上 下
7 / 9

第7話

しおりを挟む
 今回の食事には麻理恵しか来なかった。麻理恵は少し痩せたように見えた。
 彼女も色々あるのだろうと感じた。

 「優香も誘ったんだけどお腹が痛いから行かないって」
 「そうか? とりあえず肉でも食うか?」
 「そうだね?」

 
 私たちは山手線でいつもの上野の『叙々苑』へと向かった。

 麻理恵は少食だが食にはうるさい女だった。料理も上手い。


 とりあえずタン塩とカルビ、ハラミにセンマイ刺し、白菜キムチを注文した。

 「少し飲むか?」
 「うん」

 私は生ビールをひとつだけオーダーし、それを一口だけ飲んで麻理恵に渡した。
 その後、俺は体調を考え、自分用にノンアルビールを頼んだ。

 
 肉を焼いて麻理恵の皿に乗せてやった。

 「あなたも食べてよ」
 「ああ。ちゃんと食べてるのか?」
 「私、お料理するの好きだから大丈夫。それに子供たちもあなたのお陰で食べ物にうるさいしね?」
 「子どもたちは元気か?」
 「たまに衝突することもあるけど、それなりにやってるわ」
 「そうか」

 私はセンマイ刺しを食べ、ビールを飲んだ。

 私たちはもう夫婦でもなければ恋人でもない。
 友だち? 親友? 絶交した友だち?
 私はPTAだと思う。子供たちの保護者だからだ。それ以上でもそれ以下でもない関係。
 だがこうして一緒に飯を食っているのだから不思議だ。
 子供たちの話題はお互いに避けていた。それは子供たちが私をよく思っていないことと、そんな子供たちのことを聞き出すことに少なからず抵抗があったからだ。
 私は当たり障りのない、義母の近況を麻理恵に尋ねた。

 「お義母さんの体調はどうだ?」
 「この前、お医者さんに行ったらヘモグロビンA1cが高いって言われたみたいよ」
 「お義母さんには長生きしてもらいたいな?」
 「でも母は友だちも多いからまだ大丈夫よ」

 麻理恵の「母」というその言葉に私は麻理恵との間に距離を感じた。
 再婚しようと思えばそれなりに出来ないこともなかった。
 再婚を勧めてくれる知り合いも周りにはいたからだ。
 だがその気にはなれなかった。
 それは私の余命が不確定なことと、眼の前で肉を頬張る元妻に対してそれはあまりにも無責任だと思ったからだ。

 (自分だけしあわせになるわけにはいかない)

 それが私の本音だった。
 ひとりで暮らすことは寂しくないと言えば嘘になる。だが家事も炊事も私は苦にはならないし、それで困ることはなかった。
 ただ死んだ時の後始末を赤の他人にさせるのが忍びなかった。

 なぜ俺は家族と疎遠になったのだろう? それは十分わかっている。コミニュケーションが足らなかったからだ。
 別に自分のことを話すのではなく、私は家族の話を聞いて上げることが出来なかった。余裕がなかったのである。
 家族のため、家族のためにとそればかりを考えて働いていた。
 そして皮肉にも、いつの間にか家族の事を考えなくなっていた自分がいた。
 
 「冷麺、食べるよな?」
 「うん、叙々苑のビビン麺美味しいもんね?」

 私は給仕を呼んだ。

 
 ビビン麺が運ばれて来て、私は麺を混ぜながら麻理恵に言った。

 「俺はお前たちの話を聞こうともしなかったよな? 本当にすまなかった」
 「私こそあなたに「どうすんの? どうすんの?」しか言わなかった気がする」
 「それは当然のことだ。女は安定を欲しがる。不安にはなりたくはないからな?」
 
 麻理恵はビビン麺を啜った。

 「最近、人の一生って流れ星みたいだと思うんだ。輝きながら消えていくShooting  Starだと」
 「そうね? 人生ってあっという間だもんね?
 私ね、もう嫌なことは思い出さないようにしたの。いえ、正確には思い出せないと言った方が正しいのかもしれない」
 「俺はお前たちとの楽しかった事しか覚えていない。お前たちは俺の嫌なことばかり覚えているかもしれないがな?」
 「あなたとのことはいい思い出も、嫌な想い出ももう思い浮かばないの。
 みんな忘れてしまったから」
 「そうか」

 (麻理恵の記憶から私が消えた?)

 辛かった。
 憎まれていた方がまだマシだと思った。

 

 食事を終えて地下鉄銀座線でいつものように銀座に出ることにした。
 銀座は何かのイベントで歩行者天国になっていた。

 「お前たちに夕食のお弁当を買ってやるよ」
 「優香たちに牛タン弁当でもお土産にしようかな? あの子たちお肉が好きだから」

 私はその時、ふと麻理恵と手を繋ぎたくなり、麻理恵の手を半ば強引に掴んだ。

 「ちょっと止めてよ」

 麻理恵は私のてを振り解こうとしたが、私はその手を離そうとしなかった。
 そして麻理恵の抵抗は止んだ。

 (これが最後かもしれない)

 私はそう思ったのである。
 パントマイムをしていた男から風船を貰った。
 そして私は風船を手から離した。
 
 風船はゆらゆらと空高く飛んで行った。
 それはまるで私の家族との本当のお別れのように。

 私はそこで立ち止まり、いつまでも風船を目で追っていた。
 涙が溢れないようにと。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

★【完結】オレンジとボク(作品230729)

菊池昭仁
恋愛
余命を告知された男が 青春時代の淡い初恋の思い出を回想する物語です

★【完結】火炎木(作品240107)

菊池昭仁
恋愛
たとえ愛の業火に焼かれても貫きたい愛がある

ガラスの森

菊池昭仁
現代文学
自由奔放な女、木ノ葉(このは)と死の淵を彷徨う絵描き、伊吹雅彦は那須の別荘で静かに暮らしていた。 死を待ちながら生きることの矛盾と苦悩。愛することの不条理。 明日が不確実な男は女を愛してもいいのだろうか? 愛と死の物語です。

★【完結】ストロベリーチョコレート(作品231203)

菊池昭仁
恋愛
同居人としての夫婦関係 それでも満足している精神を病んでいる夫と 人生のリノベーションを決意する妻 大人の恋はストロベリーチョコレートのように甘いのか?

★【完結】夕凪(作品230822)

菊池昭仁
恋愛
人生に挫折した男が 再び自分をやり直すために小笠原の小さな島へ移住する 島の人たちとの生活の中で 男は次第に「生きることの意味」を見つけてゆく

★【完結】曼殊沙華(作品240212)

菊池昭仁
恋愛
夫を失った高岡千雪は悲しみのあまり毎日のように酒を飲み、夜の街を彷徨っていた。 いつもの行きつけのバーで酔い潰れていると、そこに偶然、小説家の三島慶がやって来る。 人生に絶望し、亡き夫との思い出を引き摺り生きる千雪と、そんな千雪を再び笑顔にしたいと願う三島。 交錯するふたりの想い。 そして明かされていく三島の過去。 それでも人は愛さずにはいられない。

★【完結】眼科病棟(作品240329)

菊池昭仁
現代文学
筆者が目を患い、眼科病棟で体験し、感じた闘病日記に基づく私小説です。

★【完結】ロザリオと桃の缶詰(作品230625)

菊池昭仁
恋愛
死刑囚の教誨師をしている牧師の苦悩 人間の原罪と愛についての物語です

処理中です...