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第7話

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 クリスマスも終わり、師走は新年に向かって加速していった。

 
       元旦は 冥途の旅の一里塚  
       めでたくもあり めでたくもなし


 一休禅師は、そう元旦を詠んだ。
 私の心情は、まさにその境地だった。
 自分の命の砂時計が静かに、サラサラと落ちてゆく。
 誰もそれを止めることは出来ない。

 妻の加奈子や遼から気を遣われるのが気に障わり、何気ない言葉や態度に私はイラついていた。


 「少しは栄養のある物を食べないと」
 「要らない」
 「でも、体力が落ちてしまうわよ」
 「だからどうだと言うんだ! 俺は食いたくない! 
 そんなことをして今さら何になる? どうせ俺は死ぬんだ!」
 「ごめんなさい・・・」

 そんな毎日が続いていた。

 加奈子たちの気持ちは痛いほどよく分かっている。分かってはいるがそれを素直に受け取れない自分がいた。
 
 「何で俺が・・・」

 どうしても、そう考えてしまう。一体自分が何をしたと言うんだ。
 この52年、俺は誠実に生きて来たつもりだ。
 特別、いい事もしなかったかもしれないが、悪い事もした覚えはない。
 私は真面目に生きて来た。
 そして加奈子たちの優しさを拒絶すると、私は強烈な自己嫌悪に襲われた。



 大晦日の晩、紅白歌合戦も終わり、「ゆく年くる年」の除夜の鐘が鳴り始め、午前零時とテレビ画面に表示された。

 「明けましておめでとう、お父さん、ママ」
 「おめでとう、遼。あなた」
 「おめでとう。年が明けた7日から、入院しようと思うんだ」
 「どうして? お父さん、そんなに悪いの?」
 「俺みたいな人間は、こうしてお前たち家族といると、つい甘えてしまうからな?
 入院して、きちんと病気を治すことにしたんだ。
 美人なナースさんもいるしな? あはははは」

 加奈子も、息子の遼も笑わなかった。
 
 「甘えてもいいじゃない、家族なんだから」
 「そうだよ、家で療養しなよ。僕も協力するからさ」
 「ありがとう、でももう決めたんだ。村田先生にも相談したら、「その方がいいですね」ということになった。
 春には退院したいからな? じっくり治すよ。この病気を。
 1週間に1度、洗濯物を取りに来てくれればそれでいいからな」

 私は嘘がヘタだった。
 それは加奈子と遼を、さらに悲しませてしまった。

 だがそれは、加奈子たちへの精一杯の思い遣りだったのだ。
 私は少しでもふたりの負担を軽くしてやりたかった。

 


 寝室に入ると、加奈子が言った。

 「本当に入院するの?」
 「ああ、もう決めたんだ。俺はどんどん暴君ネロになりそうだからな? 君たちに嫌われて死ぬのはイヤなんだ」
 「いいじゃないの、別に暴君のままでいれば。
 私は平気よ、ドMだから。
 病院じゃなくてウチにいたら?」
 「ありがとう、加奈子。
 でも、俺が辛いんだよ、そんな自分を見るのが、そしてお前たちを見るのが。
 どうせ死ぬなら「良い旦那、良い父親」で死にたいじゃないか?
 だから君たちには俺の嫌な所は、なるべく見せたくはないんだよ」
 
 加奈子は私をやさしく抱きしめてくれた。

 「私は光明とずっとこうしていたい、いつまでもずっと」
 「俺も、俺もそうしたい、お前とずっと一緒にいたい・・・」

 微かに除夜の鐘の音が聞こえていた。

 「寝よう、そして朝になったら3人で、いつもの神社に初詣に出掛けよう」
 
 加奈子は泣きながら頷いた。




 元日の朝は、雲ひとつない晴天だった。
 一年の始まりに、ふさわしい朝だった。
 かなりの人が参拝に訪れていた。
 
 私たちの順番になり、お賽銭を投げ入れ、鈴を鳴らし、手を合わせた。
 私の願いはこうだった。


    どうか、このふたりが悲しみませんように
    そっと死なせて下さい


 おそらく、加奈子と遼は私の奇跡を祈ったはずだ。
 だが私は、自分の死によって、家族が悲しむのが辛かった。
 死を目の前にして、徐々に自分の死に対する意識の変化を感じていた。
 恐怖から苛立ち、諦め、そして私の死後の不安。
 それが今は、これまで私を支えてくれた人たちへの感謝へと変わり始めていた。


      ありがとう 加奈子 遼




 そして、私は入院した。

 「春木さん? どこか痛みとかはありませんか?」
 「大丈夫です。ここの病院のベッドはいいですね? ぐっすり眠れますよ」
 「評判いいんですよ、患者さんたちにこのベッド。
 35.8℃ですね? ではまた、夕方に検温に来ますね?」
 「よろしくお願いします」


 ガンになると体温が低下するというが、どうやらそれは本当のようだった。
 トイレで用を足してオシッコが手に掛かった時、その冷たさに私は愕然とした。
 冷たいカラダ。それは私に死が近づいていることを意識させた。



 入院してたくさん本を読み、音楽を聴いた。
 やることがないのと、死を忘れるために私はひとり、藻掻いていた。


 加奈子と遼は毎日、私を見舞ってくれた。

 「いいよ、大変だから毎日は来なくても」
 「何か食べたい物とか、欲しい物はない?」
 「肩を揉んであげようか? お父さん」
 「悪いな、じゃあお願いするかな」
 
 息子の大きな力強い手、幼かったこの子がこんなにも逞しく成長していることに、私は目頭が熱くなった。

 もう私は死ぬというのに。
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