★未完成交響曲

菊池昭仁

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第35話

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 私たちはすっかり海に魅了されていた。
 帆船・日本丸は大きく揺れながら、太平洋の大海原を進んで行った。
 帆船の乗り心地は最高だった。優しく揺れるハンモックで寝ているような気分だったので眠りも深くなる。

 船では真水の一滴は血の一滴に相当する。特に帆船・日本丸の場合、清水タンクの容量は小さい。
 エバポレーターという海水を真水に変える造水装置も搭載しているが、クルーがじゃぶじゃぶ使うわけにはいかない。
 風呂は当然海水風呂である。そして実習生に割り当てられる真水は一日洗面器に5杯程度だった。
 清水タンクも船体の重心んを下げる重要な要素となっているため、むやみやたらに使うことは出来ない。
 だが海水風呂はカラダがよく温まった。そしてそれを真水で上がり湯として洗い流すのである。

 太平洋を航海していると、よくスコールに遭遇する。快晴なのにそこだけぽっこりと雨雲があるのだ。
 スコールを見つけると当直航海士は本船をスコールへと向けることがある。

 「スコールが来るぞ~」

 我々実習生はすぐに素っ裸になり、頭にシャンプー、カラダに石鹸を塗ってスコールを待つ。天然のシャワーである。
 だが空振りすることもあり。スコールの逃げてゆくスピードに日本丸の速度が追いついていかないのだ。
 そんな時は我々はまた海水風呂に浸かることになる。


 夜間航海では実習生は操舵輪のある船尾にいることが多い。船で一番重要なのはルックアウト、つまり「見張り」である。そこで実習生はブリッジで一人、見張りをすることを命じられる。
 それがけっこう怖い。
 何しろ日本丸は戦中、戦後はマストを外し、戦地の邦人を帰還させたり、遺骨収集などにも使われた歴史がある。
 そして毎年のように誰かが亡くなっていたからだ。

 定期的に安否確認と異常がないことを伝えるために、船尾に向かって大声で叫ばなければならない。

 「All's well,Sir!(異常ありません!)」

 声が小さいとやり直しをさせられる。
 海が穏やかな時は比較的のんびり待機しているので、みんな退屈しのぎに見張り役の実習生を脅かしに行くのである。
 レーダーを覗いていると、あまり周囲に気づかない。
 すると、「わっ!」とやられるのである。よくビビったものである。

 
 日本丸は順調に航海を続けていた。
 まさかあのような事態になるとは、誰も予想もしてはいなかった。

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