第三騎士団の文官さん

海水

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キツネとタヌキ

第二話 お転婆な姫様

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 遠くで鐘が七回鳴り、朝の七時を告げていた。春先のひんやりした空気が部屋にも入り込んでくる。その空気に触れ、ローイックは目を覚ました。
 ローイックは軋む体をグギギと動かして顔を上げる。伸びた前髪がうっとおしいのだ。切れと言われているが、その時間がない。

「うーーーん。朝かぁ……」

 ベッドがある宿舎に戻る事なく力尽きるのは、珍しい事ではない。昨日もそうだった。ローイックは、バキバキと苦情を申し立てる体に謝りつつ、椅子から立ち上がり腰を伸ばす。

「んん~! もう朝食の時間は終わっちゃってるなー」

 ここ第三騎士団の朝は早く、六時に食堂で食事が始まる。七時には片付けが完了して、騎士達は身支度に入る。
 お腹が、ぐーと文句を垂れるが、無いものは無い。
 不機嫌なお腹を撫でて宥めていると、廊下からズカズカと早足でブーツを踏みしめる音が聞こえてきた。ズカズカというかドカドカに近い。足音はこの部屋の前で止まった。足音の主はノックもせずに扉を壊す勢いで開け放ち、女性特有のたかい声で叫んだ。

「ローイック! あなたまた・・食べてないんでしょ!」

 真っ白な詰襟の、袖に金の刺繍をあしらった騎士服を纏い、長めの金色の髪を振り乱して、その御仁は部屋の中に入って来た。ローイックは背筋を伸ばし、姿勢を正す。

「おはようございます、姫様」

 ノックもなしに非礼だとは思うが、この女性に逆らう事こそ非礼になる。そんなこの女性は、第三騎士団の団長でエクセリオン帝国の第四皇女である、キャスリーン・エクセリオンだ。
 緋色の瞳を湛えた迫力のある目で、ローイックを睨みつけてきた。

「食事くらいとりなさいって言ってるじゃない。どうせ昨晩も食べてないんでしょ!」

 彼女は腕を組み、やや狐顔の、麗しい顔の眉間に皺を寄せていた。折角の美貌が台無しだ、と思うがローイックは黙っている。
 彼は、確かに昨晩の夕食は食べていない。昨日の朝は食べたがその前の晩も食べていない。ローイックは基本、一日で二食しか食べない。仕事に追われて時間的な余裕がないのだ。
 ローイックが記憶を辿っている間も、キャスリーンは小さめの唇を尖らせ、ブーツをカツカツ言わせて不機嫌をアピールしていた。
 第三騎士団というのは、この困ったお転婆皇女の為の騎士団で、構成員二十人は全て女性だ。例外は文官のローイックだけだった。

「私は大丈夫ですよ。帝国の持ち物ですし、金が掛からない方が良いでしょう?」

 ローイックは軽い愛想笑いを浮かべた。その顔を見たキャスリーンは、ぷぅとほっぺを膨らませている。
 彼は、エクセリオン帝国と戦って敗れたアーガス王国からの戦利品だ。アーガス王国の建国時から続く由緒ある侯爵家の次男であったが、官僚であり事務能力に長けていた彼は、帝国への賠償金の一部になってしまった。奴隷ではないが、平民でもない。勿論貴族なんかではない。じゃあ何かというと、国の所有物という扱いだ。

 十八歳の時に帝国に連れてこられて早四年。半年前からこの第三騎士団に所属し、ひたすら書類と戦う毎日を送っている。ローイックの敵は兵士でも騎士でもなく、この紙達だ。

「ローイックが倒れたら書類が滞るんだから! ちょっとは自分の体の事心配もしなさいよ!」

 キャスリーンは人差し指でローイックの薄い胸をツンツンし、口を尖らせてご立腹の様子だ。まぁ、このやり取りは半年間、ほぼ毎日の行事ではあるのだが。
 こんな時だが、怒った顔も可愛いなぁ、とローイックは思ってしまう。彼はこの歳下の上司が好きだった。今の様に機嫌の悪い時もあるが、笑っている時は可憐な女の子だった。
 だが、その可愛い上司も、そろそろどこかに嫁がされる、との噂がたっている。まだ歳は十七歳だが、行き遅れにならない内に速やかに縁談が組まれるだろう。
 ローイックとしては胸が痛く、いたたまれないことだが、彼は物申す立場にはなかった。

「そんなに怒ると、眉間に皺が居座りますよ?」

 思わず指で眉間の皺を元に戻してあげたい衝動に駆られるが、それをやると不敬罪か猥褻罪か、ともかく牢屋に一直線だろう。特にローイックの様な国家の所有物ならば、死刑もありうる。

「あなたが居座らせてるんでしょ!」

 可愛い皇女様の叫びが、小さな部屋に響き渡った。




「失礼します。姫様、お持ちしました」

 ローイックがキャスリーンのお怒りを買っている最中に、第三騎士団所属の騎士がやってきた。もちろん女性だ。

「あー、ごめんねミラージュ」
「いえ!」

 ひとまず怒りは横に置いておいて、キャスリーンは今しがた入って来た騎士に、金色の髪をふわっと広げて向き直った。その騎士は、ショートカットの赤い髪でまだあどけない顔をした新人だ。
 十五歳の貴族の娘であるが、こんな所に来る女の子がまともである筈もなく、お察しの通りお転婆だった。
 ローイックは、ふぅ、と小さく一息つくが、その彼女が持ってきた物を見て、うぇー、と更に大きな息を吐いた。新しい書類の束がお目見えしていたのだ。
 昨日の分を足すと今晩は徹夜かな、と内心ウンザリして肩を落とした。だがクラクラと眩暈を感じつつも、姫様の為、と、なんとかやる気を奮い立たせたのだ。




「ミラージュ、ご苦労さま」
「は、失礼します!」

 ミラージュという少女は用事がすんだのか、キャスリーンに挨拶をすると、さっさと出て行ってしまった。残されたのはローイックと彼女と新しい書類だ。

「ローイック」

 キャスリーンはローイックをチラッと見ると「食堂へ行くよ」と声をかけ、先に部屋を出て行ってしまった。

「はい?」

 ローイックは首を捻った。いつもならここで可愛い上司ともお別れで、彼は書類との戦いに入るはずだった。だが今日に限っては食堂に呼びつけられた。彼には何があるのか想像もつかない。
 ローイックがついて来ないからか、キャスリーンは部屋の入り口から、顔だけにゅっと覗かせた。

「ほら、はやく~!」

 キャスリーンは催促してきたが、ローイックはその女の子らしい仕草に、ふふっと笑った。




「ねぇローイック。その髪は、切ったらどう?」

 食堂までの道すがら、キャスリーンがくるっと振り返り、歩みを止めた。ローイックは伸びた前髪を、ヒョイと指で摘まんだ。確かに前髪は放っておけば、鼻先にも届きそうだった。後ろは縛ってしまえば邪魔にはならないが、前髪は違った。

「そうなんですけど、面倒なんですよ」

 ローイック自身、邪魔だと感じてはいるが、髪を切る暇がないのだ。彼は国家の持ち物であるが故に、髪を切る事さえ申請書が必要だ。
 そんなものを書いている時間があれば、少しでも仕事を減らして睡眠時間を確保したい。それがローイックという男の思考論理だった。自分の事は脇に置く、典型的な仕事人間である。

「長い、ですよね」
「切った方が良いと思うのよねー。その、見栄えも良くなるしさ」

 はにかむキャスリーンにローイックの心臓は一瞬で高鳴る。思わず伸びそうになる手を握り締め、ぐっと我慢した。所詮叶わぬ想いだ。
 ローイックも自分の立場は理解している。自分は物なのだ。彼女への想いは心の奥底に封印してある。
 
「そう、ですかね?」

 そんな感情など顔には出さずに、ローイックは少しとぼけた。愛想笑いに近い苦笑いになってしまう。

「そりゃそうよー。ローイックだって、第三騎士団の一員なんだから。身嗜みには気を使った方が良いに決まってるわ、うん。切ろうよ、うん」

 最後のは何に対する頷きなのだろうか、彼にはよく分からなかった。そしてキャスリーンが切りたいのが、ローイックの髪なのか、その残念な思考論理なのか。それも彼には分らないのだった。

「私が髪を切っても、見目麗しい皇女殿下のお眼鏡に適うとは、思えませんけども」

 ローイックは仕事中にするように髪を後ろに流し、手できゅっと縛った。顔にかかっていた髪が無くなり視界が明るくなる。
 現れたローイックの顔は、元貴族だけあって整ってはいる。少々たれ目の狸顔で、おっとりして見えるのはご愛敬だ。キャスリーンと並ぶと狐と狸で、まぁ、お似合いと言えばお似合いなのだが。

「いやぁ、世界が明るいですねぇ」

 ローイックは間の抜けた感想述べた。帝国では珍しいサファイヤブルーの瞳を細め、軽い笑みを浮かべた。ローイックを見つめるキャスリーンは、ちょっと目と口を開き、惚けているようだった。

「姫様。口がみっともないですよ」

 キャスリーンはローイックから窘められ、慌ててむぎゅっと口を閉じた。その様子がおかしかったのか、ローイックはふふっと笑った。

「ふ、ふーんだ!」

 キャスリーンは頬をちょっとだけ赤くして、また前を向いて歩きだした。恥ずかしさを隠すように、カツカツとブーツを鳴らして大股で歩いて行ってしまう。

「姫様、急ぐと躓きますよ~」
「う、うるさいわね! ってうわぁ!」

 彼女は言ったそばから何かに躓きそうになっていた。

「……姫様のお転婆は変わらないですねぇ」

 ローイックはポツリと呟いた。
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