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第19話 ノー・リターン・ポイント
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「常務、先日お断りしたロンドン支店の件ですが、もうダメですよね?」
常務の五十嵐は書類から目を離すと冴島を見た。
「どうした急に? その件はもう島崎部長に内定してしまったからなー」
「そうでしたか、お忙しいところ失礼しました」
冴島が五十嵐常務の部屋を出ようとすると、五十嵐常務が冴島を呼び止めた。
「女か?」
冴島は黙ったままだった。
「そうか」
常務の五十嵐はデスクを離れてソファに移動した。
「まあ座れよ冴島。サラリーマンはなあ、ストレスの海に漂う小舟のような物だ。
大きな仕事を任されれば任されるほど女が欲しくなるもんだ。
「英雄色を好む」だよ冴島。あはははは。
まあそれは自分が大きな仕事を成し遂げて進化した証拠でもあるがな?
つまり進化した自分のDNAを未来に残そうとする本能がそうさせるのかもしれん。
だがな、冴島。それは遊びと本気に別れる物だ。
お前、その女に本気で惚れたな?」
「・・・」
「ロンドン支店の支店長は役員への登竜門だ。
それを蹴るということは何かあるとは思っていたが、そういうことだったのか?
サンディエゴの佐々木がそろそろ日本に戻りたいと言って来た。どうだ、行くか? アメリカへ」
「ご迷惑をお掛けします。よろしくお願いします」
「だがな冴島、どこへ行っても女はいるぞ」
五十嵐は大きな声で陽気に笑った。
まだ礼子は痛々しく白い包帯を左手首に巻いていた。
「10日後、サンディエゴに転勤することになった。
出来ればお前たちにも一緒に来て欲しいんだ」
「イヤよ、あなただけ行って頂戴、私と渚は残るから」
娘の渚は何も言わず、携帯をいじっていた。
「頼む、一緒について来て欲しいんだ、アメリカへ」
「どういう風の吹き回し? ニューヨークですら単身赴任だったくせに。
それともこれのせい?」
礼子は左手の包帯を挙げて笑った。
「償わせて欲しいんだ。夫として、父親として、もう一度家族を取り戻したい。
俺にそのチャンスをくれ、頼む」
冴島は家族に頭を下げた。
「随分と都合のいいお話しね?
家族を取り戻したいですって? このバラバラに砕け散った家族を?
あなたいつから吉本のお笑い芸人になったの?
これが何? そんなに驚いた? そんなに傷付いたの?
私と渚がどれだけあなたのことを愛していたのかも知らないくせに!
さっさと行きなさいよ! あなたひとりでアメリカでもどこへでも!
清々するわ!」
娘の渚はそのまま自室に籠ってしまった。
「今更遅いよな? お前が俺を一生許さないとしても、俺はお前たちをずっと想い続けるよ。
すまなかった、今まで辛い思いをたくさんさせた。
彼女とはきちんと別れたんだ。
サンディエゴへは俺一人で行くことにするから、留守中のことは頼む。
ただ気が変わったらでいい、その時はいつでも来てくれ、償いたいんだ、一生を賭けて」
羽田には多くの同僚や取引先の人間が冴島を見送りにやって来ていた。
同じ部の女子社員からは花束と寄せ書きが贈られた。
村井が言った。
「冴島部長、いえ支店長、僕もサンディエゴに呼んで下さい、支店長の元で勉強させて下さい」
「厳しいぞ、俺の下は。
それはお前が良く分かっているはずだろう?」
「だからいいんです。厳しくシゴいて下さい。お願いします」
「じゃあ英語のレベルをもっと上げておけ、そんな英語では本国では通用しないからな」
「わかりました!」
冴島が出国ゲートに入ろうとした時だった。
「あなた!」
冴島が振り向くと、そこには妻の礼子と渚が立っていた。
「来月、渚と一緒にそっちへ行くわ。準備の方、お願いね」
冴島は溢れる涙を見せまいと、後ろ姿のまま片手を挙げて手を振った。
いつもの空港アナウンスが続いていた。
それが冴島の「ノー・リターン・ポイント」だった。
冴島はアメリカへと旅立って行った。
常務の五十嵐は書類から目を離すと冴島を見た。
「どうした急に? その件はもう島崎部長に内定してしまったからなー」
「そうでしたか、お忙しいところ失礼しました」
冴島が五十嵐常務の部屋を出ようとすると、五十嵐常務が冴島を呼び止めた。
「女か?」
冴島は黙ったままだった。
「そうか」
常務の五十嵐はデスクを離れてソファに移動した。
「まあ座れよ冴島。サラリーマンはなあ、ストレスの海に漂う小舟のような物だ。
大きな仕事を任されれば任されるほど女が欲しくなるもんだ。
「英雄色を好む」だよ冴島。あはははは。
まあそれは自分が大きな仕事を成し遂げて進化した証拠でもあるがな?
つまり進化した自分のDNAを未来に残そうとする本能がそうさせるのかもしれん。
だがな、冴島。それは遊びと本気に別れる物だ。
お前、その女に本気で惚れたな?」
「・・・」
「ロンドン支店の支店長は役員への登竜門だ。
それを蹴るということは何かあるとは思っていたが、そういうことだったのか?
サンディエゴの佐々木がそろそろ日本に戻りたいと言って来た。どうだ、行くか? アメリカへ」
「ご迷惑をお掛けします。よろしくお願いします」
「だがな冴島、どこへ行っても女はいるぞ」
五十嵐は大きな声で陽気に笑った。
まだ礼子は痛々しく白い包帯を左手首に巻いていた。
「10日後、サンディエゴに転勤することになった。
出来ればお前たちにも一緒に来て欲しいんだ」
「イヤよ、あなただけ行って頂戴、私と渚は残るから」
娘の渚は何も言わず、携帯をいじっていた。
「頼む、一緒について来て欲しいんだ、アメリカへ」
「どういう風の吹き回し? ニューヨークですら単身赴任だったくせに。
それともこれのせい?」
礼子は左手の包帯を挙げて笑った。
「償わせて欲しいんだ。夫として、父親として、もう一度家族を取り戻したい。
俺にそのチャンスをくれ、頼む」
冴島は家族に頭を下げた。
「随分と都合のいいお話しね?
家族を取り戻したいですって? このバラバラに砕け散った家族を?
あなたいつから吉本のお笑い芸人になったの?
これが何? そんなに驚いた? そんなに傷付いたの?
私と渚がどれだけあなたのことを愛していたのかも知らないくせに!
さっさと行きなさいよ! あなたひとりでアメリカでもどこへでも!
清々するわ!」
娘の渚はそのまま自室に籠ってしまった。
「今更遅いよな? お前が俺を一生許さないとしても、俺はお前たちをずっと想い続けるよ。
すまなかった、今まで辛い思いをたくさんさせた。
彼女とはきちんと別れたんだ。
サンディエゴへは俺一人で行くことにするから、留守中のことは頼む。
ただ気が変わったらでいい、その時はいつでも来てくれ、償いたいんだ、一生を賭けて」
羽田には多くの同僚や取引先の人間が冴島を見送りにやって来ていた。
同じ部の女子社員からは花束と寄せ書きが贈られた。
村井が言った。
「冴島部長、いえ支店長、僕もサンディエゴに呼んで下さい、支店長の元で勉強させて下さい」
「厳しいぞ、俺の下は。
それはお前が良く分かっているはずだろう?」
「だからいいんです。厳しくシゴいて下さい。お願いします」
「じゃあ英語のレベルをもっと上げておけ、そんな英語では本国では通用しないからな」
「わかりました!」
冴島が出国ゲートに入ろうとした時だった。
「あなた!」
冴島が振り向くと、そこには妻の礼子と渚が立っていた。
「来月、渚と一緒にそっちへ行くわ。準備の方、お願いね」
冴島は溢れる涙を見せまいと、後ろ姿のまま片手を挙げて手を振った。
いつもの空港アナウンスが続いていた。
それが冴島の「ノー・リターン・ポイント」だった。
冴島はアメリカへと旅立って行った。
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