上 下
5 / 26

第5話 形だけのお見合い

しおりを挟む
 私は光一郎と紅葉のいる生活に、何も不満はなかった。
 だがそれは安楽ではあるが、生き甲斐かと問われると素直に肯定することが出来なかった。

 多くの人間はしあわせとは安心だという。
 生活を保証された変化のない安定した毎日を幸福と置き換え、それを求めようとする。
 それはある意味「妥協の人生」ではないのだろうか?
 
 何不自由のない生活、あたたかい家族と生きる幸福。
 その「普通」の安定した生活を手に入れるために、多くを犠牲にするのが普通の生き方だ。

 私にとって本当のしあわせな人生とは、「自分を偽らない人生」だと思って生きて来た。
 そしてそれは、いつの間にか自分に言い訳をして生きる人生になってしまっていた。
 それに気付いてしまったのは、冴島との出会いだった。


 私は学生時代、結婚を約束した三歳年上のさとしという恋人がいた。

 北村 聡。
 彼は軽音楽サークルの先輩で、私は聡を兄のように慕っていた。

 私たちは聡の小さな1Kのアパートで同棲生活を始め、まるで新婚夫婦のように過ごしていた。

 ミニテーブルを壁に寄せ、ひとり用の布団を敷いてふたりで寝た。


 「必ず迎えに来るからな、遥が大学を卒業したら結婚しよう」
 「うん」

 幸せだった。何もないこの小さなアパートには、ふたりの愛がたくさん詰まっていた。

 
 大学を卒業した聡は地元に戻り、県議会議員の父親のコネで市役所に就職した。
 聡はやがて父親の跡を継いで代議士になることが決められていた。

 就職してからは実家暮らしだった聡は、週末には遥の部屋で過ごすのが定番になっていた。
 ふたりの結婚は揺るぎないものになりつつあった。


 そんなある日のこと、聡は父親から見合いを勧められた。


 「実は大山先生から、是非お前を婿にと言われてな、今回の就職の件も大山先生のご尽力によるものだ。
 お前には遥さんがいることは十分承知している、形だけでいいんだ、形だけで。
 すまんが俺の顔を立ててくれんか? 心配することはない、先生のお嬢さんの瑞希みずきさんに嫌われればいい話だ」

 聡は一瞬戸惑ったが、見合いを受けることにした。
 父親の政治家としての立場に配慮したのだ。

 「親父、形だけだぜ」
 「ああ、それでいい形だけで。ありがとう、聡」

 聡は軽い気持ちでそれを承諾してしまった。


 
 地元の老舗料亭で行われたその見合いは、見合いというよりも政治家と業者の談合のようだった。
 大臣経験のある大山光三は、大広間が揺れるほど大きな声で豪快に笑っていた。


 「聡君、久しぶりじゃのう。どうだ、役所の仕事には慣れたかね?
 嫌な事があったらいつでもワシにいいなさい、わかったね? わっはっはっ!」

 瑞希は自信に満ち溢れた華やかな女性だった。
 青い振袖姿がより一層透けるような白い細面を引き立てている。

 「ごめんなさいね、うるさいでしょ? 父の声。
 いっつもこうなのよ、鼓膜が破れそう」

 そう言って瑞希も笑っていたが、この親子は似ているなと聡は思った。
 
 大物政治家の娘だけあって、瑞希には銀座のクラブママのような凛とした威厳があった。
 ガマ親分のような父親とは反対に、元女優だった母親の美貌を受け継いだ瑞希は、宝塚女優のように美しかった。


 「さて飯も食ったことだし、瑞希、あとは聡君と散歩でもしておいで。
 パパたちはお前たちの邪魔はしないからな、わっはっはっ!」



 聡と瑞希は料亭の庭を散策した。
 池のろ過ポンプと水の音が聡の沈黙を助けてくれていた。


 「聡さん、彼女、いるんでしょ?
 イケメンでやさしそうだもん」


 瑞希は鮮やかな振り袖姿のまま、裾を気にしながら聡の後ろをついて歩いた。


 「実は大学時代から付き合っている彼女がいます。
 すみません、瑞希さんには嘘は吐けないので。
 実は来年、彼女の卒業を待って結婚するつもりなんです。
 それに瑞希さんのような美人で聡明な方と僕では不釣り合いですよ。
 すみませんが、瑞希さんの方からお断りしていただけませんか?」

 瑞希は空を見上げて笑った。

 「聡さんて正直な人ね? 私、そういうところ、嫌いじゃないわ。
 でもね、普通はそこをうまく躱さないと。あなたもいずれはお父様の地盤を引き継いで政治家になるんだから。
 嘘はだめ、どうせバレるから。
 でも偽るのはいいのよ、偽るって「人の為」って書くでしょ?」
 
 瑞希ははにかむように笑った。

 「私にとってはパパの政略結婚のようなものだから気にしないで」
 「ありがとうございます」
 「でもね、ひとつお願いがあるの、聞いてくれる?」
 「僕に出来ることなら」
 「簡単なことよ。これからふたりでドライブしない? 着物、疲れちゃった。
 着替えてくるから海にドライブに行きましょうよ、ねえ、いいでしょう?」

 聡は安心した。
 ドライブくらいなら遥も許してくれるだろうと思ったからだ。

 「いいですよ、じゃあお迎えにいきます」
 「ううん、私が迎えに行くわ、私、運転するの大好きだから」


 気怠い午後の日差しが日本庭園に差し込んでいた。
 聡はこの時、それが瑞希の仕掛けた巧妙な罠だとは微塵も気付かなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

★【完結】柊坂のマリア(作品230428)

菊池昭仁
現代文学
守銭奴と呼ばれた老人と 貧民窟で生きる人々の挑戦

★【完結】傷だらけのダイヤモンド(作品230411)

菊池昭仁
恋愛
真実の愛とは何でしょう? ダイヤモンドのような強固な意志を持って生きる雪乃は、恋人だった真也との死別によって、男を愛することが出来なくなってしまう。 そんな雪乃は再び愛を取り戻すことが出来るのだろうか?

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

★【完結】アネモネ(作品230605)

菊池昭仁
現代文学
ある裁判官の苦悩とその家族

★【詩】招待状のない音楽会

菊池昭仁
現代文学

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

処理中です...