それを人は愛と呼ぶ

菊池昭仁

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第10話

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 大野が黒服とミーティングをしていると、千秋が店にやって来た。

 「おはようございます」
 「どうした千秋? 今日は早いな?」
 「店長、ちょっといいですか?」

 大野は千秋の表情から、おおよその話をすぐに察しがついた。

 「そうか、じゃあ『グレコ』で聞くよ」

 ふたりはアーケードにあるフルールパーラー、『グレコ』で話をすることにした。



 「イチゴが旨い季節になったよな? イチゴパフェでいいか?」
 「はい」
 
 
 大きなイチゴパフェが運ばれて来た。
 大野が先にスプーンでイチゴとクリームを掬った。

 「店長。私、お店を辞めたいんですけど」
 「辞めてどうするんだ? 宛はあるのか?」
 「定食屋で働くことにしました」

 (他店からの引き抜きなのか?)

 大野は少し警戒をした。

 「宇都宮では名の知れた、『王様と私』のナンバー・ワンが生姜焼き定食を客に出すというのか?」
 「生姜焼き定食はありませんけどそうです」
 「どこの店だ?」
 「港町食堂です」
 「港町食堂か・・・。何が不満なんだ? カネか? それともこの前のクソ野平のことが原因なのか?
 野平の件ならもうケリはついている。もう店には来ないから安心しろ」
 「そうじゃないんです。疲れちゃっただけです、私。キャバ嬢という仕事に」
 「そうか? まあ溶けないうちに早く食え。このイチゴ、結構甘いぞ」
 「いただきます」

 千秋は美味そうにイチゴ・パフェを食べていた。



 店が終わり、千秋と大野は五島会長に呼ばれた。
 大野はいつものようにお気に入りのハバナをふかしながら、各店舗から上がってくる現金を数えていた。
 その光景はハリウッドのギャング映画のようでもあった。

 「会長、本日の売上です」
 「ご苦労さん。今日は少ねえなあ、これだけか?
 木島のデリは順調だぞ?」
 「すみません」
 「千秋ちゃん、店を辞めたいんだって?」
 「はい。今週一杯で辞めさせて下さい」
 「今のようなカネを稼ぐのは大変だぞ」
 「わかっています。でももう限界なんです」
 「今度、高級クラブを出す予定なんだが、そこの店のママに千秋ちゃんをと考えていたんだが、どうだ? やってみないか? 売上の10%をバックするぞ」
 「もう決めたので」
 「大野店長から聞いたよ。あのラーメンとカレーだけの店にか? あんな店で働いてどうする?
 月15万にもならねえぞ」
 「まかないもあるので大丈夫です」
 「あの食堂のオヤジとデキているのか?」
 「そんなんじゃありません」
 「そうか? まあ千秋ちゃんを信じるとしよう。
 だが残念だなあ、実に残念だ。
 わかった、そう結論は急がずに、少し考えてみてよ。
 新しい店は『マンハッタン・カフェ』という名前なんだ。どうだ? いい名前だろ?
 千秋ちゃんの好きにしていいからね? スタッフも内装もすべて千秋ちゃんに任せるから」
 「会長、ありがとうございます。
 でも気持ちは変わりません。今までお世話になりました」
 「悪い話ではないはずだ。よく考えてみてくれ。
 疲れているところ、すまなかったね?」
 「いえ、失礼します」


 千秋が会長室を出て行くとすぐ、五島は大野を怒鳴りつけた。

 「お前、何をやっておるんじゃ!
 マサトとは別れたのか? あの腐れホストとは!
 あの店の売上の半分は千秋が稼いでいるのはお前が一番よくわかっておるじゃろう!」
 「申し訳ありません」
 「だったら別のヒモ・ホストをくっつけろ!
 カネを貢ぐ相手がいなくなるからこうなるんだ!
 どんな手を使ってでも千秋を繋ぎ留めろ! いいな!」
 「わかりました。
 会長、新しい店に千秋をお考えですか?」
 「馬鹿野郎! ハッタリに決まってんだろう! 餌だよ餌! このボケが!
 お前は女の子の管理もロクに出来ねえのか!
 何でもハイハイ言ってんじゃねえぞ! タコ!
 何年やってんだ!」


 翌日、大野は大湊の店に行くことにした。
 千秋を取り戻すために。



 それは私が夜の仕込みをしている時だった。

 「ちょっといいか?」

 たまに店に顔を出すその男には見覚えがあった。
 私はピンと来た。
 千秋の店のヤツだと。

 (コイツが店長?)
 
 「今、仕込み中なんだ、手短に頼むよ」
 「千秋を採用しないで欲しい」
 
 私は野菜を切りながら大野を見ずに言った。


 「働きたいと言って履歴書を持って面接に来たので採用することにした。
 決めるのは千秋だ。俺じゃねえ」
 「アンタから千秋に採用しないと言ってくれ」
 「嫌だと言ったら?」
 「この街で商売しているならウチの五島会長を知らないわけじゃねえよな?」
 「俺を脅しているのか?」
 「面倒なことになるぜ」
 
 私はそれを無視した。
 
 「仕込みがあるんだ。帰ってくれ」
 「バカな奴だ。あんな小娘に入れ込むなんてな?
 後悔することになるぞ」

 それだけ言って店を出ると、大野はすぐに双竜会の小野寺に電話を掛けた。

 「若頭ですか? 『王様と私』の大野です。いつもお世話になっています。
 ちょっとご相談がありまして・・・」
 「何だ?」
 「実は・・・」



 その日から大湊への嫌がらせが始まった。
 ふたりのチンピラが店にやって来た。

 「ラーメン2つー」

 二人は入口近くのカウンターに並んで座った。
 大湊が支那そばをカウンターに置くと、兄貴分らしいその男がタバコに火を点けた。

 「みなさーん、ここのラーメンは最高ですねえ?
 宇都宮イチだ。いや世界一だな? ここのラーメンは」
 
 店に緊張が走った。

 「こんな旨いラーメン、食ったことねえだろう?
 なあ慎吾?」
 「アニキ最高ですぜ、このラーメン。
 まだ食ってねえですけど。あはははは」
 「バカ野郎、食ってから言え。
 じゃあ俺が味変してやるからよ」

 その男は支那そばの中に火の点いたタバコを入れた。
 ジュっという音がして、タバコが支那そばの中に入った。

 「これでもっと旨くなったぜ。慎吾、食ってみろ」
 「食えねえっすよ。これ、灰皿だったんっすか? エヘヘ」
 「何? 灰皿? そうか? これ灰皿だったんか? どうりでクソ不味いと思ったぜ」

 すると男はきっちりと代金をカウンターに置いてこう言った。

 「これから毎日、タバコを吸いにくるからよろしく」

 
 嫌がらせがが3日間続いた。
 私は直接五島会長を訪ねることにした。


 五島会長は大湊を一瞥して言った。

 「アンタが大湊さんか? 珈琲でいいか?」
 「お話があります。店への嫌がらせを止めて下さい」
 「それともビールの方がいいか?」

 五島は冷蔵庫から缶ビールを2本取り出すと、一本を大湊に勧めた。
 会長は美味そうにビールを飲んだ。

 「俺は胃袋を3分の2を切っているから酔わねえんだよ」
 「嫌がらせを止めてもらえませんか?」
 「一体何の話だ?」
 「お願いします」

 私は頭を下げた。

 「千秋を返してくれ。いい歳した大人が、あんなションベン臭え女を相手にしてどうする?
 お前、ロリコンなのか?
 女ならいくらでも紹介するぜ」
 「それは出来ません。ウチで働くかどうかは千秋が決めることですから」
 「アンタ、この街で商売出来なくなってもいいのか?」
 「それならそれまでです。私は一度口に出したことを撤回したくないだけです。
 それは千秋に義理を欠くことになりますから」
 「馬鹿なヤツだ。ヤクザでもあるまいに。
 しかも相手は小娘だぞ?」
 「今の私に失う物はありません。独り身なので身内はおりません。
 あの店に執着はありません。だが脅しには屈するわけにはいきません。
 どうしても止めてもらえないというのであれば、あなたを殺して私もここで死にます」

 私は背広のズボンのベルトに隠しておいたトカレフを天井に向けて引き金を引いた。
 乾いた音が会長室に響いた。
 会長室は最上階の5階にあり、鉄筋コンクリートだったので、関係のない人間を巻き込む恐れはなかった。
 天井に小さな穴が一つ空いた。
 だが五島は動じなかった。

 「久しぶりに手応えのある男に会えたもんだ?
 お前、気質かたぎじゃねえな?
 定食屋のオヤジにしておくには勿体ねえ。
 どうだ? 俺のところで働かねえか?」
 「私は一人が性に合っています」
 「今度、店に寄らせてもらうよ」
 「お待ちしています」

 五島会長との話はついた。
 
 
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