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第2話 恋と愛

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 テキーラ・ショットの三杯目を飲んで、潤んだ瞳で私を見詰め、小夜子が言った。

 「奥さんのこと、まだ愛してる?」
 「サヨはどうなんだ? まだ旦那を愛しているのか?」
 「私が質問しているのよ、質問に質問で返すなんてダサいわよ。いいから答えて!」

 小夜子は頭の切れる女だ。面倒な質問には質問返しで応戦するのがセオリーだが、彼女にはそれは効かない。
 俺は別の手を考えることにした。
 
 「どうだろうな? そもそも結婚して夫婦になっても愛はあるのかなあ?」
 「否定しないということは、まだ愛しているって白状したようなものよ。
 このペテン師! 偽善者!」
 「でも俺がどう思おうが、離婚したんだからそれで終わりだ。
 俺はサヨを誘惑したんだから。
 マスター、マティーニを」
 
 俺は酒をマティーニに替えた。
 こんな時、ジェームス・ボンドならなんて言うのだろう? この美しい野獣に。

 「あら、誘ったのは私の方よ。でも、誘わせるようなことをしたのはあなたの方だけどね?
 罪な男。
 一体、何人の女とヤレば気が済むのかしら?」
 「サヨだけいればそれで十分だよ」
 
 その時、小夜子は俺の手を取り俺の小指を少しだけ強く噛んだ。
 私はされるがままにしていた。それはまるで子犬が甘噛みするかのように。

 小夜子が俺の指を口から離すと、小夜子のルージュと歯型が小指に付いていた。

 「あー、歯形が付いてるぞ。コラッツ」
 「お仕置きよ、後で別なところにも歯形を付けてあげましょうか?」
 「勘弁しろよ」
 「ああ、どうしてこんな浮気者と付き合ってるんだろう? 私。
 私ってバカなの? どう思う?」
 「サヨは頭は良いけど賢くはない。俺みたいな男と付き合っているんだから。
 でも俺はしあわせだよ、サヨとこうして飲んでいることが」
 「ホントにあんたって男はズルい男。いつも私の撃った銃弾をスルリと躱してしまう。
 そして撃った私はいつも傷だらけ・・・」

 小夜子が俺を「あなた」から「あんた」に呼び方を変えた。
 それは彼女にスイッチが入った合図だ。

 「サヨはダイヤモンドだろ? 傷付くことはないはずだけどな?」
 「ダイヤだって傷付くの! マスター、お替り」
 「かしこまりました」

 俺はマティーニを一口飲んだ。

 「なあ、恋と愛ってどっちが上だと思う?」
 「愛に決まってるでしょ、そんなの!」
 「俺はそうは思わないな」
 「どうして?」
 「愛ってさ、船や飛行機が自動操縦しているようなもんじゃないのかな?
 つまり、安定して動いているというようなさ。
 飛行機にはクリティカルイレブンといって、離陸の4分と着陸の7分が一番危険なんだそうだ。
 そのクリティカルイレブンが恋なんじゃないかな? 
 恋が愛に変わるまでのドキドキが俺は好きだ。
 そのまま愛に発展するか? それともそこで終わるか?
 結婚もそうだ、ドキドキ感がないと長続きはしないものだ。
 俺たちのお互いの結婚のようにな?」
 「どうして私がアンタと付き合っているのか、わかった気がする。
 アンタはいつも理屈っぽいからだ!
 前のダンナはイケメンだったけどあまり会話がなかったもん。
 それが退屈だったんだと思う・・・」
 「理屈っぽい男は女にモテないけどな?」
 「私は好きよ、だって反論出来るから退屈しないもの。  
 喧嘩出来るじゃない? ああでもない、こうでもないって」

 小夜子の言う通りだった。
 俺たち夫婦にもあまり会話がなくなっていた。
 女房は俺に対して反論しない女だった。

 「ねえ、もっとお話して」
 「そろそろ帰ろうか?」
 「じゃあおんぶして」
 「いいよ」

 小夜子は私におどけて背中に抱き付いた。

 「好き・・・」

 耳元で小夜子が囁いた。
 その時俺は、首筋に冷たいものを感じた。
 それは小夜子の涙だった。

 俺たちの関係はクリティカルイレブンを過ぎて愛に変わろうとしていた。
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