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第26話
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「帆船乗りでなければ本物の船乗りにはなれない」
それが帆船乗りの誇りだった。帆船実習を経験出来るということは「船乗りのエリート」であった。
東京、神戸の商船大学と全国5つの商船高専しか乗船することが出来なかった。
太古から続く風による航海。今のようなディーゼル船やタービン船のように無人でも動かせる船とは違い、クルーが力を合わせ、星や気象を読みながら大海原を進んでゆくのが帆船航海だ。
天文学、気象学、幾何学、数学、物理学などの様々な自然科学、そして芸術が帆船から生まれた。
かの文豪、ビクトル・ユーゴは言った。
「帆船は人類が造り上げたもっとも美しい建造物である」
帆船にはとてつもない魅力がある。
風をはらんでセールが動く様は、まるで赤子が眠って呼吸しているようになる。
これをSleeping Sailと帆船乗りは呼んでいた。まさに帆船は生きているのだ。
イギリスでは船に乗ることは学校でもあった。
船乗りを経験してから医者や弁護士、宗教家になったという。
あのジョン・レノンの父親も商船乗りだったらしい。
小さな島国でありながら世界征服を目論むイギリスにとって、船は身近な存在だった。
いよいよ運輸省航海訓練所での1年間の航海実習が始まろうとしていた。
私はビビリまくっていた。
夏休み明け、帆船日本丸のカデット(訓練生)は東京の竹芝桟橋に集合させられた。
そこに日本丸があるのかと思ったらいなかった。
引率の教官は小柄だがパワフルな首席三等航海士だった。
「諸君! 運輸省航海訓練所へようこそ! これから浦賀にある三菱造船所へ電車で向かうことになる。
迅速に行動するように!
そこで我らがマザーシップ、日本丸がお前たちを待っているのである!」
(本物の船乗りとはこんな人のことをいうのだろうか?)
実に爽快でカッコいいと思った。
浦賀の三菱造船所に行って驚いた。
日本丸がこんなにもデカいとは思わなかったからだ。
日本丸はドライ・ドックにあり、私たちは8人のグループ分けられ、キャビンに荷物を置いてレクリエーションを受けた。まずは船内を案内してもらった。
日本丸には池貝社製の国産第1号のディーゼルエンジンが搭載されていた。無風や嵐の時の推進力としてである。
4檣バーク型帆船。196名乗り。2,283トン、全長97m。マストの海面からの高さは46メートル。
私たちは日本丸に圧倒された。
(このマストに登るのか?)
ビルにして換算するとおよそ15階建てに相当する。
それをシュラウドを頼りに昇って行くのだ。
鳥羽、広島、大島、弓削、そして富山商船高専の5校がバラバラにグループ分けされた。
キャビンは上下2団のベッドがあり、そこで8名が同居するのである。
同じ船乗りを目指す者同士、私たちはすぐに仲良くなった。
夜、出会いを祝して早速酒盛りをすることになり、酒好きな私たちは造船所の6m以上はあると思われる、戦時中の機密保護の意味もあるのか、造船所は厳重な塀があった。
私たちはそんな「困難」にもめげず、塀を乗り越え酒屋に酒を買いに出掛けた。
コンビニがまだ一般的ではない時代である。私たちは酒屋のシャターを叩いて「酒を売って下さーい!」と連呼した。
そして無事に酒を買い、船に戻ろうとした時、私が次席一等航海士に捕まった。
「菊池、お前初日に酒を買いに行くとはいい度胸をしているなあ?」
酒会は中止になってしまった。
そして翌朝、
「これから朝の準備体操を行う! 菊池、前へ出ろ! お前が体操の指揮を取れ!」
「どうすればいいんでしょうか?」
「簡単だ、ラジオ体操をすればよい」
(なーんだ、ラジオ体操なら毎朝1年生を前にやっていたから楽勝だ)
ところがそれはタダのラジオ体操ではなかった。
すぐに私の体操は中止された。
「駄目だ駄目だ! そんなへなちょこ体操は体操ではない!」
リズミカルに、しかも「上下伸」とか「垂直伸」とかを、それをやる前に宣言し、指先までキチンと伸ばさなければならない。
ちょっとでも揃わなかったり、体操が甘いと何度もやり直しをさせられた。
私たちは朝のラジオ体操で汗だくになった。
とんでもないところに来てしまったと思った。
それが帆船乗りの誇りだった。帆船実習を経験出来るということは「船乗りのエリート」であった。
東京、神戸の商船大学と全国5つの商船高専しか乗船することが出来なかった。
太古から続く風による航海。今のようなディーゼル船やタービン船のように無人でも動かせる船とは違い、クルーが力を合わせ、星や気象を読みながら大海原を進んでゆくのが帆船航海だ。
天文学、気象学、幾何学、数学、物理学などの様々な自然科学、そして芸術が帆船から生まれた。
かの文豪、ビクトル・ユーゴは言った。
「帆船は人類が造り上げたもっとも美しい建造物である」
帆船にはとてつもない魅力がある。
風をはらんでセールが動く様は、まるで赤子が眠って呼吸しているようになる。
これをSleeping Sailと帆船乗りは呼んでいた。まさに帆船は生きているのだ。
イギリスでは船に乗ることは学校でもあった。
船乗りを経験してから医者や弁護士、宗教家になったという。
あのジョン・レノンの父親も商船乗りだったらしい。
小さな島国でありながら世界征服を目論むイギリスにとって、船は身近な存在だった。
いよいよ運輸省航海訓練所での1年間の航海実習が始まろうとしていた。
私はビビリまくっていた。
夏休み明け、帆船日本丸のカデット(訓練生)は東京の竹芝桟橋に集合させられた。
そこに日本丸があるのかと思ったらいなかった。
引率の教官は小柄だがパワフルな首席三等航海士だった。
「諸君! 運輸省航海訓練所へようこそ! これから浦賀にある三菱造船所へ電車で向かうことになる。
迅速に行動するように!
そこで我らがマザーシップ、日本丸がお前たちを待っているのである!」
(本物の船乗りとはこんな人のことをいうのだろうか?)
実に爽快でカッコいいと思った。
浦賀の三菱造船所に行って驚いた。
日本丸がこんなにもデカいとは思わなかったからだ。
日本丸はドライ・ドックにあり、私たちは8人のグループ分けられ、キャビンに荷物を置いてレクリエーションを受けた。まずは船内を案内してもらった。
日本丸には池貝社製の国産第1号のディーゼルエンジンが搭載されていた。無風や嵐の時の推進力としてである。
4檣バーク型帆船。196名乗り。2,283トン、全長97m。マストの海面からの高さは46メートル。
私たちは日本丸に圧倒された。
(このマストに登るのか?)
ビルにして換算するとおよそ15階建てに相当する。
それをシュラウドを頼りに昇って行くのだ。
鳥羽、広島、大島、弓削、そして富山商船高専の5校がバラバラにグループ分けされた。
キャビンは上下2団のベッドがあり、そこで8名が同居するのである。
同じ船乗りを目指す者同士、私たちはすぐに仲良くなった。
夜、出会いを祝して早速酒盛りをすることになり、酒好きな私たちは造船所の6m以上はあると思われる、戦時中の機密保護の意味もあるのか、造船所は厳重な塀があった。
私たちはそんな「困難」にもめげず、塀を乗り越え酒屋に酒を買いに出掛けた。
コンビニがまだ一般的ではない時代である。私たちは酒屋のシャターを叩いて「酒を売って下さーい!」と連呼した。
そして無事に酒を買い、船に戻ろうとした時、私が次席一等航海士に捕まった。
「菊池、お前初日に酒を買いに行くとはいい度胸をしているなあ?」
酒会は中止になってしまった。
そして翌朝、
「これから朝の準備体操を行う! 菊池、前へ出ろ! お前が体操の指揮を取れ!」
「どうすればいいんでしょうか?」
「簡単だ、ラジオ体操をすればよい」
(なーんだ、ラジオ体操なら毎朝1年生を前にやっていたから楽勝だ)
ところがそれはタダのラジオ体操ではなかった。
すぐに私の体操は中止された。
「駄目だ駄目だ! そんなへなちょこ体操は体操ではない!」
リズミカルに、しかも「上下伸」とか「垂直伸」とかを、それをやる前に宣言し、指先までキチンと伸ばさなければならない。
ちょっとでも揃わなかったり、体操が甘いと何度もやり直しをさせられた。
私たちは朝のラジオ体操で汗だくになった。
とんでもないところに来てしまったと思った。
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