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第3話

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 颯太が三才になった時、妻の麻理恵が信じられないことを言った。

 「今度は女の子が欲しい」

 私は即座に「それは無理だ」と言った。
 ひとりなら大学院まで行かせることは出来ても、流石にふたりは無理だったからだ。
 共働きは考えられなかった。かわいい乳飲み子を保育園に預けるなんてことは私には出来ない。
 子供は母親の愛情で育てるべきだと思っていた。私は専業主婦に拘っていたのである。
 それは麻理恵に子育てを楽しんで欲しかったからだ。
 子供を保育園に預けるにはカネが掛かり過ぎる。
 女が働いたところで給料の殆どが保育料に消えてしまい、手元に残るのはせいぜいボーナスくらいだ。
 そのために子供は大切な幼少期に親から引き離され、保育園で風邪を移されたりして多少熱があっても保育園に連れて行かされてしまう。
 私はそれがイヤだった。

 もちろん子供は好きだ。経済的に余裕があるならば何人でも子供は欲しい。
 だが今の現状では出産費用すらままならない状態だった。
 私は麻理恵に言った。

 「転職して引っ越したばかりでカネもない」

 それでも麻理恵は譲らなかった。
 彼女はずっと前から女の子の名前を密かに考えていたらしい。
 彼女はかたくなにそれを譲らなかった。
 妻は強くなった。以前は私の意見に黙って従っていた女だったが、母親になった彼女は自分の意見を曲げない女になっていた。
 いや、元から麻理恵は強い女だったことを私が知らなかっただけなのかも知れない。
 彼女は娘が大きくなったら一緒に服を買いに行くのが夢なのだと言った。
 子供を望まない親はいない。だが娘にも大学に行かせてやりたかった。しあわせにしてやりたかった。
 私の家は貧しく、成績は良くても大学には行かせてもらえない屈辱が今でもある。
 そして娘は私の予想通り、大学に行かせてやることが出来なかった。娘は妻には言ったらしい。


      「私はいらない子だったもんね?
      お兄ちゃんは大学に行ったのに私は行かせてもらえなかった」


 私は麻理恵からそれを聞いた時、優香に申し訳なくて心がねじれた。
 優香には特殊能力があった。一度記憶したことは忘れないという能力があった。
 ジブリの映画など1度観ただけで一言一句のセリフも覚えていた。
 そして美術に対する才能は凄まじいものがあった。
 私は優香の描いた抽象画を見て涙が止まらなかったことがある。
 優香は天才だと思った。将来は東京藝大で勉強させてやりたかった。
 私は娘の才能を殺してしまった。


 田舎に帰って麻理恵と結婚して、私個人としての仕事に対する夢はなかったが、強いて言えばカネが欲しかった。   
 カネがあれば家族にいい暮らしをさせてあげることが出来るからだ。
 私は猛烈に働いた。そしてどんどん出世して収入も増えていった。
 仕事は何でも良かったし、どんな仕事もやれる自信があった。
 そして「家族のためだ」と働いていたことが、いつの間にかその大切な「家族を犠牲にして」私は働くようになっていた。
 私はいつも尖っていた。どうでもいい事に拘り、闘っていた。
 色んな企業からより高い報酬、地位をちらつかされ、私は2年毎に転職を繰り返した。
 ボーナスを貰ってから辞めればいいものを、いつもその前に会社を辞めた。
 「加納はボーナスを貰って辞めた」と言われたくなかったからである。

 妻にもっとお洒落をさせてやりたい、子供たちにもっといい教育を受けさせてやりたい、家族にもっといい食事を摂らせてやりたい。
 私は常に「もっともっと」とカネを欲しがった。

 子供の頃、親にどこへも連れて行ってもらえなかった私は、家族には色んな体験をさせてやった。
 釣り、キャッチボールはもちろん、ディズニーランドにハワイ旅行。美味しい物も沢山食べさせてあげた。
 月の食費は50万円を悠に越えていた。
 自分が出来なかったことをすべて妻や子供たちにしてあげたかった。
 そして結果的に妻と子供たちは私から離れて行った。

 離婚した妻に再会して言われたことがある。


      「贅沢な暮らしなんて望んでいなかった。普通の暮らしがしたかった」


 普通の暮らし。私はそれをするために頑張ったつもりだ。
 クルマがあって持ち家があって、貯金があって妻や子供たちを不安にさせない普通の暮らし。
 夏休みと冬休みには泊りがけで家族旅行をする。週末にはレストランで食事をして、子供たちは希望する大学まで通わせてやる。
 それが普通の暮らしではないのか?

 転職を重ねる度に経営者たちの無能さ、狡さ、カネに対する異常な執着、従業員を虫けらのように扱うことに嫌気がさした私は、遂に独立して起業した。
 大きな屋敷も建てて高級外車にも乗り、初めのうちは事業は順調だった。
 面白いようにカネが入って来ると、私は人が変わってしまった。
 変わってしまったと言っても自分ではそれには気づかない。それは妻の麻理恵から指摘された。


      「あなたは人が変わってしまった」


 私のことが「怖かった」とも言われた。
 子供たちも私に反論することはなかったが、息子の颯太は成長するにつれて私からどんどん離れて行った。
 だが娘の優香だけは私の似顔絵を書いた手紙をよくくれた。


     笑顔のステキな大好きなパパへ


 優香の描いてくれた私の顔はいつもウインクをして笑っていた。

 
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