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第5話 セント・エルモの火

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    前略 蟹江先生

     華って呼び捨てにされて、うれしいです。
    でも、先生のことは先生ですよ(畏れ多い!)

    おかげで少しだけ心が軽くなりました。

    そうですよね、出会ってしまったんですもの。
    幸せなんて望みません。だって人の不幸の上に幸福のお家なんて建つ
    わけがないですから。

    一緒にいるだけでいいんです。ただそれだけで。
    どうして人生は辛いことばかりなんでしょう?
         
 
      華の命は短くて 苦しきことの実多かりき


    今日はお天気が良かったので、ご主人様と紅葉した銀杏並木をお散歩
    して来ました。
    まるで黄金の木立の中を歩いているようでしたよ。先生の街の紅葉は
    いかがですか?
    私は晩秋が一番好きです。食べ物も美味しいし。
    そして今は読書の季節。

    蟹江先生のご著書も、少しずつですが拝読しています。
    少しは大人の小説も、理解出来るようになりました。
    先生の小説のファンにもなりましたよ! 今更ですけど(笑)

    私、本当に先生と文通することが出来て良かったです。

    もうじき寒い冬が来ますね?
    くれぐれもお体を大切にして下さい。いい作品を期待しています。
                                
 
    かしこ

                         2020年11月15日
                   
                         沢木 華



 私は少し不安になった。
 前回の手紙に書いた内容が、彼女の気持ちを傷付けてしまったのではないかと。
 私はすぐに返事を書いた。



   前略 華へ

    幸せになってはいけないような手紙でしたが、それは間違いだ。
   人はしあわせになるために生まれて来たのだから。
 
   人は傷付き、傷付けて生きている。
   自分だけが犠牲になることはないんだ。

   確かに華が言う通り、人生は辛い事が多いかもしれない。
   でもそれは、辛い事や苦しい事で自分の魂が磨かれることでもある。

   観世音菩薩普門品偈の経典の中にもあるように、人生は「生老病死苦」
   なのだから。
  
   人は生まれ、苦しみ、病を患い、そして年老いて死んでゆく。
  
   だが、喉が渇くからこそ、コップ1杯の水にも感謝することができる。
   自分が傷付いたことで、人の苦しみや痛みを知り、人に優しくなれる。

   華、幸せにならなきゃ駄目なんだ、たとえそれが死の直前でも。

   人間にはしあわせになる義務がある。
   幸福になるために人はこの世に生まれたんだ。
   そしてそれは物質的な幸福だけではない。
   心の幸福もなんだ。
   華は幸福を拒んではいないだろうか?

   セント・エルモの火(St.Elmo's  Fire)の話を知っているだろうか?

   船乗りたちの守護聖人、エルモに由来する話だが、嵐の収まる頃に
   起きる放電現象で、マストなどに灯る青白い炎のことだ。
   時には指先に灯ることもある。
   1つの炎だとそれをヘレナと呼び、2つだとカストルとポルックスと呼ぶ。
   つまりふたご座だ。

   華は今まで嵐の中にいた。それもようやく終わるだろう。
   なぜならこの手紙が華にとっての「セント・エルモの火」だからだ。
   希望を捨てちゃダメだ、華。

   俺は左目を失くし、右目を労わりながら原稿を書いている。
   でも困っちゃいない。
   時間は他の作家の何倍も掛かるし、誤字脱字も多い。
   でも、それでいいと思う。
   だってこうして書けているんだから。
   「もしもこうだったら」なんて思わずに、今の自分を丸ごと受け入れる
   しかないんだ。
   小説は量を書けばいいと言うもんじゃない。だから俺は純文学に拘る。

   人生も同じだ。
   どれだけ生きたかじゃない いかに生きたかなんだ。

   華、しあわせになるんだよ、俺はそれを願っている。
                                      

   草々
                      蟹江十字

 
 果たしてこの内容で、彼女に私の想いが伝わるだろうか?

 私はすぐにこの手紙をポストに投函した。
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