが、彼には近くにいる事さえもできないのだ。彼女には彼女のやるべきことがある。キャスリーンはローイックの方を見ることなく宮殿に入っていった。
何か気の利いた言葉でも掛ければよかったのだろうか。だがローイックは表だってそんな事ができる立場ではない。第三騎士団はともかく、第二騎士団がいる以上、ローイックは黙って見ているしかできないのだ。
ローイックは、何もできない今の立場が、どうしようもなく恨めしかった。
南関門を出てから三日目。帝都はすぐそこのところまで来ていた。街道は整備され、石畳が敷かれているとはいえ、砂利を踏めば馬車は跳ねる。
「いっ!」
馬車が跳ねた衝撃で左腕に痛みを感じるローイックが、右手で庇う。添え木で固定して包帯で巻いていても、全身を襲う衝撃には弱い。
「ローイック様! 大丈夫ですか?」
右横に座るロレッタがリスの尻尾の様な髪を振って、心配そうな顔を向けてくる。ロレッタは二の腕あたりにそっと手を添えた。ちょっと潤んだ目を上目遣いに見られるとさしものローイックも慌ててしまう。
キャスリーンには慣れているが、成人したロレッタには慣れていないのだ。かなり悩ましい体の曲線が、幼い時にはなかった何かをローイックに感じさせ、狼狽させている。
「だ、大丈夫だから」
苦笑いをしながら、ちらと左側を見て、キャスリーンの顔色を窺うが、彼女は窓の外を見て何かを考えている様だった。南関門を出てから馬車の中でも宿泊先でも、キャスリーンは何かに捕らわれてしまったかのように考え事をしていた。彼女を四年ほど見てきたローイックだが、こんな事は初めてだった。
ローイックはそんなキャスリーンが心配だったが、宿泊先では男女は分けられ、しかもミーティアが見張っている。訪ねて行こうものなら睨み付けられ、追い返されてしまうだろう。
かといって馬車の中ではロレッタが何かにつけて甘えてくる。四年間離れていて懐かしいのは分かるがベタベタされても困る、というのがローイックの心の内である。
この男は仕事以外を勉強した方が良いだろう。
「そんなことありません、私に寄りかかっていれば、衝撃も和らぎます!」
ロレッタは強引にローイックの腕をとり、自らの腕を絡めてくる。そしてぎゅーぎゅーと自慢の胸を押し当てるのだ。
「ちょ、ちょっと!」
ローイックはこれにうまく対処するような甲斐性はなく、挙動が怪しくなるばかりだった。
そんな様子を楽しそうにニヤニヤして見ているのがハーヴィーだ。
「笑ってないで、なんとか言ってくれても良いんじゃないのか?」
ローイックは恨めしく睨むが、ハーヴィーは「見てる分には面白いもんだ」と笑ってかえす。
「人の気も知らないで」
「はは、フォローは大事だぞ」
「なんの事だよ」
「……まったく、お前は……」
ハーヴィーは視線だけキャスリーンに向け、目をぐるりと回した。
「そろそろ着くかな」
「すげぇな。流石に規模が違う」
窓から外を眺めたローイックが呟くとハーヴィーが感嘆の声をあげる。帝都を囲う堅牢な外壁が見えていたからだ。
防衛上の観点から帝都への入り口は四か所しかない。帝都を中心に街道が十字に伸びているが、その場所に門がある。街道をまっすぐに行けば南の門に辿り着く。だが一行を乗せた馬車は門の直前で速度を落とし、道を変えた。
「まぁ、そうだろうな」
ハーヴィーが進行方向を見ていた。そこには槍を携えた多数の兵士達が守る、小さな門がある。
大抵の国の中心都市では支配者層は専用の出入り口を使う。一般と同じ入り口を使うと時間がかかり、そこで襲撃を受けると護衛の騎士も満足に動けないからだ。
一旦そこで馬車が止まる。キャスリーンが窓から外に顔を覗かせた。
「アーガス王国の方々をお連れした」
「お疲れ様であります!」
キャスリーンがいつもの凛とした口調で告げると、応対した兵士は直ぐに周囲の兵士たちに皇女の帰還を通達した。兵士達がバタバタと動き馬車が通れる道を開けた。
「ふぅ、やっと着いたか。王国を出てから二週間。長かったなぁ」
ハーヴィーは肩を落として長旅を思い起こしている様だった。まぁ、肩を落としている事から良い思い出ではないのかもしれないが。
馬車は再度動き出し、ゆっくりとだが、帝都の中へ入っていった。
通路の両脇にある、色とりどりの花が植えられた花壇に案内される様に、馬車は宮殿の敷地に入った。
「ローイック様、綺麗です! 王国でもこんなにたくさんの花は咲いてないですよ!」
ロレッタはその華やかな様子に興奮しているのか、窓に釘付けだ。彼女はかぶりつきで景色を独占していた。
そんな様子にローイックは苦笑いしながらも視線をキャスリーンに向ければ、丁度彼女と目が合った。キャスリーンの緋色の瞳は一瞬開いたが、直ぐに視線を下にずらされてしまった。
おかしい。
ローイックはその原因を記憶の中に求めたが思い当たる節はない。暗い影を落としたキャスリーンの顔を見ると、ローイックの胸は矢が刺さったような痛みに襲われる。
何が原因で彼女がそんな顔をするのか分からない。色々な事が一度に起きすぎて、何が彼女を考え込ませるのか、心当たりがありすぎて見当がつかなかった。一度冷静になって事実を纏めよう、とローイックは文官らしい結論に達した。
馬車が宮殿前の広場に着いたのは、もう日が真上を過ぎたあたりだった。芸術的な掘り込みの施された、三階建ての宮殿の前の広場には警護のための第二騎士団と第三騎士団の騎士達が出迎えの為に整列している。その騎士達の前に、馬車は静かに止まった。
「お迎え、お疲れ様です」
馬車の扉を開け、挨拶をしてきたのは白い騎士服に身を包んだ、双子の片割れのテリアだ。声は優しかったが、顔はちょっとむっとしていた。身代わりに置いて行かれたことに怒っているのだろう。
「アーガス王国の方々、ようこそ帝国へいらっしゃいました。歓迎いたします」
テリアは打って変わってにこやかな顔になった。その顔を見たロレッタとハーヴィーは目を丸くしている。
「え……もう一人?」
ロレッタはポツリと言葉を零した。既にタイフォンは見ていたし、身代わりだとの説明も受けていたが、キャスリーンによく似た女性がもう一人現れたからだ。
アーガス王国の国王でも一人しかいない身代り的存在が、もう一人いたのだ。驚くのも無理はない。
「あぁ、私はタイフォンの姉になります、テリア・ロックウェルと申します」
微笑んで挨拶するテリアに対して、二人は「あの、お世話になります」としか返せなかった。
馬車から降りたローイックは、荷物を確認すると第三騎士団の建物に向かって歩き出した。
「おいローイック、どこに行くんだ?」
どこかに歩いて行くローイックに気が付いたのか、ハーヴィーが大きな声を上げた。その声にローイックは振り返った。
「あぁ、第三騎士団さ。多分書類が山の様に溜まっているはずだからね。早く処理しないといけない物もあるだろうし」
「直ぐに仕事かよ。お前は変わってねえなぁ」
ハーヴィーは腰に手をあて、呆れていた。ローイックはそんな彼を見て苦笑いをした。
「仕方ない、性分だ」
「えぇ~、仕事なんですか?」
そんなローイックにロレッタは抗議する。だがローイックもここは譲れなのだ。
残っていた騎士達がある程度は事務仕事をしていただろうが、慣れない仕事でまともには処理できていないだろう。結局はローイックがやらなければならないのだ。
それならば少しでも残る仕事を少なくしたい。それがローイックの仕事人間的思考だ。
「では、私もお手伝いいたします!」
ロレッタはテコテコと歩み寄ってくるが、その途中でネイサンに呼び止められた。
「ロレッタ、まずは挨拶が先だ。それにローイックはやらねばいかん事がある」
「まずはお部屋にご案内いたします」
「……はぁい、分かりましたぁ」
テリアが追い打ちをかけるように声をかければ、ロレッタは渋々従った。ここはアーガス王国ではない。遊びに来たわけでは無く、交渉に来ているのだ。それに他国で自由に動き回れるはずもない。
それが分からないロレッタではなかったようだ。ロレッタはスカートをちょこんと摘む。
「仕方ありません。ローイック様、またあとで!」
リスの尻尾を振り、ロレッタはネイサンの方へと戻っていった。
「姫様は、如何なさいます?」
「……ちょっと、休みたい」
「分かりました。ではお部屋の方に」
未だ考え事が頭を占めてしまっているのか、キャスリーンの表情が暗い。ミーティアも心配なのだろう、直ぐに侍女たちに指示を飛ばしている。
ローイックもキャスリーンの事が心配ではあるが、彼には近くにいる事さえもできないのだ。彼女には彼女のやるべきことがある。キャスリーンはローイックの方を見ることなく宮殿に入っていった。
何か気の利いた言葉でも掛ければよかったのだろうか。だがローイックは表だってそんな事ができる立場ではない。第三騎士団はともかく、第二騎士団がいる以上、ローイックは黙って見ているしかできないのだ。
ローイックは、何もできない今の立場が、どうしようもなく恨めしかった。
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