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第5話

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 家に帰っても葉瑠子の言葉が耳から離れなかった。

 「早紀、あなた本当は左近寺君のことが好きなんでしょう?」

 その通りだった。私は左近寺に、そして彼の弾くピアノに恋をしていた。
 確かに私は葉瑠子の言う通り、分かり易い女だ。
 おそらく左近寺にもそれは伝わっているかもしれない。
 だが葉瑠子は左近寺を好きだという。私は葉瑠子から宣戦布告をされてしまった。
 親友の葉瑠子が私の大切な恋を奪おうとしている。
 恋か? それとも友情か?
 私の心は揺れた。

 左近寺からLINEが届いた。

  
    明日 ライブが終わったら
    メシでもどうだ?


 私はすぐに返信をした。


                  いいよ

    おやすみ
                  おやすみなさい


 本当は彼の声が聞きたかったが我慢した。
 電話をするとヘンなことを言ってしまいそうだったからだ。



 YouTubeでも私たちのライブ配信をしていたので、SNSでそれが拡散され、店はいつも立ち見が出るほどお客さんたちで溢れていた。
 やはり聴衆が多いほど歌い甲斐があるというものだ。
 オペラにやって来るハイソサエティなお客さんとは違い、仕事に疲れたサラリーマンや学生、老若男女の夫婦や恋人たち。美味しいお酒と私の歌で酔わせてあげたい。


 今夜のアンコールは『The Days of Wine and Roses』にした。
 左近寺の弾くピアノが伊東さんのスネアドラムのベッドで寝返りを打ち、大神さんのウッドベースがそれに絡んで行く。
 私は精一杯歌った。左近寺のピアノに気持ちよく抱かれて。

 歌い終わると割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こり、私は最高の気分だった。

 
 ライブが終わり、私は心地よい開放感の中、左近寺と食事に出掛けた。

 「中華でもいいか?」
 「うん、早く冷たいビールが飲みたい。もう喉がカラカラ」
 「よし決まりだな? 冷えたビールにはやっぱり中華だからな?」
 

 私たちは中華を食べるために渋谷まで出ることにした。
 左近寺と私は終電に並んで座った。
 私の左半身が左近寺のカラダと触れている。太腿に腰、肩も。
 左近寺のタバコの匂いと淡いムスクの香り。 
 ライブ演奏が終わった後だったから、微かに香る彼の汗の匂いが、私の忘れていた女を思い出させた。

 (抱かれたい気分)


 眠らない街、東京。
 流れる都会のネオン、ビルの明かりが流星のように過ぎてゆく。

 (中華なんてどうでもいい。左近寺の肩に顔を乗せ、手を繋いでこのままずっと電車に乗っていたい)

 私はそんな妄想をしていた。



 深夜営業の朝までやっているというその中華レストランは、午前零時を過ぎているというのに混雑していた。
 渋谷は新宿歌舞伎町とは人種の異なる欲望の街だ。
 店内には丸の内の職場で働くような紳士淑女が人目もはばからずに、ディープ・キスに興じていた。
 左近寺は私を見て苦笑いをした。

 「まずはビールだな? 後は何が食べたい?」
 「とりあえずビール。後は左近寺に任せるよ」
 「そうか? 嫌いなものはあるか?」
 「いちゃついてるアベックだけ」
 「あはははは。それじゃあ適当に注文するぞ。
 今日はライブ前にメシを食い損ねたから腹が減ったよ」

 左近寺はウエイターを呼んでオーダーを伝えた。

 「生2つ、大急ぎでお願いします。彼女、今、ヒートアップしているから。
 それから春巻と焼売、酢豚と鶏肉のカシューナッツ炒めを下さい」
 「かしこまりました」


 すぐにザーサイのお通しと生ビールが運ばれて来た。

 「あら? 意外と小さいグラスなのね? 早めにお替りもお願いします」
 「かしこまりました」

 乾杯をした。冷たいビールが爽快に喉を流れて行く。
 斜め向かいのカップルのタイトスカートの女は、いつの間にか商社マン風の男性の膝の上に乗ってキスを続けていた。

 「ここはレストランよ、そんなにしたいなら道玄坂のラブホにでも行けばいいのに」

 すると男はそれに気づいたのか、料理を残したまま勘定を済ませて女と店を出て行った。

 「凄いな早紀は?」
 「だって美しくないんだもの。いやらしいキスだったから。
 映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンなら許すけど、三谷幸喜と指原莉乃のラブシーンなんて見たくもないわ」
 「早紀らしいな?」

 私たちは顔を見合わせて笑った。
 すると左近寺が私の手の甲に自分の手を重ねて言った。

 「早紀、お前のことが好きだ。俺と付き合って欲しい」

 心臓が止まりそうだった。

 「葉瑠子のことが好きなんじゃないの?」

 私は左近寺に意地悪な質問をした。答えはすでに予想出来てはいたが、左近寺の口からそれを言わせたかったのである。

 「俺は早紀のことがずっと好きだった。学生の時からずっと。彼女には興味はない。
 昨日、先に帰ったのは別に用事があるわけではなく、彼女と話をするのが面倒だったからだ。
 俺はあの時思ったんだ、きちんと早紀に自分の想いを伝えるべきだと」
 
 私たちの目的は達成された。
 お替りのビールとお料理が運ばれて来た。

 「とにかく今夜はトコトン飲みましょうよ!」
 「それで早紀の答えは?」
 「NOならとっくにあなたの手を振り払っているわよ」
 「ありがとう、早紀」

 その夜の宴は朝方まで続いた。

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