★未完成交響曲

菊池昭仁

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第19話

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 寮生活は大変ではあったがいいこともあった。それは「平等」だと言うことだ。
 金持ちの家の学生も、私のような貧乏人の学生も、皆ハンデはなかった。
 言うなれば同じ釜のメシを食べる「家族」だった。
 全国から学生が集まるので、様々な方言が飛び交う。
 面白いことに、学校ではなぜか「関西弁」が主流だった事だ。
 関東や東北の人間とは違い、関西人は自己主張が強いので、つい引っ張られてしまう。


 寮に入って1週間が過ぎた頃、寮の掲示板に「本日19時より学寮総会である」と貼紙がしてあった。

 「学寮総会って何をするんだ?」
 「上級生に訊いてもただ笑っているだけなんだよ」
 「イヤな予感がするな?」

 その予感は見事に的中した。
 1年生から5年生までが一同に食堂に集まる。だが4年生以上になると出席は疎らだった。
 そんな会議に出るよりも遊びに行ったり、海技士資格の受験試験の勉強をした方がいいからだ。

 本校の寮は学生の自主性に任せた自治寮であった。
 学寮会長をはじめ、学寮会役員は頭脳明晰で男前、弁舌爽やかな若手政治家のようだった。
 流石は将来の国際航路の商船士官を育成する学校だと思った。 

 簡単な行事報告や改善項目が報告され、「以上で学寮総会を終了する」と学寮会長が宣言し、私たちは安心して帰ろうとした時、「本題」が始まった。

 「おい待てや! 先日、廊下ですれ違っても挨拶しなかった1年子がおったなあ!
 お前だお前! お前ら全員連帯責任じゃ! テーブルを片付けて正座じゃ!」
 「正座正座! 早よ座らんかい!」
 「モタモタすんな!」

 上級生が一斉にテーブルをバンバン叩く。
 食堂のテーブルを片付けて、我々1年生はコンクリートの床に正座をした。

 永遠に続く説教。
 柔道部で正座には慣れていた私でも、冷たくて固いコンクリートでの正座は堪えた。
 もう限界かと思われたが、誰も足を崩す者はいない。
 そうすれば鉄拳制裁が待っているからだ。
 説教は一時間にも及んだ。

 「いいかお前ら! カッコいい我が校の制服を着て、バスや電車で座ってんじゃねえぞ!
 若いんだから席は他の人に譲れ! いいな!」
 「はい!」
 「それから街で上級生に会ったら、まず5m手前で立ち止まって敬礼し、上級生が3m過ぎるまで敬礼を続けるんだ! 分かったな!」 
 「はい!」

 そして少しでも態度の悪い1年生は、2年生の個別指導を受けることになる。
 そんな学寮総会は毎月行われた。
 とんでもないところに来たと思った。
 

 部活も凄かった。空手部や不動禅はまだ4月だというのに、空手着を来て裸足で公道をランニングする。
 そしてそのまま海に入っての稽古。
 はじめて砂浜を走らせられた時、砂に足を取られて走りにくいことを知った。
 ダートを走る競走馬の気持ちがよくわかった。

 「風邪を引いたので部活を休ませて下さい」などと言おうものならすぐに先輩が部屋までやって来て、

 「風邪なんか部活をすれば治る」

 そんな毎日だった。



 寮のすぐ隣には『帆志ほし』という自宅を改装した小さくて小汚い食堂と、すぐ近くに『やすらぎ』という大衆食堂があった。
 『帆志』は婆ちゃんオーナーだった。
 中々の商売上手で、学生に特化したメシ屋をやっていた。
 お客はすべて本校の学生のみ。
 アルバイトに学生を使い、婆ちゃん女将はただ学生としゃべるだけ。
 調理も会計もすべてバイト学生にやらせていた。
 そこはツケで食べることが出来た。
 注文した物と何年何組の誰それと、新聞広告の裏に名前と買った物を書くだけで精算は月末。
 取り立ては恐ろしい上級生なので踏み倒すことは出来ない。
 成人した学生もいるので酒もタバコも置いてある。(その当時は成人してもしなくてもいい時代ではあった)
 豪快な先輩になると、日曜日には奥の客間で昼間から瓶ビールを1ダースも飲んでを飲んで、

 「お前、つまみが食いてえか?」
 「はい」
 
 するとその先輩は言うのだ。

 「ビールはキリン、すまみはSAPPORO」

 死ぬ気で飲んだ。

 女将は商売上手である。大したメニューはない。
 学生でも作れる物ばかりだった。
 魚肉ソーセージを塩コショウで炒め、そこにマヨネーズを掛けただけの「ソーセージ炒めライス」や鯖の缶詰を開けた「サバ缶ライス」とか、冷凍餃子を温めただけの「餃子ライス」や「コロッケ・ライス」 「目玉焼きライス」に具なしの「やきそば」などが200円から300円くらいで売られていた。
 学生が買える金額に合わせたメニューだった。
 だがメシだけは美味かった。富山の名産である『ササニシキ』を使っていたのでおかずは何でも良かったのだ。
 皿は衛生面と洗うのが面倒なので、ビニールを敷いた発砲スチロールの皿を使っていた。
 餃子やコロッケは熱いので、よくビニールが溶けていた。
 それでも腹を空かせた育ち盛りの私たちにはご馳走だった。
 寮生は500人近くがいたので、最低でも一人当たり月平均1万円は使うので、月の売上は500万円にはなる。
 学生がいない夏休みや冬休み、春休みには、女将は海外旅行に出掛けていた。
 だが「がめついババア」ではなかった。いつも豪快に笑っている、学生好きなひとり暮らしの婆さんだった。

 一方の『やすらぎ』食堂はラーメンやカレー、カツ丼もあったが味はイマイチだった。
 頼めば「イカ刺し」とビールも出してくれた。
 

 初めての5月連休が近づいて来ると、私たちは時刻表ばかり眺めていた。

 「ああ、早く帰りてえなあ」

 が私たちの口癖だった。


 制服を着て初めての帰省。故郷への凱旋である。
 母と妹は少し大人になった私を喜んで迎えてくれた。
 母は私の好物だった「中華そば」を作って待っていてくれた。

 妹に土産を渡し、母に礼を言った。
 
 「やっと親のありがたみが分かったよ。ありがとう、おふくろ」

  
 私が長旅で疲れて寝ているところへ父が帰宅し、母から私のその話を聞いて、父が涙を溢していたと聞いた。
 親に心配と迷惑を掛けて勉強させて貰っていることに私は感謝した。

 連休中にクラス会があった。すっかり変わった私に同級生は興味があったようだった。
 
 あっと言う間に休暇は終わり、あの地獄の寮生活に戻る日がやって来た。
 正直、富山に戻りたくないと思った。
 でもせっかく親に無理をさせて通わせて貰っている学校だから、辞めるわけには行かない。
 母が駅まで送ると行ってくれたが辞退した。弱い自分を見せたくなかったからだ。
 私は自分に鞭を打って富山へと戻って行った。


 寮に帰ると、数人が帰って来なかった。
 毎年のことだと上級生は笑っていた。

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