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第7話

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 両親に報告に行った。

 「そうか? お前は子供の時からいつも事後報告だったからな?
 まあ自分で決めたことだ、がんばりなさい」

 親父はそう言っただけだった。親父もおふくろも俺に強制したことはなかった。
 医学部に入って精神科医になったのも自分で決めた。
 親父は内科と小児科のクリニックの開業医をしていた。
 おふくろは内科医だった。
 親父は教授と折り合いが悪く、万年助教授だった。
 俺が高校生の時に大学を辞め、おふくろと開業したのだった。

 「お笑いなんて面白そうね? ライブっていうの? お母さんも観にいくわね?」

 そんな両親に育てられて、俺はしあわせだった。
 だが妹の茜だけは猛反対だった。

 「お兄ちゃん、ミイラ取りがミイラになってどうすんのよ!」

 茜は小児科医だった。将来は親父たちのクリニックを継ぐつもりだった。



 誠二の言った通り、1ヶ月後には生徒は半分になっていた。

 「ええか山ちゃん、ウチの所属芸人のヒエラルキーはな? トップが3組、その次が17組、それから40組、そして残りの500組はゴミや」
 「それはピラミッドじゃなくて、大盛りのチャーハンに割り箸を刺したようなもんだな?」
 「せやから登り詰めなあかん、天下取ったろうやないけ!」

 俺は誠二と組んで本当に良かったと思った。
 誠二は野心に燃えているようだった。


 養成所は1年間だった。
 4月にクラスが決められ、相方探しが始まる。
 芸人としての基本や所作、ネタ見せがあり、幾度かの面接がある。

 ダンスに発声練習など、様々な実習訓練と、売れている芸人の講義もあった。
 入所してわかったことだが、ここは学校ではなく、芸人を発掘する鉱脈であったということだった。
 つまり一般の学校のように、いくらペーパー試験の成績が良くても実戦で使えなければ何の意味もないのだ。
 僅か数パーセントの売れっ子とその他大勢。
 俺たちは必死だった。


 誠二はいくつものバイトを掛け持ちしながらお笑いを続けていた。
 養成所は10時から21時までで1コマ、60分から140分。一日4から5コマだった。
 8月と1月は休み。

 俺はなるべく誠二に気を使わせないように、誠二の懐具合に合わせ、ネタ合わせにはカラオケルームはなるべく使わず、電車が通る川辺りの鉄橋の下で大声で練習を重ねた。
 度胸をつけるため、積極的に老人介護施設も慰問して回った。

 
 「兄ちゃんたち、面白いなあ」
 「そうでっか? 婆ちゃん? アンタお笑いをようわかってはるやないの!」
 「アンタ誰や?」

 その老婆は痴呆だった。

 「ワテらはな? 『チョコミント・アイスクリーム』やで、ばあちゃん」
 「チョコ? チョコ食べたいなあ」
 「ダメよ、ハルさんは糖尿病なんだから」
 
 ケアマネージャーの信子のぶこさんが笑っていた。

 「お腹空いた。ご飯はまだかなあ?」
 「もうー、さっき食べてウンチしたばかりでしょう?」
 「・・・」
 「あら、寝ちゃった。あはははは」

 俺は自分が精神科医だったことを思い出していた。
 ゲロを顔に吐かれたり、糞便を投げつけられたりと大変だったのが今となっては懐かしい。
 人間は生きているだけで素晴らしい存在なのだ。
 俺も誠二もケアマネの信子さんにつられて笑った。
 
 

 初めてのネタ見せでは仲間たちや講師たちの高評価を得た。

 「いいですねー? 後は少し体の動きを入れた方がいいね?」
 「はい!」
 「凄えよなあ、『チョコミン』の奴ら」
 「今度の『アホワン』のグランプリはアイツらだよ」
 「山ちゃんと誠二、いいコンビだよなあ。アイツら間違いなく売れるぜ」


 俺たちは毎日ネタ合わせをした。
 ネタは主に俺が書いた。
 
 「山ちゃん、この車掌との電車でのコントは電車の効果音を入れたらどうやろう?」
 「なるほど、より電車のイメージが湧くな?」

 俺が基本ネタを作り、それに誠二が改良を重ねた。


 
 その間にも俺はめぐみの様子が気になり、度々自宅訪問をした。

 「養成所は楽しいですか?」
 「楽しいというより、毎日が面白いよ」
 「そうですか」

 めぐみの自傷行為はなくなったが、それでも油断は出来なかった。
 それは突発的に起きる場合が殆どだったからだ。
 「死にたい、死にたい」と言っている時よりも、平常に見える時ほど気を抜くことは出来ないからだ。

 「めぐみさん、私もここに一緒に住んでもいいですか?」
 「先生とですか?」
 「ええ」
 「でもセックスは出来ませんよ」
 「ただあなたの傍にいたいんです」
 「お部屋はたくさんあるからどうぞ」

 そして俺はその日からめぐみと同居を始めることにした。



 葵にはウソを吐いた。

 「今度、誠二と暮らすことにした」
 「女と暮らすんでしょう! 女とヤルのは構わない、でも一緒に住むのだけはイヤ!」
 「すまん葵、俺たちは体の関係はない。だがいつ自殺をするかわからない女なんだ。出来るだけ傍にいてやりたいんだ」
 
 すると葵は台所から包丁を取り出し、左手首を切った。

 「バカな真似はやめろ!」
 「私だって同じよ! あなたがいないと生きていけない!」

 大学病院で処置をするわけにも行かず、俺は実家のクリニックで葵の手首の縫合をした。


 「キレイに縫ってね?」
 「困った奴だ」
 「困らせたのは誰よ?」
 「わかった、月水金土の週4日はお前と暮らす。後の火曜日、木曜日、日曜日は俺の自由にさせてくれ」
 「エッチは禁止だからね」
 「だからそういう関係じゃねえよ。はい、終わったぞ」
 「ありがとう」

 かわいい女だと思った。
 この女も守ってやりたいと俺は思った。

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