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第7話
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「明日はサボーナに行くからな? おやすみ悦子」
「今日も凄く楽しかったです。おやすみなさい、陽一さん」
そう言って悦子は私に「おやすみのキス」をすると、自分の部屋に入って行った。
私も自室に入り、ソファに体を投げ出し、天井を眺めていた。
今日も楽しい一日だった。
美しいポルトフィーノの街を歩き、悦子との食事。
ベッドを共にしないことを除けば、まさに新婚旅行の気分だった。
私はこの心地よい余韻に更に深く浸りたいと思い、ホテルのバーラウンジに降りて行った。
「バランタインの12年をロックで」
「かしこまりました」
私はタバコに火を点け、ようやく落ち着いた。
やはり女として意識してしまった悦子といると、彼女を気遣う自分がいる。
こうしてひとりでいる時間も悪くはない。
私はネクタイを緩め、女房の裕子のことを考えていた。
裕子は大学のスキーサークルの後輩だった。
私のような自由気ままな男と結婚し、子供たちを育てるのは大変なことだったはずだ。
会社が大きくなるにつれ、私のストレスも更に強くなっていった。
私のストレス解消は酒と女だった。
今も高田馬場のクラブホステス、千秋と1カ月に1度のペースで逢瀬は続いていた。
千秋とはカラダの付き合いだけだった。
千秋もそれ以上の関係を望むような女ではなかった。
私たちはお互いに都合のいい関係だった。
女房の裕子に対しての罪悪感はなかった。
すでに私たち夫婦に恋愛感情はなく、ただダラダラと家族関係が続いているだけだったからだ。
だから私の解釈として、それは浮気ではない。
そして裕子とは10年以上もセックスレスだった。
だが今回の旅行で悦子がただの仕事上のパートナーではないことを自覚してしまった今、私の心情は複雑だった。
それは日本では見ることの出来なかった悦子の別な姿を知り、人妻でもなくなりそうな状況にあるからなのかもしれない。
私は今日、レストランのテラスで海面の照り返しを受けて輝く、悦子を想い出していた。
背後から悦子の声がした。
「ズルいですよ陽一さん、自分だけお酒を飲むなんて」
悦子が私の隣に座った。
「今日はたくさん歩いたから、疲れていると思って誘わなかった。
そして美女と一緒だと、緊張するからな?」
「私も同じですよ。陽一さんといると凄く緊張します。
私にはマルガリータを」
「はい、奥様」
バーテンダーは悦子の左手の薬指にある、結婚指輪を見逃さなかった。
悦子が来たので、私はタバコの火を消した。
「陽一さんのそういうさりげない気遣い、好きです」
「別に悦子に気を遣ったわけじゃねえよ」
「私も一本、貰ていいですか?」
「タバコ、吸うのか?」
「たまにですけどね? タバコを吸う女はキライですか?
仕事でイラついている時とか、寂しい時、そして今みたいな時には吸いたくなります」
「今みたいな時?」
私は悦子にタバコを差し出し、ライターで火を点けてやった。
悦子は物憂げに、軽くタバコの煙を吐いた。
「あー、美味しいー。
最近はよく吸うんですよ、私もタバコを」
いい女がタバコを吸っている仕草は絵になるものだ。
それは美人がオープンカーを自分で運転しているようなものに似ている。
そのギャップがいいのだ。
私は再びタバコに火を点けた。
「今みたいな時とは、こんな時のことです」
悦子は私の手に自分の手を重ねた。
「マルガリータって、女の人の名前なんですよね?」
「ああ、英語ではマーガレット。花の名前にもなっているよな? 確かこのカクテルを考えた、ジョン・デュレッサーの恋人の名だったはずだ」
「じゃあ、このカクテルの意味もご存知?」
「無言の愛」
悦子がタバコを吸うと、火垂るのように煙草が赤く光っていた。
悦子がマルガリータを口にした。
「マルガリータがジョンと一緒に狩りに出掛けた時、彼のライフルの流れ弾が彼女に当たって死んでしまう。
哀しいお話です」
「自分が殺したようなものだからな?
愛すれど哀しくか・・・」
「私も同じです。
陽一さんの撃った流れ弾に当たって死にそうなんです」
悦子は私に体を寄せた。
私は心の中で呟いた。
(それは俺も同じ気持ちだ)
悦子の吸うタバコとトリートメントの甘い香りがした。
俺の知らない悦子のもうひとつの扉が開きそうだった。
「今日も凄く楽しかったです。おやすみなさい、陽一さん」
そう言って悦子は私に「おやすみのキス」をすると、自分の部屋に入って行った。
私も自室に入り、ソファに体を投げ出し、天井を眺めていた。
今日も楽しい一日だった。
美しいポルトフィーノの街を歩き、悦子との食事。
ベッドを共にしないことを除けば、まさに新婚旅行の気分だった。
私はこの心地よい余韻に更に深く浸りたいと思い、ホテルのバーラウンジに降りて行った。
「バランタインの12年をロックで」
「かしこまりました」
私はタバコに火を点け、ようやく落ち着いた。
やはり女として意識してしまった悦子といると、彼女を気遣う自分がいる。
こうしてひとりでいる時間も悪くはない。
私はネクタイを緩め、女房の裕子のことを考えていた。
裕子は大学のスキーサークルの後輩だった。
私のような自由気ままな男と結婚し、子供たちを育てるのは大変なことだったはずだ。
会社が大きくなるにつれ、私のストレスも更に強くなっていった。
私のストレス解消は酒と女だった。
今も高田馬場のクラブホステス、千秋と1カ月に1度のペースで逢瀬は続いていた。
千秋とはカラダの付き合いだけだった。
千秋もそれ以上の関係を望むような女ではなかった。
私たちはお互いに都合のいい関係だった。
女房の裕子に対しての罪悪感はなかった。
すでに私たち夫婦に恋愛感情はなく、ただダラダラと家族関係が続いているだけだったからだ。
だから私の解釈として、それは浮気ではない。
そして裕子とは10年以上もセックスレスだった。
だが今回の旅行で悦子がただの仕事上のパートナーではないことを自覚してしまった今、私の心情は複雑だった。
それは日本では見ることの出来なかった悦子の別な姿を知り、人妻でもなくなりそうな状況にあるからなのかもしれない。
私は今日、レストランのテラスで海面の照り返しを受けて輝く、悦子を想い出していた。
背後から悦子の声がした。
「ズルいですよ陽一さん、自分だけお酒を飲むなんて」
悦子が私の隣に座った。
「今日はたくさん歩いたから、疲れていると思って誘わなかった。
そして美女と一緒だと、緊張するからな?」
「私も同じですよ。陽一さんといると凄く緊張します。
私にはマルガリータを」
「はい、奥様」
バーテンダーは悦子の左手の薬指にある、結婚指輪を見逃さなかった。
悦子が来たので、私はタバコの火を消した。
「陽一さんのそういうさりげない気遣い、好きです」
「別に悦子に気を遣ったわけじゃねえよ」
「私も一本、貰ていいですか?」
「タバコ、吸うのか?」
「たまにですけどね? タバコを吸う女はキライですか?
仕事でイラついている時とか、寂しい時、そして今みたいな時には吸いたくなります」
「今みたいな時?」
私は悦子にタバコを差し出し、ライターで火を点けてやった。
悦子は物憂げに、軽くタバコの煙を吐いた。
「あー、美味しいー。
最近はよく吸うんですよ、私もタバコを」
いい女がタバコを吸っている仕草は絵になるものだ。
それは美人がオープンカーを自分で運転しているようなものに似ている。
そのギャップがいいのだ。
私は再びタバコに火を点けた。
「今みたいな時とは、こんな時のことです」
悦子は私の手に自分の手を重ねた。
「マルガリータって、女の人の名前なんですよね?」
「ああ、英語ではマーガレット。花の名前にもなっているよな? 確かこのカクテルを考えた、ジョン・デュレッサーの恋人の名だったはずだ」
「じゃあ、このカクテルの意味もご存知?」
「無言の愛」
悦子がタバコを吸うと、火垂るのように煙草が赤く光っていた。
悦子がマルガリータを口にした。
「マルガリータがジョンと一緒に狩りに出掛けた時、彼のライフルの流れ弾が彼女に当たって死んでしまう。
哀しいお話です」
「自分が殺したようなものだからな?
愛すれど哀しくか・・・」
「私も同じです。
陽一さんの撃った流れ弾に当たって死にそうなんです」
悦子は私に体を寄せた。
私は心の中で呟いた。
(それは俺も同じ気持ちだ)
悦子の吸うタバコとトリートメントの甘い香りがした。
俺の知らない悦子のもうひとつの扉が開きそうだった。
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