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9月19日(土)晴れ 入院14日目

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 人生はひとり旅。

 今になって思えば、俺は寂しさを女で埋めようとしたのかもしれない。
 俺の居場所は既に家庭にはなかった。
 がんばって働いていたら、いつの間にか家族から避けられるようになっていた。
 あの頃の俺は怖かったという。

 恋に恋していたような、女子高生のような恋愛ごっこ。
 俺は未だに恋愛が何なのか、分かってはいない。
 女の愛し方がわからない。
 50を過ぎたオッサンが、家族からも愛想を尽かされ、いつ退院出来るのかさえ分からない、勾留生活。
 俺は結婚には向かない男であり、結婚してはいけない男だったのだ。
 「結婚式で泣く男とは結婚してはいけない」らしい。
 そんなやさしい男は、すぐに周りの淋しそうな女に入れ込んでしまうからだと言う。
 俺は自分の結婚式で、ずっと泣いてばかりいた。花婿なのに。
 ただうれしかった。殆どを海外で過ごしていた超遠距離恋愛を、4年も続けた。
 この女と暮らせるならば、仕事なんて何でもいいと思った。
 離婚の「離」の字も考えたことはない。そんなのは他人事だと思っていた。
 毎日がしあわせだった。俺は。

 不倫。それは実りのない恋だった。傷つけ合って別れた。
 人はなぜ恋をするのだろう? 
 カネも時間も掛かるこのゲームに、なぜ人はのめり込むのだろう?
 ユーミンの歌ではないが、

     昔の恋を懐かしく思うのは
     今の自分がしあわせだからこそ

 今の俺はしあわせなのか?
 失明するかもしれないというのに?
 本も映画も、テレビも美しい景色も見えなくなるかもしれないのに?
 一人で買物も出来ず、美味しそうな料理も、美しい女も見ることが出来なくなるというのにか?
 好きだったクルマの運転も出来ず、料理も作れない。
 そんな毎日に俺は耐えられるだろうか?

 耐えられまい。


 家族の愛に飢えていた。
 俺は間違っていたのだ。家族を凄く愛していたことはウソではない。
 出来ることは何でもした。温泉、海外旅行。大きな屋敷、乗り心地のいいクルマ。
 時間の合間を縫って子供たちとキャッチボールに天体観測、釣りに潮干狩り。
 一緒に絵を描いたり、ウドンを打ったり、ケーキを作ったり、眠る時には絵本も読んであげた。
 だが嫌われてしまった。
 それは俺の自己満足だったのかもしれない。
 離婚してから女房に言われた。

 「普通の生活で良かったのよ。私たちは贅沢なんか望んではいなかった。
 人並みに暮らせればそれで良かったの。
 あなたは本当にして欲しいことをしてはくれなかった」

 大人になった子供たちからも言われた。

 「相談したい時にパパはいなかった」と。


 簡単に言えば、しあわせの価値観が違っていたということだ。俺は家族にしあわせの押売をしていたのだ。
 女房は両親が公務員で、恵まれた環境の中で育った、お嬢様だった。
 一方の私はすべてにおいて我慢を強いられて育ち、理想の家庭生活を持っていた。
 高級外車に乗り、大きな屋敷に住んで家族に贅沢をさせてあげることが私の夢だった。
 そしてその夢を実現し、家族は俺の元から去って行った。
 当然の報いである。それは私の夢であり、家族が望んだ暮らしではなかったのだから。


 俺は家族を食わせるために精一杯だった。家族のために自分を犠牲にし、そして家族を犠牲にした。
 俺は不幸の実がなる木を、一生懸命育てていたのだ。
 そして家族も自分も不幸にした。
 
 クルマは3ヶ月、家は1年で飽きてしまうものだ。
 結婚生活をちゃんと続けている人たちは凄い。尊敬に値する。
 俺はちゃらんぽらんのロクデナシだ。エゴイストでペシミスト。
 忙しいとは「心を滅ぼす」と書くが、私は心を亡くしていた。 


 失明したらこれからどうやって生きていけばいいのだろう?
 按摩師?、鍼灸師?、指圧師?、琵琶法師? 琵琶は引けないか。
 ましてや辻井伸行さんのようにピアノも弾けない。
 宗教家? 無理な話だ。神様に救われている私が神様を語るなど、ふざけた話だ。
 占術師? 疲れる。
 
 どうした俺? やけに今日は暗いぞ。
 
 
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