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第18話 五郎の元家族
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ドゴール空港で搭乗手続きを終えたアリスだったが、手荷物検査の遅れで搭乗が1時間遅れるというアナウンスがあった。
アリスは空港内のカフェカウンターで珈琲を買った。
これから乗る日本航空の機体を前に、待合エリアのベンチに腰掛け、先程の手荷物検査の時にバッグから出て来た封筒を開けてみると、それは五郎からの手紙と、昨日、五郎から受け取らなかったキャッシュカードと1万円が入っていた。
アリスへ
楽しいひと時だった。ありがとう。
アリスは本当に自分の娘のようだった。
神様は最期にこんな素敵なプレゼントを贈って
くれた。
パリはたくさんの顔がある街だ、それを紹介する
には100年あっても足りないだろう。
もっともっと素敵なパリを案内したかった。
アリス、人はいつかは死ぬのが定めだ。
それが早いか遅いかの違いだけだ。
人間は病気や事故で死ぬのではない、神様がお決め
になった寿命で死を迎えるのだ。
だが、死は悲しむべきものではない。
それは永遠の別れではあるが、自分の人生をZERO
にリセットすることでもある。
俺はアリスのそのやさしさが心配だ。
君のやさしさは自分を捧げるやさしさだからだ。
アリス、自分を大切にするんだよ、他人の事など
気にしなくていいんだ。
だから俺の事はもう気にするな。
アリスの人間としての成長を見届けられそうもない
が、いつも俺は君のご両親と同じようにアリスを
見守っているからな。
今度は是非、イケメンの彼とパリを訪れて下さい。
そしてその彼にもサモトラケのニケを見せてあげる
といい。
アリス、素敵な思い出を沢山ありがとう。
自分を大切にするんだよ。
愛するわが娘、アリスへ
一ノ瀬五郎
追伸
少しだが今後の人生の足しにして下さい。
万一のこともある、口座が凍結されないうちに全
額を引き出しておきなさい。
養女の件、間に合わなくてすまなかった。
すべては遺言書に記してあるから安心してくれ。
1万円を同封しておいたから、日本に着いたら寿司
でも食べて下さい。気を付けてな。
アリスは五郎の手紙を抱き締めて泣いた。
周りに人がいるのも憚ることなく、声を挙げてアリスは泣いた。
「五郎ちゃんのバカ! やさしいのは五郎ちゃんの方じゃないの!」
途中、ロシアの上空で少し機体が揺れたが、おおむね快適なフライトを続けていた。
あと1時間ほどで成田に到着する。
機内アナウンスが始まった。
「みなさま、長旅お疲れ様でした。
当機は間もなく成田国際空港への着陸態勢に入ります。
シートベルトをお締めになり、今しばらくお待ちください。
ただいまの日本の時刻は午後3時24分でございます。
現地からの報告によりますと天候は晴れ、外気温は12℃との報告を受けております。
本日は日本航空をご利用いただきまして、誠にありがとうございました。
ladies and gentlemen, we are ...」
機体は徐々に高度を下げて、機内の窓から成田の田園地帯が迫って来ていた。
機体は軽くバウンドをして、無事に着陸した。
アリスにも懐かしさがこみあげてきた。
だがアリスの帰国の目的は優香を五郎に会わせることだった。
アリスは入国手続きを終えると、すぐに優香と晴美の住む横浜へと向かった。
五郎の入院中に横浜の住所は調べてあり、予め手紙も送っておいた。
アリスは携帯に入力した住所をナビに従い、優香たち母娘の住むマンションへと急いだ。
そこは中華街の近くにある、海が見える高層マンションだった。
そこの20階のフロアに彼女たちの住まいがあった。
アリスは勇気を持ってエントランスのチャイムを押した。
「どちら様ですか?」
「パリから参りました、鮎川アリスと申します」
「ああ、お手紙の。どうぞお入り下さい」
エントランスのガラスのドアが開いた。
アリスはドキドキしながらエレベーターに乗った。
震える手でドアの隣のチャイムを押した。
すると美しい年配の女性が現れた。
「一ノ瀬の元家内です、どうぞ中へお入り下さい」
リビングに入ると、コーギー犬がアリスに飛び掛かって来た。
「ダメよ、レオン。お客様なんだから」
コーギーは晴美の命令に素直に従い、ソファに移動した。
私と同世代くらいの可愛らしい女の子が、軽く会釈をして私を出迎えてくれた。
彼女が優香だった。
「はじめまして、磯山です。
私は旧姓に戻ったんだけど、娘は一ノ瀬のままなの。しっくりこなくてね、磯山だと」
「はじめまして、鮎川アリスです」
「どうぞ、お掛けになって下さい。今、お茶を淹れますから。
帰国したばかりで疲れたでしょう? ほうじ茶でもいいかしら?」
「ありがとうございます、どうぞお構いなく」
晴美はお茶を淹れながら言った。
「お手紙どうもありがとう。結論から言うと私たち、あの人には会えない、いえ、会いたくはないの。
ごめんなさいね」
「どうしてですか?」
「それを話すと長くなるわ、とにかく彼と会う気はないのよ、折角来てくれて悪いんだけど」
その時優香が初めて口を開いた。
「あんなの父親なんかじゃないよ」
優香はコーギーを撫でながら、独り言のように言った。
「ご主人はあなたたちに会いたいとは言ってはいません。
でもわかるんです、すごく会いたがっていることが。
ご主人は末期がんで先日も倒れて病院に入院しましたが、今は自宅で静養していらっしゃいます。
もう長くはないそうです。
ですからお願いです、どうかご主人を見舞ってあげて下さい、お願いします!
最期にご主人に会ってあげて下さい!」
アリスは床に土下座をして頭を下げた。
「そんなことしないで頂戴、頭を上げて。
鮎川さんの気持ちはありがたいけど、もう私たちは家族じゃないの、そっとしておいて下さい」
「もう会えないかもしれないんですよ!」
私は涙が止まらなかった。
「別れた時に約束したの、どんなことがあっても二度と会わないって」
晴美はアリスの前にほうじ茶と中国菓子をそっと置いた。
「月餅もいかが? ほうじ茶とよく合うわよ」
アリスは落胆した。
「どうしてもダメですか!」
「ごめんなさいね、わざわざパリから来てくれたのに。
日本へは当分いらっしゃるの?」
「いえ、明日、フランスに戻ります・・・」
「あら、そう。もうすぐ夕方だから、どう? 日本食でもご馳走させていただけないかしら?
近所に美味しいお寿司屋さんがあるのよ」
憧れのお寿司だったが、アリスは食事が喉を通らなかった。
「鮎川さん、あんまりお箸が進まないようだけど?」
「どうしても駄目ですか?」
「ごめんなさいね、色々心配してくれて」
晴美はそう言って鮨を摘まんだ。
「よかったらウチに泊っていきなさいよ、ホテルはもう取ったの?」
「いいえ、まだ・・・」
「じゃあ決まりね? すみません、お寿司はお持ち帰りにして下さい」
「かしこまりました」
アリスはお風呂に浸かり、反省した。
「後先も考えず、バカみたい・・・」
アリスは優香の部屋に泊めてもらうことになった。
「ねえ、なんでそこまでしてあげるの? あの人に」
優香が言った。
「私ね、両親が自殺して、以前からママが言っていた、サモトラケのニケに会いにパリに行ったの。
そしてそこであなたのお父さんに親切にしてもらったのよ。
私、本当はパリで死のうと思ったの。パパとママの後を追って・・・」
「アリスって呼んでもいい?」
「いいよ、優香」
私たちはお互いを見て笑った。
「アリス、兄弟は?」
「いないよ、独りぼっちだよ」
「じゃあ私と同じだね? 私ね、小さい頃はあの人が大好きだったんだ。
なんでも知っていて、やさしくて、いっぱい遊んで貰った。
でも変わっちゃたの、あの人。
嫌な情けない人になっちゃった。
だから会うのが怖いの。
アリスはいい人だっていうけど、もし、まだイヤな父親だったらどうしようって思う。
私もママも、あの人のいい思い出だけを残そうとして、今も生きているのよ」
「優香の気持ち、わかる気もする。
だけど今のお父さんからは想像できないの。
私は優香が羨ましい。
だってお父さんもお母さんもいるんだもん。
私はね、後悔しているの。もっとああしてあげればよかった、こうしてあげればよかったって。
結局、パパとは前日まで喧嘩したまま仲直りもせずに死んじゃったから・・・」
アリスは泣いた。
「お父さんはあなたに会いたいなんて言わないよ、一言も。
でもわかるの、凄くあなたに会いたいんだろうなって。
死ぬ前にもう一度、娘に会いたいって・・・」
「アリス・・・」
翌朝、アリスは優香親子と別れ、再びパリへと向かった。
飛行機から遠ざかる日本の夜景を眺め、アリスは五郎に詫びた。
(ごめんね、五郎ちゃん・・・)
機体はそのまま大きく斜めに旋回し、パリを目指して飛び立って行った。
アリスは空港内のカフェカウンターで珈琲を買った。
これから乗る日本航空の機体を前に、待合エリアのベンチに腰掛け、先程の手荷物検査の時にバッグから出て来た封筒を開けてみると、それは五郎からの手紙と、昨日、五郎から受け取らなかったキャッシュカードと1万円が入っていた。
アリスへ
楽しいひと時だった。ありがとう。
アリスは本当に自分の娘のようだった。
神様は最期にこんな素敵なプレゼントを贈って
くれた。
パリはたくさんの顔がある街だ、それを紹介する
には100年あっても足りないだろう。
もっともっと素敵なパリを案内したかった。
アリス、人はいつかは死ぬのが定めだ。
それが早いか遅いかの違いだけだ。
人間は病気や事故で死ぬのではない、神様がお決め
になった寿命で死を迎えるのだ。
だが、死は悲しむべきものではない。
それは永遠の別れではあるが、自分の人生をZERO
にリセットすることでもある。
俺はアリスのそのやさしさが心配だ。
君のやさしさは自分を捧げるやさしさだからだ。
アリス、自分を大切にするんだよ、他人の事など
気にしなくていいんだ。
だから俺の事はもう気にするな。
アリスの人間としての成長を見届けられそうもない
が、いつも俺は君のご両親と同じようにアリスを
見守っているからな。
今度は是非、イケメンの彼とパリを訪れて下さい。
そしてその彼にもサモトラケのニケを見せてあげる
といい。
アリス、素敵な思い出を沢山ありがとう。
自分を大切にするんだよ。
愛するわが娘、アリスへ
一ノ瀬五郎
追伸
少しだが今後の人生の足しにして下さい。
万一のこともある、口座が凍結されないうちに全
額を引き出しておきなさい。
養女の件、間に合わなくてすまなかった。
すべては遺言書に記してあるから安心してくれ。
1万円を同封しておいたから、日本に着いたら寿司
でも食べて下さい。気を付けてな。
アリスは五郎の手紙を抱き締めて泣いた。
周りに人がいるのも憚ることなく、声を挙げてアリスは泣いた。
「五郎ちゃんのバカ! やさしいのは五郎ちゃんの方じゃないの!」
途中、ロシアの上空で少し機体が揺れたが、おおむね快適なフライトを続けていた。
あと1時間ほどで成田に到着する。
機内アナウンスが始まった。
「みなさま、長旅お疲れ様でした。
当機は間もなく成田国際空港への着陸態勢に入ります。
シートベルトをお締めになり、今しばらくお待ちください。
ただいまの日本の時刻は午後3時24分でございます。
現地からの報告によりますと天候は晴れ、外気温は12℃との報告を受けております。
本日は日本航空をご利用いただきまして、誠にありがとうございました。
ladies and gentlemen, we are ...」
機体は徐々に高度を下げて、機内の窓から成田の田園地帯が迫って来ていた。
機体は軽くバウンドをして、無事に着陸した。
アリスにも懐かしさがこみあげてきた。
だがアリスの帰国の目的は優香を五郎に会わせることだった。
アリスは入国手続きを終えると、すぐに優香と晴美の住む横浜へと向かった。
五郎の入院中に横浜の住所は調べてあり、予め手紙も送っておいた。
アリスは携帯に入力した住所をナビに従い、優香たち母娘の住むマンションへと急いだ。
そこは中華街の近くにある、海が見える高層マンションだった。
そこの20階のフロアに彼女たちの住まいがあった。
アリスは勇気を持ってエントランスのチャイムを押した。
「どちら様ですか?」
「パリから参りました、鮎川アリスと申します」
「ああ、お手紙の。どうぞお入り下さい」
エントランスのガラスのドアが開いた。
アリスはドキドキしながらエレベーターに乗った。
震える手でドアの隣のチャイムを押した。
すると美しい年配の女性が現れた。
「一ノ瀬の元家内です、どうぞ中へお入り下さい」
リビングに入ると、コーギー犬がアリスに飛び掛かって来た。
「ダメよ、レオン。お客様なんだから」
コーギーは晴美の命令に素直に従い、ソファに移動した。
私と同世代くらいの可愛らしい女の子が、軽く会釈をして私を出迎えてくれた。
彼女が優香だった。
「はじめまして、磯山です。
私は旧姓に戻ったんだけど、娘は一ノ瀬のままなの。しっくりこなくてね、磯山だと」
「はじめまして、鮎川アリスです」
「どうぞ、お掛けになって下さい。今、お茶を淹れますから。
帰国したばかりで疲れたでしょう? ほうじ茶でもいいかしら?」
「ありがとうございます、どうぞお構いなく」
晴美はお茶を淹れながら言った。
「お手紙どうもありがとう。結論から言うと私たち、あの人には会えない、いえ、会いたくはないの。
ごめんなさいね」
「どうしてですか?」
「それを話すと長くなるわ、とにかく彼と会う気はないのよ、折角来てくれて悪いんだけど」
その時優香が初めて口を開いた。
「あんなの父親なんかじゃないよ」
優香はコーギーを撫でながら、独り言のように言った。
「ご主人はあなたたちに会いたいとは言ってはいません。
でもわかるんです、すごく会いたがっていることが。
ご主人は末期がんで先日も倒れて病院に入院しましたが、今は自宅で静養していらっしゃいます。
もう長くはないそうです。
ですからお願いです、どうかご主人を見舞ってあげて下さい、お願いします!
最期にご主人に会ってあげて下さい!」
アリスは床に土下座をして頭を下げた。
「そんなことしないで頂戴、頭を上げて。
鮎川さんの気持ちはありがたいけど、もう私たちは家族じゃないの、そっとしておいて下さい」
「もう会えないかもしれないんですよ!」
私は涙が止まらなかった。
「別れた時に約束したの、どんなことがあっても二度と会わないって」
晴美はアリスの前にほうじ茶と中国菓子をそっと置いた。
「月餅もいかが? ほうじ茶とよく合うわよ」
アリスは落胆した。
「どうしてもダメですか!」
「ごめんなさいね、わざわざパリから来てくれたのに。
日本へは当分いらっしゃるの?」
「いえ、明日、フランスに戻ります・・・」
「あら、そう。もうすぐ夕方だから、どう? 日本食でもご馳走させていただけないかしら?
近所に美味しいお寿司屋さんがあるのよ」
憧れのお寿司だったが、アリスは食事が喉を通らなかった。
「鮎川さん、あんまりお箸が進まないようだけど?」
「どうしても駄目ですか?」
「ごめんなさいね、色々心配してくれて」
晴美はそう言って鮨を摘まんだ。
「よかったらウチに泊っていきなさいよ、ホテルはもう取ったの?」
「いいえ、まだ・・・」
「じゃあ決まりね? すみません、お寿司はお持ち帰りにして下さい」
「かしこまりました」
アリスはお風呂に浸かり、反省した。
「後先も考えず、バカみたい・・・」
アリスは優香の部屋に泊めてもらうことになった。
「ねえ、なんでそこまでしてあげるの? あの人に」
優香が言った。
「私ね、両親が自殺して、以前からママが言っていた、サモトラケのニケに会いにパリに行ったの。
そしてそこであなたのお父さんに親切にしてもらったのよ。
私、本当はパリで死のうと思ったの。パパとママの後を追って・・・」
「アリスって呼んでもいい?」
「いいよ、優香」
私たちはお互いを見て笑った。
「アリス、兄弟は?」
「いないよ、独りぼっちだよ」
「じゃあ私と同じだね? 私ね、小さい頃はあの人が大好きだったんだ。
なんでも知っていて、やさしくて、いっぱい遊んで貰った。
でも変わっちゃたの、あの人。
嫌な情けない人になっちゃった。
だから会うのが怖いの。
アリスはいい人だっていうけど、もし、まだイヤな父親だったらどうしようって思う。
私もママも、あの人のいい思い出だけを残そうとして、今も生きているのよ」
「優香の気持ち、わかる気もする。
だけど今のお父さんからは想像できないの。
私は優香が羨ましい。
だってお父さんもお母さんもいるんだもん。
私はね、後悔しているの。もっとああしてあげればよかった、こうしてあげればよかったって。
結局、パパとは前日まで喧嘩したまま仲直りもせずに死んじゃったから・・・」
アリスは泣いた。
「お父さんはあなたに会いたいなんて言わないよ、一言も。
でもわかるの、凄くあなたに会いたいんだろうなって。
死ぬ前にもう一度、娘に会いたいって・・・」
「アリス・・・」
翌朝、アリスは優香親子と別れ、再びパリへと向かった。
飛行機から遠ざかる日本の夜景を眺め、アリスは五郎に詫びた。
(ごめんね、五郎ちゃん・・・)
機体はそのまま大きく斜めに旋回し、パリを目指して飛び立って行った。
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