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9月21日(月)晴れ 入院16日目
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入院中は何もすることがない。本も読めないのでもっぱらテレビとラジオで時間を潰す毎日。
6時にナースの検温とバイタルチェック、点眼。
食事を終えて診察。そして昼にまた検温と血圧測定、そして点眼。ごはんを食べるといつの間にかまた看護士さんが検温等をして夕食。
意外にも入院生活の一日は早く過ぎてゆく。
50歳を超えると老いが迫って来る実感がある。
40歳では感じなかった体の衰え。
昔のようには行かない。記憶力もどんどん悪くなって行く。
一体俺はいつまで生きられるのだろう。あと20年? それとも1年? あるいは今日の夕刻に死んでいるかもしれない。先のことなど「神のみぞ知る」だ。
昭和初期までは「人生50年」と言われていたが、今では100歳など珍しくもなくなった。
長生きすることはいいことだが、それには長生きするだけの豊かな生活が伴わなければならない。
健康で財力もあり、妻や子どもたち、孫やひ孫たちにも愛され、穏やかに過ごす老後には憧れる。
そして最期はそんな家族や友人、愛人たちに看取られて死ねたら本望だ。
人間の一生はどれだけ長く生きたかではなく、いかに生きたかだと思う。
俺はすべての望みを叶えた。故に自分の人生に後悔はない。
だが迷惑を掛けた人たちに恩返しがまだ出来ていない。
このまま死んでしまうには、あまりにも無責任な話だ。
今こうしてベッドで寝ていると思う。人生は、
「ありがとう」を集めるスタンプラリー
なのだと。俺の人生は「ありがとう」を言ってばかりの人生だった。
「ありがとう」と言われる生き方をしたい。
死んでしまえば生きている人の記憶から自分が消えてゆく。
俺の場合は惜しまれて死んで行くことは無理だ。
花輪も弔問客もなく、無縁仏となって独りで死んでゆくのだ。
自分のエゴイスティックな「我」がそうさせた。
それでも今生では無理でも、来世でのまともな生き方をするために、今からでも遅くはない、人の立場を理解して生きる努力はしなければならない。
自分と一緒にいるだけで、ほっこりしてもらえるようなそんな生き方がしたい。
やさしくなりたい、強くなりたい。ちゃんとした大人になりたい。
何かの本で読んだが、「人の一生は28歳までの生き方で決まる」と書いてあった。
その通りなのかもしれない。俺は25歳で結婚をしたが、精神的にはまだガキだった。
失明するかもしれない今、子供たちからの電話もメールもない。
それほど俺は子供たちから嫌われているのだろう。
寂しくないのかと言えば嘘になる。子供たちに会いたい。
俺のあぐらの上に座って絵本を読み聞かせてやった息子、「パパ、いっしょにネンネしよう」と、枕を引き摺って俺のところにやって来た娘。
家族は仲良くなければいけない
それはただの呪縛だ。何故かいがみ合ってばかりいる家族もいるではないか。
「こうあるべきだ」などという考えは間違っている。
自分が相手のために尽くしたかどうかは自分が決めることではない。相手が決めることだ。
「あんなに愛してやったのに」とは自分の勝手な思い上がりだ。
相手がどう思おうが、感じようが、それは大した問題ではない。
何も考えず、見返りを求めない無償の愛。それこそが大切なのだ。
反省の日々はいつまで続くのだろう? この入院生活はいつ終わるのだろうか?
怖くて佐藤医師に訊くことが出来ない。
なぜなら先生からは「退院」の話が一向に出ないからだ。
つまりそれだけ私の症状は「危うい」ということになる。
俺は臆病な小心者だ。
6時にナースの検温とバイタルチェック、点眼。
食事を終えて診察。そして昼にまた検温と血圧測定、そして点眼。ごはんを食べるといつの間にかまた看護士さんが検温等をして夕食。
意外にも入院生活の一日は早く過ぎてゆく。
50歳を超えると老いが迫って来る実感がある。
40歳では感じなかった体の衰え。
昔のようには行かない。記憶力もどんどん悪くなって行く。
一体俺はいつまで生きられるのだろう。あと20年? それとも1年? あるいは今日の夕刻に死んでいるかもしれない。先のことなど「神のみぞ知る」だ。
昭和初期までは「人生50年」と言われていたが、今では100歳など珍しくもなくなった。
長生きすることはいいことだが、それには長生きするだけの豊かな生活が伴わなければならない。
健康で財力もあり、妻や子どもたち、孫やひ孫たちにも愛され、穏やかに過ごす老後には憧れる。
そして最期はそんな家族や友人、愛人たちに看取られて死ねたら本望だ。
人間の一生はどれだけ長く生きたかではなく、いかに生きたかだと思う。
俺はすべての望みを叶えた。故に自分の人生に後悔はない。
だが迷惑を掛けた人たちに恩返しがまだ出来ていない。
このまま死んでしまうには、あまりにも無責任な話だ。
今こうしてベッドで寝ていると思う。人生は、
「ありがとう」を集めるスタンプラリー
なのだと。俺の人生は「ありがとう」を言ってばかりの人生だった。
「ありがとう」と言われる生き方をしたい。
死んでしまえば生きている人の記憶から自分が消えてゆく。
俺の場合は惜しまれて死んで行くことは無理だ。
花輪も弔問客もなく、無縁仏となって独りで死んでゆくのだ。
自分のエゴイスティックな「我」がそうさせた。
それでも今生では無理でも、来世でのまともな生き方をするために、今からでも遅くはない、人の立場を理解して生きる努力はしなければならない。
自分と一緒にいるだけで、ほっこりしてもらえるようなそんな生き方がしたい。
やさしくなりたい、強くなりたい。ちゃんとした大人になりたい。
何かの本で読んだが、「人の一生は28歳までの生き方で決まる」と書いてあった。
その通りなのかもしれない。俺は25歳で結婚をしたが、精神的にはまだガキだった。
失明するかもしれない今、子供たちからの電話もメールもない。
それほど俺は子供たちから嫌われているのだろう。
寂しくないのかと言えば嘘になる。子供たちに会いたい。
俺のあぐらの上に座って絵本を読み聞かせてやった息子、「パパ、いっしょにネンネしよう」と、枕を引き摺って俺のところにやって来た娘。
家族は仲良くなければいけない
それはただの呪縛だ。何故かいがみ合ってばかりいる家族もいるではないか。
「こうあるべきだ」などという考えは間違っている。
自分が相手のために尽くしたかどうかは自分が決めることではない。相手が決めることだ。
「あんなに愛してやったのに」とは自分の勝手な思い上がりだ。
相手がどう思おうが、感じようが、それは大した問題ではない。
何も考えず、見返りを求めない無償の愛。それこそが大切なのだ。
反省の日々はいつまで続くのだろう? この入院生活はいつ終わるのだろうか?
怖くて佐藤医師に訊くことが出来ない。
なぜなら先生からは「退院」の話が一向に出ないからだ。
つまりそれだけ私の症状は「危うい」ということになる。
俺は臆病な小心者だ。
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