第三騎士団の文官さん

海水

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キツネの天敵

第十七話 ある冬の日の二人

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「……さて、戻ろうかな」

 ローイックは独り言ちた。雪を巻き上げる白い風は、礫のようにぶつかってくる。顔が冷え切って、感覚も乏しくなっていたからか、あまり痛みは感じなかった。ローイックは腰壁から離れ、宿舎に向けて歩き始めた。

「……ック!」

 後ろから聞き覚えのある声が耳に入ってきた。ローイックは歩みを止め、振り返った。

「ローイックーー!」

 真っ白な風の中を、桃色の薄手のローブを羽織っただけの、金色の髪の少女が走って来るのが見えた。頭も、ちょっと白く染まっていた。

「ちょっと! キャスリーン嬢!」

 ローイックは自らの防寒着のボタンに手をかけながら、その少女に向け走った。
 なんであんな薄着なんだ! 風邪ひいたら大事おおごとになっちゃうよ!
 頭の中はボヤキ声が占拠していた。
 少女はニカッと笑うと、白い地面を蹴った。 

「わーい」
「え、ちょっと!」

 少女は勢いそのままに、ローイックに抱き着いた。白い粉を巻き上げて、ローイックと少女は地面に倒れた。ゴロゴロと転がり、雪に埋もれた。

「な、何考えてるんですか!」
「だって、ローイックの背中が寂しそうだったんだもん!」

 雪塗れの彼女は二パッと笑いながら、そんなことを言った。
 まだ幼さが残る彼女を起き上がらせ、ローイックは防寒着を脱ぎだした。

「風邪をひきます!」
「大丈夫よ。馬鹿は風邪ひかないって言うし」
「バカな事を言わないでください!」
「あはは、だってあたし頭悪いもーん」

 ローイックは、ケタケタ笑う彼女に防寒着をかぶせ、頭に乗った雪を払った。襲ってくる白い風に、ぶるっと身体が震えるが、優先順位はこっちが上だった。

「わ-、ありがとー。寒かったんだ―」

 少女は笑顔で応えた。それを見たローイックの頬も緩んだ。

「今日は風も強いですから、帰りましょう」
「えー、せっかく抜け出してきたのにー!」
「風が穏やかな日なら、大丈夫ですよ」
「ぶーー!」

 ぶーたれる彼女の背中を押し、宮殿の表玄関へと向かう。ローイックは、キャスリーンがどこから抜け出してくるのかは知らなかった。だから、どこに送ればいいかなど分からないのだ。
 仕方なく警備している騎士がいる玄関へと送り届ければ、誰かしら保護してくれていた。
 勿論、ローイックはその姿を見せるわけにはいかなかった。手前の物陰からキャスリーンを歩いていかせていたのだ。




 二人で並んで白い世界を歩いていた。吐く息も、吹きつける風も、目に入る木も、みんな白かった。

「勉強は、ちゃんとやらないとダメですよ」

 寒さを我慢しているローイックが、お説教じみたことを言った。毎度毎度、勉強の時間に抜け出しているということは、彼女から聞いていた。

「へーん、大丈夫だもーん。賢いローイックがいれば、何とかしてくれるもーん」

 手を広げ、クルクルと回りながら、少女は嬉しそうに言った。

「私はどうなるか分かりませんよ?」

 ローイックは戦利品扱いだった。今後どうなるかなど予想も出来なかった。帰国できる望みは薄く、このままずっとこの身分だったらと考えると、胸の奥に雨雲が立ち込めるのだ。

「あたしが大人になったら、ローイックがいれるところを、作ってあげるの! それまでは、頑張るんだよ!」

 少女は両手を上げて、そう、宣言した。








 ――――ック。ローイックってば!

 暗闇の中で意識が微睡む。その中で、いつも聞いている、あの声が耳を撫でた。

 ――――頑張るんだよ
 
 目の前では少女がにっこりと笑っている。彼女はさらさらと少しずつ消えていた。ローイックは砂になって消えていく、幼いキャスリーンに手を伸ばした。
 姫様。私、頑張れてますか?
 少女はにっこりと笑ったままだ。彼女が用意してくれた場所に、私はいる資格があるのだろうか、と自問する。

 ――――大丈夫、ローイックは頑張ってるよ。

 いつもの声は、そう答えてくれた。何か暖かい感触が頬に触れ、すぐに冷えた空気が撫で直す。
 ローイックの体は、安堵と、朝の空気で目覚めた。




「あぁ夢か……懐かしかったな……」

 そんな事を呟きながら目を開ければ、視界の端に窺ってくるキャスリーンがいる。顔を向ければ、昨晩の事が頭によぎった。抱き合うように寝てしまっていたのだ。何故そんなことになったかは脇に置いておくとしても、あってはならぬことだった。
 ローイックは慌てて体を起こす。

「あ、あの」
「ローイックさん、おはようございます」

 ローイックの後頭部に、不機嫌な声がぶつけられた。思わずローイックの動きが止まる。この場を見られてはいけない人の内、最も武闘派な人の声だった。キャスリーンを見れば、困った笑顔をしている。

 あぁ、これはやばいな。

 ローイックは即座に振り向いた。伝説の魔王の様な顔をしているだろうミーティアの存在を予想し、怒りの雷鳴を覚悟した。そして、そこには目の座った漆黒に包まれたミーティア魔王が腕を組んで佇んでいた。
 威圧感にローイックが動けないでいると、その魔王が口を開いた。

「ローイックさん。そろそろ夜が明けます。身支度をされた方が良いのでは?」

 ミーティア魔王は有無を言わさない、厳しい口調と眼つきでローイックを追い立てる。ローイックは昨日から着替えていない。体も拭いてはいない。ローイックにとっては、よくある事なのだが、普通ではない。

「そ、そうですね」
「さぁ、朝食後に出発になりますよ!」
「は、はい!」
 
 ローイックは追い出される様に、部屋を出た。細かく突っ込まれなくてよかった、と胸を撫で下ろしながら、自分に割り当てられた部屋に向けて歩いた。




「さて、姫様も支度をしませんと」

 部屋に残ったキャスリーンとミーティアであるが、こちらも支度をしなければならなかった。
 ここ南の関門の砦には貴族用の風呂はない。兵士用のはあるがそこに皇女を入れる訳にもいかないのだ。よってお湯で体を拭く程度しかできないが、騎士でもあるキャスリーンには、耐えられない事ではなかった。
 いざ何事か起これば、数日作戦行動もありうるのだ。現にこの護衛任務は片道三日の行軍である。
 ミーティアが「入って良いですよ」呼ぶと、お湯を持った侍女二人がスルスルと部屋に入って来る。

「急ぎませんと、朝食に間に合いません」

 ミーティア達侍女部隊はは手際よく、キャスリーンの身支度をこなしていく。身体も綺麗になり、香料も付け、後は髪を梳かし化粧を残すだけになった段階でミーティアは部下二人に声をかけた。

「あとは私がやりますから、あなた達は姫様の朝食の準備をやってください」

 侍女二人が「分かりました」と返事をし、一礼してから部屋を出て行った。ミーティアはキャスリーンの正面に鏡を据えると後ろに立った。ブラシを持ち、ゆっくりとキャスリーンの髪を梳かし始める。

「姫様。昨晩は口づけくらいはしたのですか?」

 ミーティアの確認にキャスリーンは「そ、そんな事するわけないでしょ」と動揺を隠せなかった。心臓は、痛いくらい働いていた。そんな事はしていないのだが、同衾はしていたのだ。

「男女が一晩ともに過ごしたのですから、それくらいはあってしかるべきかと」

 鏡の中のミーティアは平然と言ってのけた。キャスリーンは頬が熱くなるのを感じながらも、それを悟られまいとした。が、鏡の中の自分の耳は、言い訳のしようがない程赤くなっていた。

「あ、あたしはずっと椅子に座って、ローイックを見ていただけよ。な、何もなかったわよ」

 キャスリーンは鏡の中のミーティアから視線を逃がした。
 当然嘘だ。だが疲れていたとはいえ、一緒のベッドで寝ていたのは事実だ。
 ただ、そんな事を言おうものなら、どんな突っ込みが来るか分からない。ローイックに対しては厳しいミーティアのことだ。絶対に彼にお小言がいくはずだった。ローイックは怪我に加え強行軍で疲弊して、かつ兄の訃報もあったのだ。これ以上の心労は与えたくない。

「まぁ、それならば良いのですけど」

 ミーティアはニッコリと微笑んだ。どことなくニヤついている様にも見えたが、キャスリーンは、それは気のせいだ、という事にした。
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