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最終話
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美沙子に呼び出された。
「ねえ、夜のドライブに連れてってちょうだい」
美しいフルムーンの夜だった。
美沙子は私の右手を取り、スカートの上で両手で握ると、運転席の私の肩に寄り添った。
今日の美沙子の香はブルガリだった。
私はジュリー・ロンドンの『Fly me to the moon』をかけた。
「お月様に飛んで行きそう・・・」
私は何も言わず、横顔で微笑んで見せた。
「ねえ、今度の土日、神戸に連れてけ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫にした・・・」
そして美沙子は音楽に合わせるように私にキスをした。
私は路肩にクルマを寄せ、それに応じた。
土曜日の診察が終わり、着替えて出ようとすると理恵に呼び止められた。
「先生、お出かけですか? そんなにおめかししちゃって」
「たまには俺にも恋の休日が必要だ」
「女ですか? またあのオバサンを抱くんですか?
私、負けませんからね?」
夜の新幹線は東京駅を定刻通りに出発した。
私たちはシャンパンで乾杯をした。
「ねえ、神戸ってどんなところ?」
「綺麗な港町だよ、美沙子みたいにエレガントで気まぐれで」
「私は気まぐれじゃないわよ。私はね、ただ自分に正直なだけ」
「なるほど、じゃあかなりな正直者だね? 君は?」
美沙子は透明なプラスチックのコップに注がれたシャンパンを飲み干した。
彼女の動く華奢な喉に私は見惚れた。
私はその空になったコップにシャンパンを注いだ。
「でもね? これでもけっこう辛いのよ。自分に正直に生きるって・・・」
そう言うと、美沙子は疎らになっていく車窓の灯りを寂しげに見詰めた。
美しい女だと思った。
その苦悩に揺れる憂いを秘めた横顔が、より彼女の美しさを引き立てていた。
22時前には新神戸駅に降り立つことが出来た。
私たちは地下鉄で三ノ宮まで行った。
「これがあの震災で壊滅的だった神戸の街なの? まるで光のメガロポリスみたい!」
「今日は遅いからショッピングは明日にしよう。
ホテルのレストランで食事にしようか? 神戸牛は明日、専門店で食べよう」
「うん! 本当に来てよかった、神戸。
あなたの言った通り、いえ、それ以上だった」
私たちはポートピアホテルのスカイレストランで食事を楽しんでいた。
「夜景がすごく綺麗。東京や横浜の夜景とは全然違うわね?」
「神戸は夜景まで優雅だ。大阪や奈良、京都にも近いが、街並みと人柄が全く異なる不思議な街だ。
特に大阪の女は神戸に憧れがあるらしい。奈良、京都は嫌うのにな?」
「そうなんだ、お隣同士なのにね?」
そう言って美沙子がワインを口にした時、彼女の携帯にLINEが届いた。
「家から?」
「うん、夫から・・・」
「なんだって?」
「「先生と楽しんで来てね?」だって。馬鹿みたい・・・」
「えっ?」
私はフォークの手を止めた。
「何で知ってるの? 今日の事」
「私が言ったからよ」
美沙子は何事もなかったかのように、またワインを口にした。
薄い上品なワイングラスに、美沙子のルージュが付いていた。
それは艶めかしく、別れの予感があった。
食事を終えて部屋に戻ると美沙子は言った。
「今日で最後、夫と約束したの。あなたとはもう会わないって・・・。
だから、だからお願い。今夜は忘れられない夜にして。この体にあなたを刻み付けて欲しい」
「なくなると思うと、急に惜しくなるものだね?
僕は一体今まで何をして来たんだろう? ただ君を傷付けただけだった」
「そんなことない。 決してそうじゃないわ!
気まぐれなんかじゃないの、あなたを本気で愛したのよ!
ただ、ただね?・・・」
「いいんだ、もう何も言わないでくれ。もう何も。
おかげで決心がついたよ。僕はハンブルグに行くことにする。
教授が推薦してくれたんだ。僕はもう一度、メスを握ることにするよ」
「そう? 良かったわね? それでいつ日本を発つの?」
「来月には行こうと思う。準備もあるしね?」
「あなたのことは忘れないわ。でもあなたは私のことは忘れてもいいわよ」
「どうして?」
「あなたも私のことを想ってくれていると思うと、辛いから・・・」
その夜の最後の行為は愛に満ちたものだった。
ふたりにとって忘れられない、忘れてはいけない夜になった。
それから10年の歳月が過ぎ、ハンブルグの私の元に一通の絵ハガキが届いた。
美沙子からだった。
今、マルタ島にいます。
何か美味しい物、ご馳走しろ!
待ってるからね?
マルタより愛を込めて
by 美沙子
絵ハガキには青く美しいマルタの海と、世界遺産の古代都市が写っていた。
私は今度の週末に、マルタ島へ行くことを決めた。
『慕情』完
「ねえ、夜のドライブに連れてってちょうだい」
美しいフルムーンの夜だった。
美沙子は私の右手を取り、スカートの上で両手で握ると、運転席の私の肩に寄り添った。
今日の美沙子の香はブルガリだった。
私はジュリー・ロンドンの『Fly me to the moon』をかけた。
「お月様に飛んで行きそう・・・」
私は何も言わず、横顔で微笑んで見せた。
「ねえ、今度の土日、神戸に連れてけ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫にした・・・」
そして美沙子は音楽に合わせるように私にキスをした。
私は路肩にクルマを寄せ、それに応じた。
土曜日の診察が終わり、着替えて出ようとすると理恵に呼び止められた。
「先生、お出かけですか? そんなにおめかししちゃって」
「たまには俺にも恋の休日が必要だ」
「女ですか? またあのオバサンを抱くんですか?
私、負けませんからね?」
夜の新幹線は東京駅を定刻通りに出発した。
私たちはシャンパンで乾杯をした。
「ねえ、神戸ってどんなところ?」
「綺麗な港町だよ、美沙子みたいにエレガントで気まぐれで」
「私は気まぐれじゃないわよ。私はね、ただ自分に正直なだけ」
「なるほど、じゃあかなりな正直者だね? 君は?」
美沙子は透明なプラスチックのコップに注がれたシャンパンを飲み干した。
彼女の動く華奢な喉に私は見惚れた。
私はその空になったコップにシャンパンを注いだ。
「でもね? これでもけっこう辛いのよ。自分に正直に生きるって・・・」
そう言うと、美沙子は疎らになっていく車窓の灯りを寂しげに見詰めた。
美しい女だと思った。
その苦悩に揺れる憂いを秘めた横顔が、より彼女の美しさを引き立てていた。
22時前には新神戸駅に降り立つことが出来た。
私たちは地下鉄で三ノ宮まで行った。
「これがあの震災で壊滅的だった神戸の街なの? まるで光のメガロポリスみたい!」
「今日は遅いからショッピングは明日にしよう。
ホテルのレストランで食事にしようか? 神戸牛は明日、専門店で食べよう」
「うん! 本当に来てよかった、神戸。
あなたの言った通り、いえ、それ以上だった」
私たちはポートピアホテルのスカイレストランで食事を楽しんでいた。
「夜景がすごく綺麗。東京や横浜の夜景とは全然違うわね?」
「神戸は夜景まで優雅だ。大阪や奈良、京都にも近いが、街並みと人柄が全く異なる不思議な街だ。
特に大阪の女は神戸に憧れがあるらしい。奈良、京都は嫌うのにな?」
「そうなんだ、お隣同士なのにね?」
そう言って美沙子がワインを口にした時、彼女の携帯にLINEが届いた。
「家から?」
「うん、夫から・・・」
「なんだって?」
「「先生と楽しんで来てね?」だって。馬鹿みたい・・・」
「えっ?」
私はフォークの手を止めた。
「何で知ってるの? 今日の事」
「私が言ったからよ」
美沙子は何事もなかったかのように、またワインを口にした。
薄い上品なワイングラスに、美沙子のルージュが付いていた。
それは艶めかしく、別れの予感があった。
食事を終えて部屋に戻ると美沙子は言った。
「今日で最後、夫と約束したの。あなたとはもう会わないって・・・。
だから、だからお願い。今夜は忘れられない夜にして。この体にあなたを刻み付けて欲しい」
「なくなると思うと、急に惜しくなるものだね?
僕は一体今まで何をして来たんだろう? ただ君を傷付けただけだった」
「そんなことない。 決してそうじゃないわ!
気まぐれなんかじゃないの、あなたを本気で愛したのよ!
ただ、ただね?・・・」
「いいんだ、もう何も言わないでくれ。もう何も。
おかげで決心がついたよ。僕はハンブルグに行くことにする。
教授が推薦してくれたんだ。僕はもう一度、メスを握ることにするよ」
「そう? 良かったわね? それでいつ日本を発つの?」
「来月には行こうと思う。準備もあるしね?」
「あなたのことは忘れないわ。でもあなたは私のことは忘れてもいいわよ」
「どうして?」
「あなたも私のことを想ってくれていると思うと、辛いから・・・」
その夜の最後の行為は愛に満ちたものだった。
ふたりにとって忘れられない、忘れてはいけない夜になった。
それから10年の歳月が過ぎ、ハンブルグの私の元に一通の絵ハガキが届いた。
美沙子からだった。
今、マルタ島にいます。
何か美味しい物、ご馳走しろ!
待ってるからね?
マルタより愛を込めて
by 美沙子
絵ハガキには青く美しいマルタの海と、世界遺産の古代都市が写っていた。
私は今度の週末に、マルタ島へ行くことを決めた。
『慕情』完
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