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第六話 距離がちょっぴり近くなった

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「基本的には、そうだ」

 予想していたとはいえ、その言葉にムネチカは暗然とした。彼女は自分同様、国の意向でこの縁談を受け入れたのだと。だから自分には笑みを向けてくれないのだと確信した。

 最初に会った時も、彼女の顔は凛として微笑むことはなかったのは、それはきっと、頭では理解しても心では拒絶しているからなのだろうと、ムネチカは考えた。

 悔しさに、ぐ、と唇をかむ。
 王子として、望まぬ婚姻は幼少から聞かされており、覚悟はできていた。そうなったときでも、伴侶となる女性と仲良くなろうと思っていた。

 兄が王位を継げば、必然的に城からは追い出される。後継者の予備として一応の立場は考慮されるが、基本的に外戚となり与えられた所領へ飛ばされるのだ。

 そこに自由は、あまり望めない。

 好きに動いて反体制的な貴族に利用されるのを防ぐためだ。
 だからこそ、政治的婚姻関係でも仲睦まじい夫婦であろうと、十歳ながらもムネチカは考えていたのだ。

「やっぱり、そうなんですね」

 失意のムネチカがこぼす言葉に、背後からまわされた腕の抱き寄せる力が増した。

「確かに、様々な観点から思考すれば、この婚姻は政治的思惑から発生したのだと判断されるだろう。我がユーニタスとて、先の戦の痛手から回復したわけではない。かなりの兵力を失い、魔王である母上の権力基盤を脅かそうとする輩もいる」
「そ、それは、我が国とて、同じです。戦力の低下に伴い、王権を奪おうと算段する有力貴族もいると、聞き及んでます」

 ムネチカは、まわされた腕にそっと手を添えた。

「両国の思惑が一致したからこその縁談だ、ということに異は唱えない」
「そ、そうですよね。ガーベラ様にだって、約束されたお相手がいらしたのでしょうし……」

 ムネチカには、国内で将来を約束された相手がいたのだ。公爵令嬢であり、ムネチカの従妹にあたる女の子だ。歳は一つ違いで、地位も釣り合いのとれた娘だった。お互いに好意があったかは別として。

 そして出会ってからわずかではあるが、笑顔というわかりやすい好意を得られていないムネチカが、当然ガーベラにもそのような相手がいるだろうと考えることは至極まっとうなことだった。

 悔しさから、添えた手に力が入ってしまった。

「いなかったわけではないが、みな次期魔王の座を狙う不届き者ばかりだったから、全て叩き潰した」
「は?」

 突拍子もない返事に、ムネチカは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「次期魔王の座を狙う輩もいるが、それよりも厄介な一派がいる。再度戦端を開き武を持って制圧すべし、という戦闘的な野心を持った勢力があるのだ。私が寝食を共にするといったが、それはムネチカ殿が魔王の座を狙う魔族に命を狙われているからだ」
「っ!」

 衝撃的な言葉に、ムネチカは息をのんだ。心臓も止まりそうだった。
 我に返ったムネチカは溺れて水を吐くように、がはっと止めていた呼吸を再開した。

(なんで、なんで僕が魔族に命を狙われるの? 僕が何をしたの?)
 ムネチカの頭はなぜ、どうして、と悲鳴を上げている。

 明らかに動揺し、体を震えさせ始めたムネチカの頭を、ガーベラは安心させるように強く抱いた。ゆっくり頭を撫で、彼の震えが収まるまでそのままじっとしていた。

 ムネチカは、急速に冷めていく意識を感じながら、ガーベラの鼓動を聞いていた。
 トクントクンと落ち着いたテンポで伝わってくる彼女の生命の証はムネチカの頭全体で感じ取られ、ジワジワと染み入ってくる。ガーベラの体温と鼓動は、壊れそうな彼の心を持ちこたえさせていた。

「ムネチカ殿が討たれたら、この和平は瓦解する。アークレイム側はメンツを潰された報復に我が国への進撃を再開するだろう。それが奴らの狙いだ。そして我が国もそれに応じて兵を上げざるを得ない。また戦乱の時代に逆戻りだ」

 十歳の男の子には酷な話であるが、ガーベラの語ることは真実だ。この縁談をぶち壊せば、国交を開いて間もない両国の信頼は一気に崩れ、再び戦火にまみれることは確実だった。

 それを狙う勢力にとって、ムネチカは目の上のこぶだ。排除すべき存在である。

 アークレイム王国からのムネチカ婿入りの延期申し入れをすんなり受け入れたのは、彼の身の安全を保障しきれないと魔王アザレアが判断したからだ。

「僕は、どうして……どうすれば……」

 ムネチカは茫然として呟く。狙われる側である彼に答えは見つけ出せない。

「ムネチカ殿が悪いのではない。悪いのは権力に憑りつかれた輩だ」

 動揺で声が震えるムネチカのお腹が優しく撫でられる。

「大丈夫だ、ムネチカ殿。私が必ず守り抜く。せっかく手に入れた平穏を、こんなことで崩してならない」

 ムネチカの耳に入る言葉は、抗えない、抗ってはならない強いものだった。自分の身を守るだけの力がない彼には、ガーベラに縋るほかない。

「……はい、ガーベラ様。よろしく、お頼み、申し上げます」

 消え入りそうなムネチカの声が、部屋の闇に呑まれていった。




 ガーベラは、泣きそうな声のムネチカをその胸に抱きながらギリと奥歯を鳴らした。
(ムネチカ殿を亡き者にしようとするものなど、私が灰にしてくれる)

 せっかく来てくれるという可愛い婿に恐れを抱かせる勢力に対し、絶対正義の鉄槌を下すことを、ガーベラは固く誓った。

(次期魔王の座に未練はないが、その地位がなければムネチカ殿と会うことはなかった。なんとしても死守しなければ)

 実際に、ガーベラは約束されたその地位を自ら欲したことはなかった。その血に連なる者として生を受けたがゆえに、運命に従っているだけである。

 ムネチカと一緒にいられるならば、魔王の座などくれてやってもいいとは思っているが、残念なことに現実は甘くはない。魔王の威光があればこそユーニタスは平穏を保っていられるのだ。

 ここでガーベラが退こうものならユーニタスはすぐに権力争いの内戦に状態に陥るだろうことは明白だ。

 隣国が政情不安となればアークレイムも黙っていない。火事場泥棒で国境を越えてくる魔族を撃退するために兵を動員するだろう。そして王都の兵力が減少したその隙を狙って、権力争いが勃発しかねない。

(この子の命は死守せねばなるまい)
 ガーベラの、彼への好意とは別問題だった。両国の平和がかかってしまったのだ。

「私は、ムネチカ殿を失いたくはないのだ」

 静まり返る闇の中、自身へ言い聞かせるために、ガーベラは独りごちた。
 腕の中のムネチカの身体の震えも止まっており、すでに寝たのだろうと思っていた。

(そう、失いたくはない。命尽きるまで、伴侶でいたい)
 ガーベラは夢想していた。柔らかな木漏れ日の中で彼と笑い合っているという、明るい未来を。ぼんやりと暗闇の中に希望を見ていたのだ。

「あ、あの」

 妄想の彼方に浮かんでいたガーベラの胸元から、ムネチカの弱々しい声が耳に入った。ガーベラの心臓が口から飛び出しそうなくらい大きく跳ねた。

(起きていたのか! もしや私の心が駄々漏れだったのでは……)
 ガーベラは恐れ戦く。三つの目がぐるぐると焦点定まらぬ運動をしていた。

「ム、ムネチカ殿、どうしたのだ?」

 ガーベラは、何とか自分を取り戻しムネチカに答えた。声が裏返っていることにすら気がつかない程度は慌てていたが。

「あの、そのムネチカ殿という呼び方は、その、僕の方がずっと年下なので、ムネチカ、と呼んでもらえると、僕の気が、楽に、なります……」
 
 最後はごにょごにょとよく聞き取れなかったが、ガーベラにとって好意を向けているムネチカからの提案である。

(なななんだと! なんと嬉しいことを!)
 彼女にとっても親しくなるにあたって、呼び名を柔らかくすることは賛成であった。

 映像で顔や姿は知っていたが、会うのは今日が初めてだ。深刻な問題を語ってしまい暗雲が立ち込める未来ではあるが、もはやこのふたりで歩むほかないのである。

 彼がガーベラに対し恐れを抱いていたとしても、時間がそれを解きほぐしてゆくだろう。そのためにも、親しく呼び合うことは望ましいことであり、それがムネチカから出てきたことが、ガーベラにとってこの上なく幸せに感じられた。

(茨の路でも、ムネチカ殿となら歩いていける)
 魔王の娘は乙女らしい思考で感激の(心の)涙を垂れ流していた。
(ムネチカ、でもいいが、もっと愛称らしい呼び名はないものか)
 ガーベラは頭の記憶を探った。が、幼いころからひとりで行動することが多く、帝王学や戦略などの知識ばかり学んでいたガーベラにとって、それは苦手な分野だった。

 どちらかというとキュキィが得意な分野だが、彼女は寝ているし、伴侶であるムネチカに関することは、ガーベラ自身が決めたいという欲もある。

「あの、お嫌なら、その」

 ムネチカの探るような声にガーベラは慌てた。答えずに思考の海に沈んでいたらそれを否ととられてしまったのである。

「そんなことはない。私は賛成だ」

 無意識に彼の頭にほおずりしていた。ほとんど小動物の扱いだが、ガーベラにそれを気にする余裕はない。彼に嫌われないことが最重要だった。

(嫌なはずがない、むしろ望ましい展開だ! 私に対する畏怖を取り除くことが仲良くなるための第一歩だ。ム、ムネチカを守らねばならぬからこそ常に共にあるべきだ。そう、私には夫となる彼を守る義務があるのだ)

 ガーベラの欲望駄々漏れな頭はフル回転を始め、そして適切な解答を導き出した。

「それでは、妻となる私のこともガーベラと呼んでくれ」

 ガーベラ渾身の一言だった。
 魔王の娘として、三つ目族の姫として、かならず〝様〟という称で呼ばれていた。ガーベラ、などと呼び捨てるのは、母親でもしていなかった。

 ちなみに母親からは〝ガーベラちゃん〟と呼ばれ、キュキィからは言わずもがな〝お嬢様〟である。

「あああの、さすがに年上のガーベラ様を呼び捨てにはできません」

 妄想を爆発させていたガーベラに、吹雪が襲いかかった。三つの目を限界まで開き、愕然と震えるガーベラ。ショックは火山の噴火よりも大きかった。

「なななぜだ。私が嫌いだからか? 怖いからか? どどどうしてだ」

 ガーベラは泣きそうだった。おとなしく腕の中にいるのは自分への恐怖心からだったのかと、額の目も潤ませ、かつてないほどの悲しみに包みこまれている。

(私の勇み足だったのか……)
 この世の終わりかと嘆くガーベラに、ムネチカの声がかかる。

「そのあの、ガーベラさん、から始めませんか?」

 恐る恐るな声色だが、ガーベラ耳には福音であった。ファンファーレが鳴り響き、幸せを告げる鐘がガンガンゴンゴンと凄まじい速度で打ち鳴らされていた。

(ガーベラさん)

 その甘美なフレーズに体の芯がビリビリ痺れた。
 敵対する巨大な人狼の群れを魔法で燃やし尽くしたときですら感じなかった悦楽が、ガーベラの心を焦がしていく。

 ほわぁぁと顔が熱くなり、例えようのない震えが全身を貫く。
 意識せず頬が緩み、薄っすらと笑みを浮かべていた。

「あの、だめでしょうか……ガーベラ、さん?」

 悶えて答えられないガーベラを無言の拒否ととらえたのだろうか。ムネチカのおずおずとした声がした。
 再びの福音がガーベラの頬を激しく張る。

(か、可愛すぎる!)
 花も恥じらう乙女のガーベラは興奮のあまり鼻血が出そうになっていた。ユーニタスでは、このような可愛らしい男の子の存在は幻と言えるほどの希少価値だった。

 当然、ガーベラは相対したことはなく、その感動で打ち震えているのである。

 だが年上として醜態を晒すわけにもいかない。ムネチカの前ではきっちりとしていなければ、というガーベラの乙女としての矜持が、ギリギリ理性を保たせた。

「そ、そうだな。急いては事を仕損じると申すしな。時間は十分あるのだ、ム、と、ゆっくり仲を深めていくべきだな」
「は、はい」

 声のトーンを下げ、落ち着いた女を演ずるガーベラ。胸元のムネチカが零す安堵のため息を感じ、ぎゅっと抱きしめたかったが渾身の努力で踏ん張った。頑張ったのだ。

 ここで嬉しさのあまり感情の赴くままに突っ走っては、痴女と思われ嫌われてしまうかもしれない。すでに手遅れかもしれないが、それはガーベラの望むものではない。

 最優先は、ムネチカの安全と彼に好かれること。

 このことを胸に刻み込み、彼の頭を優しく撫でるにとどめたのは褒められるべきだろう。
 春先の冷えた空気の中、ベッドの上のふたりだけは、ぬくぬくに包まれていた。




 同じ部屋のソファーで寝ているふりをしていたキュキィは、そんなふたりの会話を全て聞いていた。ふたりの仲が心配で寝たふりをしていたのだ。

(あたしがいるってのにいちゃいちゃしやがっちゃってまー。見せつけられてる身になれって言いたいっす。キュキィさんの青春はお嬢様のお世話に消えたんすから、そろそろ春が来ても良いころあいっすよね。今からだって遅くない。あたしの青春カムバァァァックす!)

 ほかほかのふたりからちょっぴりだけ離れているソファーでは、固い決意をしたキュキィがいたのだった。
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