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第8話 弟子入り
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銀次に弟子入りして1週間が過ぎた。
漁師町ということもあり、朝は6時から店を開け、午後2時で一旦休憩をする。
夜は8時から始めて零時までの営業だった。
銀次の人柄と旨い焼鳥とアテもあり、店はいつも常連客でいっぱいだった。
銀次も常連客も、親しみを込めて私を「純」と呼んでくれた。
「純ちゃん、焼酎、梅割りで」
「はい」
「純、鱈汁を野本さんにお出ししてくれ」
「はい、親方!」
まだ居酒屋のオヤジには程遠いが、少しずつ笑顔になっている自分がいた。
寝て一畳、座って半畳。
そして胃袋は握り拳大しかない。
寝るところがあり、食べることが出来て、仕事で人を笑顔にすることが出来る。
店が休みの日には小説を読み、近所のラーメン屋で飯を食べ、餃子でビールを飲む生活。
そしてすぐ近くには日本海がある。
これ以上、他に何を望むというのだ。
大きな屋敷も、社会的地位も名誉も私は望んではいなかった。
人生での幸福とはカネでも権力を持つことでもない。
ましてや他人からの賞賛でもない。
「ありがとう」の笑顔に囲まれて生きることだ。
「主文、被告人を死刑に処す」
そんなことを言い渡すために私は生まれて来たわけではない。
今、こうして疲れた人たちを癒せる焼鳥屋でいることが、何よりの生甲斐であり、生きている実感を味わうことが出来た。
店を閉めて掃除や後片付けを終えると、いつも銀次と酒を飲んだ。
「いいところだろう? ここは?」
「いい街ですね? 食べ物は美味しいし、直ぐ近くには海がある。美しい立山連山も見える。
そして常連さんたちの笑顔とここで暮らす人たちの人情。
ここは楽園です」
カウンターに肘をつき、コップ酒を飲みながら銀次は言った。
「戻らなくてもいいのか? 家族の下へ。そして法廷にも?」
「もういいんです。家族に私は必要とされていませんから。
生活に困ることもないでしょう。
それに裁判官の私の代わりはいくらでもいますから」
「残念だなあ? 純みたいな裁判官がいねえと、俺みてえな人間は困るけどな?」
「残念?」
「純みたいな裁判官は貴重だってことよ。正しい判決を苦しみながら出す、そんな心ある裁判官は少ないからよ」
「私はそこから逃げて来たんです。駄目な裁判官です。
私に人を裁く資格はありません」
「逃げるのは悪いことじゃねえ、生きるためにはな?」
銀次は首を傾げてタバコに火を点け、タバコの先端が赤く灯り、銀次は煙を吐いた。
朝、市場へ行き、今日の仕入れをして銀次の仕込みの手伝いをする。
「魚の良し悪しを見分けるには色々あるが、基本は眼を見ることだ。
人間も同じだろう? 死んだ目をして生きている奴もいるし、死にそうでもキラキラとした澄んだ瞳をしている奴もいる。
魚は眼をよく見て仕入れるんだ」
「はい」
店に着くと、銀次は昨日作って冷蔵庫に入れておいたモツの煮込みを鍋にあけ、火に掛けた。
「純、今日は串打ちをしてみるかい?」
「お願いします」
「まずは若鳥からいくか? やってみな」
「やってみます」
私は初めて串打ちを任された。
銀次のように上手くは刺せなかった。
「こうでしょうか?」
「あまりキツく串に刺すと火の通りにムラが出る。
こんなカンジにしてみろ」
銀次はお手本を見せてくれた。
「なるほど、よくわかりました、やってみます」
「それから同じ大きさの肉を刺しているようだが、実は焼鳥というのは最初の一口が肝心なんだ。
一杯目のビールが旨いのと同じようにな?
だから先端の肉から徐々に小さくしていく。
ケチるわけじゃねえ。その方が見た目もいいし、食べやすい。
やってみろ」
「ヘイ」
「なんだ、その「ヘイ」っていうのは?」
「なんとなく、親方と弟子みたいだと思いまして」
「そうだな? ここは法廷じゃねえからな?「郷に入っては郷に従え」か?」
「ヘイ、親方!」
「純、まずはその役に成り切ることかもな? 言葉遣いは人を変えるもんだ」
私たちは笑った。
私は今、生まれ変わろうとしていた。
漁師町ということもあり、朝は6時から店を開け、午後2時で一旦休憩をする。
夜は8時から始めて零時までの営業だった。
銀次の人柄と旨い焼鳥とアテもあり、店はいつも常連客でいっぱいだった。
銀次も常連客も、親しみを込めて私を「純」と呼んでくれた。
「純ちゃん、焼酎、梅割りで」
「はい」
「純、鱈汁を野本さんにお出ししてくれ」
「はい、親方!」
まだ居酒屋のオヤジには程遠いが、少しずつ笑顔になっている自分がいた。
寝て一畳、座って半畳。
そして胃袋は握り拳大しかない。
寝るところがあり、食べることが出来て、仕事で人を笑顔にすることが出来る。
店が休みの日には小説を読み、近所のラーメン屋で飯を食べ、餃子でビールを飲む生活。
そしてすぐ近くには日本海がある。
これ以上、他に何を望むというのだ。
大きな屋敷も、社会的地位も名誉も私は望んではいなかった。
人生での幸福とはカネでも権力を持つことでもない。
ましてや他人からの賞賛でもない。
「ありがとう」の笑顔に囲まれて生きることだ。
「主文、被告人を死刑に処す」
そんなことを言い渡すために私は生まれて来たわけではない。
今、こうして疲れた人たちを癒せる焼鳥屋でいることが、何よりの生甲斐であり、生きている実感を味わうことが出来た。
店を閉めて掃除や後片付けを終えると、いつも銀次と酒を飲んだ。
「いいところだろう? ここは?」
「いい街ですね? 食べ物は美味しいし、直ぐ近くには海がある。美しい立山連山も見える。
そして常連さんたちの笑顔とここで暮らす人たちの人情。
ここは楽園です」
カウンターに肘をつき、コップ酒を飲みながら銀次は言った。
「戻らなくてもいいのか? 家族の下へ。そして法廷にも?」
「もういいんです。家族に私は必要とされていませんから。
生活に困ることもないでしょう。
それに裁判官の私の代わりはいくらでもいますから」
「残念だなあ? 純みたいな裁判官がいねえと、俺みてえな人間は困るけどな?」
「残念?」
「純みたいな裁判官は貴重だってことよ。正しい判決を苦しみながら出す、そんな心ある裁判官は少ないからよ」
「私はそこから逃げて来たんです。駄目な裁判官です。
私に人を裁く資格はありません」
「逃げるのは悪いことじゃねえ、生きるためにはな?」
銀次は首を傾げてタバコに火を点け、タバコの先端が赤く灯り、銀次は煙を吐いた。
朝、市場へ行き、今日の仕入れをして銀次の仕込みの手伝いをする。
「魚の良し悪しを見分けるには色々あるが、基本は眼を見ることだ。
人間も同じだろう? 死んだ目をして生きている奴もいるし、死にそうでもキラキラとした澄んだ瞳をしている奴もいる。
魚は眼をよく見て仕入れるんだ」
「はい」
店に着くと、銀次は昨日作って冷蔵庫に入れておいたモツの煮込みを鍋にあけ、火に掛けた。
「純、今日は串打ちをしてみるかい?」
「お願いします」
「まずは若鳥からいくか? やってみな」
「やってみます」
私は初めて串打ちを任された。
銀次のように上手くは刺せなかった。
「こうでしょうか?」
「あまりキツく串に刺すと火の通りにムラが出る。
こんなカンジにしてみろ」
銀次はお手本を見せてくれた。
「なるほど、よくわかりました、やってみます」
「それから同じ大きさの肉を刺しているようだが、実は焼鳥というのは最初の一口が肝心なんだ。
一杯目のビールが旨いのと同じようにな?
だから先端の肉から徐々に小さくしていく。
ケチるわけじゃねえ。その方が見た目もいいし、食べやすい。
やってみろ」
「ヘイ」
「なんだ、その「ヘイ」っていうのは?」
「なんとなく、親方と弟子みたいだと思いまして」
「そうだな? ここは法廷じゃねえからな?「郷に入っては郷に従え」か?」
「ヘイ、親方!」
「純、まずはその役に成り切ることかもな? 言葉遣いは人を変えるもんだ」
私たちは笑った。
私は今、生まれ変わろうとしていた。
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