未完成交響曲

菊池昭仁

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第3話

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 父親は岩手の大地主の8人兄弟の7番目だった。
 農地改革で小作人たちに田畑を取られてしまったが、地元では名の知れた名家で、郵便局を作るから、あるいは商業高校を作るからと、土地や資金の提供を求められていたという。

 父は実家から勘当されて「出禁」になっていた。
 故に私たち家族が本家の敷居を跨ぐことはなく、実家を訪れることが許されたのは、祖父が危篤の時だった。

 祖父は孫の私と妹をいつも不憫に思っていたらしく、毎年の正月には筆字の美しい文字で書かれた現金書留で、私たち兄妹にお年玉を送ってくれていた。

 本家の家督を長兄に譲り、隠居生活をしていた祖父は、家族に内緒でたまに岩手から埼玉の大宮に住む、父や私たち家族を心配して来てくれて、帰り際、私に当時の伊藤博文の描かれた千円札を一枚渡してくれた。
 おそらく父にもこっそりと現金を渡していたはずだ。

 祖父が帰ると母はいつも愚痴を言った。
 その時私たちが暮らしていた家は、父の会社の会長が私たち家族のために社宅を建ててくれた家だったが、トイレはまだ和式の汲み取り式で、祖父は必ずと言っていいほどトイレのスリッパをトイレに落としてしまった。

 「お義父さん、またスリッパをトイレに落としたのよ」

 その度に祖父は母にお金を渡し、「これでスリッパを買っておいてくれ」と言っていたのが懐かしい。


 父から祖父が危篤だと知らせを受けた時、私が運輸省航海訓練所で実習訓練を受けている時だった。
 丁度、東京の晴海埠頭に帰港し、冬季休暇になる予定だったので、私は父が大宮の酒蔵で杜氏をしていた時に収めていた酒があるのを思い出し、それを手みやげにしようと大宮にあった西武デパートに寄り、そのまますぐに新幹線で盛岡の祖父が入院している日赤病院に急いだ。
 当時の東北新幹線は大宮駅が始発になっていた。


 商船高専の制服を着て病院を訪れた私を、親戚一族は好奇の目で見ていた。
 海軍兵学校のような制服だったからだ。

 既に病室に居た父は、そんな息子の私に礼を言った。

 「わざわざすまなかったな?」


 (この子がこうちゃんの息子なのか?)


 初めて会った叔父や叔母たちの表情からは、そんな想いが窺えた。
 それまで肩身の狭い思いでいた母は、そんな私を親類たちに自慢した。

 「国立の船乗りの学校に行っているんですよ」

 母だけが中卒だったため、国立の学校に学んでいる息子は母の誇りだった。


 祖父はすでに意識はなく、人工透析など、様々なコードやチューブに繋がれていた。

 叔母が日赤の看護学校の教師をしていたので祖父は日赤に入院していたのだが、叔母はベッドの祖父を見つめながら私に言った。

 「もう意識はないのよ。でも声を掛けてあげて」

 と言われ、私は祖父の痩せ細った骨と皮だけになった手を握り、「おじいさん・・・」と力なく声を掛けた。
 
 するとその時、祖父は奇跡的に薄っすらと目を開けて頷いてくれた。
 祖父の目からは一筋の涙が溢れた。
 その涙は逝くことへの無念の涙ではなく、やっと疎遠だった孫が臨終の床に会いに来てくれたことへのうれし涙だったと私は感じた。
 私も泣いた。


 そしてその夜、祖父は安心したように静かに息を引き取った。
 一族からはこう言われた。

 「あっちゃんが来るのを待っていたんだね?」と。


 葬儀の時、はじめて父が泣いているのを見た。
 私は以前、父が勤めていた酒蔵の、大宮の西武デパートで買った酒を祭壇に供えた。

 「おじいさん、父の作っていたお酒です。天国で飲んで下さい」


 
 父の兄弟はみな優秀な人たちで、本家から土地や家の資金を出してもらい、悠々自適な生活を送っていた。
 父は酒に酔って気分が良くなると、

 「高校の時、朝、学校に登校するとな? 「おーい菊池! またお前が一番だぞー!」って言われてなあ」

 スポーツ万能で体操部。大車輪をしている時の、父のセピア色になった大きな写真が父のアルバムにあり、幼稚園だった頃の私はその写真の裏にボールペンで落書きをしてしまった。
 だが父はそれを咎めることはしなかった。
 所詮は昔のことだからと思っていたのかもしれない。

 
 父は大学進学はせず、パイロットになることを選び、自衛隊の飛行学生に内緒で応募し、 
 200倍の難関倍率を突破し、合格した。

 だがその合格電報は祖母が隠していたという。
 まだ戦後間もない頃で、自衛隊も「警察予備隊」の頃だったのかもしれない。

 特攻隊のイメージが拭えなかった祖母の親心だったのだろう。
 父はそんな祖母を責めず、祖母のコネで地元の銀行へと就職した。

 「どうして実家が金持ちなのに大学へ行かなかったの?」

 と、私が父に尋ねると、

 「明治に行こうかとも考えたが、兄弟も多かったしな? 諦めたんだ」

 そして私の息子、つまり父の孫は後に明治大学の文学部に入学した。
 父が存命であればどれだけ喜んだことだろう。


 父が勘当された理由は晩年、母から聞いた話によると、父が銀行勤めをしている時に、祖父の貯金を勝手に使って遊び呆け、挙げ句の果ては当時付き合っていた女性と心中未遂をしでかしたからだと話してくれた。
 幸い、ふたりとも命は取り留めたという。

 そして私が生まれて間もなく、その女性が父を訪ねて会津まで来たと、時々母は憎々しく話していたのを思い出す。
 おそらく父を諦め切れずに岩手から追って来たのだろう。
 私の恋愛体質は、どうやらこの両親からの遺伝のようだ。

 父は私にとっては「ヒーロー」だった。
 頭も良く、津川雅彦の若い頃のようにハンサム。
 体操部とバスケット部を掛け持ちし、筋肉隆々だった父。

 芸術的素養にも恵まれ、絵も上手でしょもよく書いていた。
 私が幼稚園の時の「お道具箱」のクレヨンで金魚を描いてくれた時、今にもその金魚が泳ぐようで、父親が神様のように思えた。

 また物凄い読書家で、

 「実家の婆ちゃんが厳しい人でなあ。夜の8時になると電気が勿体ないからと消灯してしまうんだ。
 だから俺は仕方なく、冬でも近くの電柱の街灯の下で雪の降る中、本を読んでいたものだよ」

 父は宮沢賢治の大ファンで、よく私に宮沢賢治の話をしてくれた。

 「イギリス海岸というのがあってな?」
 「『銀河鉄道の夜』というのは・・・」
 「『注文の多い料理店』という小説に出てくる・・・」

 そんな話を私によく、父は幼い私に話してくれた。
 「雨ニモマケズ」の、詩の主人公のような父だった。

 私が父を尊敬しているのは、誰にも同じ目線で、同じ言葉で話す姿だった。
 どんなに偉い人にも忖度することせず、幼稚園の子供にも同じように接した。

 だから父は孫にも「君」や「さん」を付けて呼び、決して「ちゃん」付けをして子供扱いはしない人だった。

 
 私は会津で生まれたが、2歳の時、埼玉の大宮に移り住むことになった。

 父は勘当されて銀行を辞め、仲の良かった叔父を頼って会津の酒蔵さかぐらに就職をした。
 だが当時は酒蔵の給料では生活が出来なかったようで、ツテを頼って大宮の酒造会社に転職をしたということらしい。
 酒蔵の当主は父親を大変気に入り、経理、営業、研究開発に営業、配達、酒の製造までのすべてを父に任せていた。

 銀行勤めをしていたので金融にも明るく、まだ若く、学生時代に鍛え抜いたカラダで経営者の片腕として期待に応えていたようだ。
 私もよく父親の会社に連れて行かれると、社長の奥さんとも遊んでもらい、とてもかわいがってもらった。

 私は父の影響を多大に受けて育ったと思う。
 だが性格は母親似である。

 父は国税の調査が会社に入ると、よく私に愚痴を言っていた。

 「毎日、毎日、何様だアイツら。将来は経理士になって俺の仇を取ってくれよな?」

 と、まだ3歳の私に父は酔っ払ってそう言っていた。

 私も会社に来ていた公認会計士を一度見掛けたことがあった。
 運転手付きのセドリックの後部座席に乗っていたので、偉い人なんだろうと思っていた。

 思えば私が公認会計士になろうと経理の勉強に励んだのも、建築設計の仕事に夢中になったのも、そして国際航路の航海士になったのも父からの影響だったと思う。

 「設計士にはトレースという仕事があってな?」とか「船乗りはいつも星を見ているから胸板が厚いんだ」とか、そんな話を父はよくしてくれていた。

 父には友だちがいなかった。
 家に訪ねて来る大人も少なく、外に飲みに出掛けることもなかった。
 ましてやパチンコや競馬などのギャンブルもしなかった。
 家は貧しかったが借金もなく、毎日クタクタになるまで働いて、家でナイターを見て晩酌をして、私と妹と話をすることしか興味のない人だった。

 「どうしてパパはお友だちがいないの?」という私の問いに父は言った。
 「大人になったら友だちはいなくてもいいんだよ」と。
 
 この歳になると、その意味がわかる気がする。


 母には色々と注文を付けていた父だったが、私と妹は父に叱られた記憶はない。
 まるで子犬を見る様な目で私たちを見ていた。

 私も子供たちを叱ったことはない。
 子供は「小さな大人」だから、よく話をすれば大抵の事は理解出来ると思っている。

 だが、そんな子どもたちから私に直接連絡が来ることはない。
 
 それは私の教育が間違っていたのではなく、私の生き方に問題があったからだ。
 
 私は「家族を守るために家族を犠牲にしてしまった」からだ。

 
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