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第5話 行方不明
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その頃、相沢家では大変な騒ぎになっていた。
娘の愛理は狼狽える千代を必死に慰めていた。
相沢の弟、儀一も屋敷に駆け付けていた。
そこへ息子の裕也もやって来た。
「ごめん、オペを抜けられなくて。僕じゃないと出来ないオペだったもので。
それでその後の親父の消息は?」
「何もわからないんだ。裕也は兄貴の行きそうな所に心当たりはないのか?」
「殆ど親父とは話をしないので」
「そうか?」
叔父の儀一は財務省のエリート官僚で、次期事務次官と目されていた。
「携帯電話も解約して、裁判所には有給休暇の届けを出していたなんて・・・。
仙台の同僚判事の方に問い合わせても「相沢は来ていませんが、どうかされましたか?」なんて言われて。
あの人は一体何処へ消えてしまったのかしら・・・。うっ、ううう・・・」
「ママしっかりして、どこかお父さんが行きそうなところはないの?」
「あの人は仕事柄、あまり職場の人以外とはお付き合いのない人だったから・・・」
「兄貴も兄貴だよ、一体どうしたっていうんだ? 退官まであと9年だというのに。
何を考えているんだ、まったく!」
「とりあえず、警察に・・・」
「まだダメだよ姉さん。これは俺たちだけの問題じゃないんだ。慎重に対処すべき、相沢家一族の問題でもあるんだから」
「儀一叔父さんの言う通りだよ母さん。兎に角、親父の行きそうなところを当たってみよう。
警察に捜索願を出すのはそれからだ。
警察には紘一叔父さんもいるし、いつでも動いてくれるはずだから」
「裕也の言う通りだ。あの有楽町のコレはどうなんだ?」
儀一は小指を立ててみせた。
「これから行ってみるよ」
「すまんがそうしてくれるか? 俺はこれから民自党の幹事長に呼ばれているからもう行かねばならん。
今は俺も瀬戸際なんだ、どんな些細なことでも命取りになるからな。
次官になれるかどうかは、俺と米田の一騎打ちなんだ。
こんなことで躓いてはおれんからな」
「叔父さんも大変だね? ごめんね、親父のために」
「頼んだぞ裕也。何かあったらすぐに連絡してくれ」
「わかった。愛理、母さんを頼む」
「お兄ちゃんも気を付けてね」
「ああ、必ず親父を見つけ出して連れ戻すよ」
「ママ、お父さんに何か変わったことは無かったの?」
「いつもと同じ、何も変わったことはなかったわ。
ただ・・・」
「ただ?」
「あの人、最近笑うようになった気がする・・・」
「あのお父さんが?」
「そうなの、なんだかとてもホッとしたような顔だったわ・・・」
「なんらかの精神障害かもしれないな?」
「いずれにしても色んなケースは想定しなければならん。
生きていた場合は精神的に鬱になったということにしよう。そしてもしもの場合は・・・」
「やめて! 叔父さん、なんてことを言うの!」
「愛理、そして姉さんも相沢家の一員だということを忘れては困る。
我が相沢家は明治維新の影の功労者だ。今の日本を創ったと言っても過言ではない。
こんなことで代々続く長州の名家の名に傷を付けるわけにはいかんのだ!
姉さん、人はいつかは死ぬんです。あなたも私も、そして兄貴も。
そんなセンチメンタルになっている場合ではない。相沢家の人間として、もっと自覚を持っていただきたい。
まずは極秘裏に兄貴を探しましょう。話はそれからです」
裕也が友里恵の店に到着すると、丁度、友里恵が店に暖簾を出しているところだった。
「友里恵さんですね? 相沢の倅です」
友里恵は俺がここへ来ることを既に想定していたかのように、静かに微笑みながら言った。
「あなたが裕也さん? お父様がよくあなたの事を自慢をされていましたよ。
目元がお父さんにそっくりね? 立ち話もなんですから中へどうぞ」
俺は思った。「この女なら親父が惚れるのも無理はない」と。
俺も今、看護師の奈々と不倫関係にあった。
血は争えぬものだと思った。
「おビールでいいかしら?」
「お願いします」
友里恵はビールサーバーのレバーを引いた。
ビールが俺の目の前に置かれたが、それには手を付けず、俺は彼女に問い糺した。
「父が行方不明になりました。父が今何処にいるか、ご存じありませんか?」
友里恵は数の子とつぶ貝のお通しを出してくれた。
「そう? 何処へ行ってしまったのかしらねえ?
でも、休養が必要だったんじゃないかしら? あなたのお父さん」
「あなたと一緒ではないんですか?」
友里恵はカルティエのライターで煙草に火を点けた。
「まさか。たとえ私がそうしたくてもお父さんはそんな人ではありませんよ。
私はただのお妾さん、愛人なんですから」
「では父の居場所に心当たりはありませんか?」
「あったら教えているわよ、私はそんなに悪い女じゃないわよ。うふふふふ」
友里恵は口に手を当てて笑った。
「お父さんのお仕事の辛さ、考えたことある?」
「・・・」
「無いでしょうね? でも私にはわかるの、あの人の愛人だから。
お父さんの苦しみや悲しみが・・・。可哀そうな純一郎さん」
友里恵の頬に一筋の涙が走って落ちた。
俺はビールを飲んだ。
「すみません、〆鯖はありますか?」
「少しお待ち下さいね?」
友里恵は涙を拭ってタバコの火を消した。
「親父とはいつからですか?」
「もう忘れたわ。随分昔だったような気もするし、3日前だった気もする」
俺はピルスナーに注がれたビールを一口だけ飲むと、〆鯖を食べた。
見事な〆鯖だった。
「どこかで修行したんですか?」
「銀座のクラブでね? うふっ」
友里恵はクスリと笑った。
「僕は料理のことを言っているんです。何処で働いていたかではありません。
何処でこの〆鯖を学んだのかと訊いているのです」
「だから銀座よ。銀座にはそれ相応のお客様がやって来るの。
女好きは「食」も好き。
私はそんなオジサマたちに一流処に誘われて、そこの職人さんたちからそれを教わったの。
美味しいでしょう? 私の〆鯖?
お父さんも好きだったのよ」
「ええ、とても」
「裕也さんって、優秀な脳外科医なんですってね? 「あいつは神の手を持つ脳外科医だ、俺のようなロクデナシ裁判官ではない」ってね?」
(親父がそんなことを?)
意外だった。
いつも俺たち家族との関係が希薄だった親父が。
「ええ、お父さんはあなたたち家族を愛していたのよ。
あなたたちはどうかしら? お父さんの苦しみをわかってあげようとした?
ごめんなさい、愛人の私が言える立場ではないわよね? あはははは」
俺は親父に褒められたかった。
今までその一心で努力をして来た。父親に認めて貰うために。
親父は家族に対していつも冷徹で、家族の前ではあまり笑わなかった。
俺には親父に笑顔の記憶がない。
そんな親父と小学4年生の夏休み、一度だけ釣りに出掛けたことがあった。
だがそれは、とても退屈なものだった。
小川で父と川釣りをしていた。
小さなオレンジ色の玉浮が流されてはまた戻すという作業の繰り返し。
魚は一向に釣れる気配はなかった。
「お父さん、もう帰ろうよー」
「裕也、見てご覧。人生とはこの浮のようなものだ。
時の川をこうして下って行くものだよ。浮いたり沈んだりしながら。
いいか? その流れに決して逆らってはいけない。この川の流れのように、時は容赦がないからな」
親父はあの時、俺に何を言いたかったのだろう?
「親父のこと、愛していたんですね?」
「もちろん。でもお父さんは私を本気で愛してはくれなかった。
ただの私の片思い・・・。
だって私はお父さんの愛人ですもの、ただの愛人・・・」
「親父、一体どこへ行ってしまったんでしょうね?」
「実はね? 1週間前にここへ来たの。私にお別れを言いに。
でも、なんだかとても明るかった。幸せそうだった、あなたのお父さん」
「父がここへ来たんですか?」
「でも本当に行先は知らないの。信じて頂戴」
「携帯も解約していて、裁判所にも有給休暇を出して行方不明なんです。
父は何から逃げようとしていたんでしょうか?
家族? 仕事? それとも自分の人生から?」
「私かもよ、逃げたかったのは・・・」
友里恵は寂しそうに微笑んだ。
俺はこれほど美しく、悲しい女の横顔を見たことがなかった。
娘の愛理は狼狽える千代を必死に慰めていた。
相沢の弟、儀一も屋敷に駆け付けていた。
そこへ息子の裕也もやって来た。
「ごめん、オペを抜けられなくて。僕じゃないと出来ないオペだったもので。
それでその後の親父の消息は?」
「何もわからないんだ。裕也は兄貴の行きそうな所に心当たりはないのか?」
「殆ど親父とは話をしないので」
「そうか?」
叔父の儀一は財務省のエリート官僚で、次期事務次官と目されていた。
「携帯電話も解約して、裁判所には有給休暇の届けを出していたなんて・・・。
仙台の同僚判事の方に問い合わせても「相沢は来ていませんが、どうかされましたか?」なんて言われて。
あの人は一体何処へ消えてしまったのかしら・・・。うっ、ううう・・・」
「ママしっかりして、どこかお父さんが行きそうなところはないの?」
「あの人は仕事柄、あまり職場の人以外とはお付き合いのない人だったから・・・」
「兄貴も兄貴だよ、一体どうしたっていうんだ? 退官まであと9年だというのに。
何を考えているんだ、まったく!」
「とりあえず、警察に・・・」
「まだダメだよ姉さん。これは俺たちだけの問題じゃないんだ。慎重に対処すべき、相沢家一族の問題でもあるんだから」
「儀一叔父さんの言う通りだよ母さん。兎に角、親父の行きそうなところを当たってみよう。
警察に捜索願を出すのはそれからだ。
警察には紘一叔父さんもいるし、いつでも動いてくれるはずだから」
「裕也の言う通りだ。あの有楽町のコレはどうなんだ?」
儀一は小指を立ててみせた。
「これから行ってみるよ」
「すまんがそうしてくれるか? 俺はこれから民自党の幹事長に呼ばれているからもう行かねばならん。
今は俺も瀬戸際なんだ、どんな些細なことでも命取りになるからな。
次官になれるかどうかは、俺と米田の一騎打ちなんだ。
こんなことで躓いてはおれんからな」
「叔父さんも大変だね? ごめんね、親父のために」
「頼んだぞ裕也。何かあったらすぐに連絡してくれ」
「わかった。愛理、母さんを頼む」
「お兄ちゃんも気を付けてね」
「ああ、必ず親父を見つけ出して連れ戻すよ」
「ママ、お父さんに何か変わったことは無かったの?」
「いつもと同じ、何も変わったことはなかったわ。
ただ・・・」
「ただ?」
「あの人、最近笑うようになった気がする・・・」
「あのお父さんが?」
「そうなの、なんだかとてもホッとしたような顔だったわ・・・」
「なんらかの精神障害かもしれないな?」
「いずれにしても色んなケースは想定しなければならん。
生きていた場合は精神的に鬱になったということにしよう。そしてもしもの場合は・・・」
「やめて! 叔父さん、なんてことを言うの!」
「愛理、そして姉さんも相沢家の一員だということを忘れては困る。
我が相沢家は明治維新の影の功労者だ。今の日本を創ったと言っても過言ではない。
こんなことで代々続く長州の名家の名に傷を付けるわけにはいかんのだ!
姉さん、人はいつかは死ぬんです。あなたも私も、そして兄貴も。
そんなセンチメンタルになっている場合ではない。相沢家の人間として、もっと自覚を持っていただきたい。
まずは極秘裏に兄貴を探しましょう。話はそれからです」
裕也が友里恵の店に到着すると、丁度、友里恵が店に暖簾を出しているところだった。
「友里恵さんですね? 相沢の倅です」
友里恵は俺がここへ来ることを既に想定していたかのように、静かに微笑みながら言った。
「あなたが裕也さん? お父様がよくあなたの事を自慢をされていましたよ。
目元がお父さんにそっくりね? 立ち話もなんですから中へどうぞ」
俺は思った。「この女なら親父が惚れるのも無理はない」と。
俺も今、看護師の奈々と不倫関係にあった。
血は争えぬものだと思った。
「おビールでいいかしら?」
「お願いします」
友里恵はビールサーバーのレバーを引いた。
ビールが俺の目の前に置かれたが、それには手を付けず、俺は彼女に問い糺した。
「父が行方不明になりました。父が今何処にいるか、ご存じありませんか?」
友里恵は数の子とつぶ貝のお通しを出してくれた。
「そう? 何処へ行ってしまったのかしらねえ?
でも、休養が必要だったんじゃないかしら? あなたのお父さん」
「あなたと一緒ではないんですか?」
友里恵はカルティエのライターで煙草に火を点けた。
「まさか。たとえ私がそうしたくてもお父さんはそんな人ではありませんよ。
私はただのお妾さん、愛人なんですから」
「では父の居場所に心当たりはありませんか?」
「あったら教えているわよ、私はそんなに悪い女じゃないわよ。うふふふふ」
友里恵は口に手を当てて笑った。
「お父さんのお仕事の辛さ、考えたことある?」
「・・・」
「無いでしょうね? でも私にはわかるの、あの人の愛人だから。
お父さんの苦しみや悲しみが・・・。可哀そうな純一郎さん」
友里恵の頬に一筋の涙が走って落ちた。
俺はビールを飲んだ。
「すみません、〆鯖はありますか?」
「少しお待ち下さいね?」
友里恵は涙を拭ってタバコの火を消した。
「親父とはいつからですか?」
「もう忘れたわ。随分昔だったような気もするし、3日前だった気もする」
俺はピルスナーに注がれたビールを一口だけ飲むと、〆鯖を食べた。
見事な〆鯖だった。
「どこかで修行したんですか?」
「銀座のクラブでね? うふっ」
友里恵はクスリと笑った。
「僕は料理のことを言っているんです。何処で働いていたかではありません。
何処でこの〆鯖を学んだのかと訊いているのです」
「だから銀座よ。銀座にはそれ相応のお客様がやって来るの。
女好きは「食」も好き。
私はそんなオジサマたちに一流処に誘われて、そこの職人さんたちからそれを教わったの。
美味しいでしょう? 私の〆鯖?
お父さんも好きだったのよ」
「ええ、とても」
「裕也さんって、優秀な脳外科医なんですってね? 「あいつは神の手を持つ脳外科医だ、俺のようなロクデナシ裁判官ではない」ってね?」
(親父がそんなことを?)
意外だった。
いつも俺たち家族との関係が希薄だった親父が。
「ええ、お父さんはあなたたち家族を愛していたのよ。
あなたたちはどうかしら? お父さんの苦しみをわかってあげようとした?
ごめんなさい、愛人の私が言える立場ではないわよね? あはははは」
俺は親父に褒められたかった。
今までその一心で努力をして来た。父親に認めて貰うために。
親父は家族に対していつも冷徹で、家族の前ではあまり笑わなかった。
俺には親父に笑顔の記憶がない。
そんな親父と小学4年生の夏休み、一度だけ釣りに出掛けたことがあった。
だがそれは、とても退屈なものだった。
小川で父と川釣りをしていた。
小さなオレンジ色の玉浮が流されてはまた戻すという作業の繰り返し。
魚は一向に釣れる気配はなかった。
「お父さん、もう帰ろうよー」
「裕也、見てご覧。人生とはこの浮のようなものだ。
時の川をこうして下って行くものだよ。浮いたり沈んだりしながら。
いいか? その流れに決して逆らってはいけない。この川の流れのように、時は容赦がないからな」
親父はあの時、俺に何を言いたかったのだろう?
「親父のこと、愛していたんですね?」
「もちろん。でもお父さんは私を本気で愛してはくれなかった。
ただの私の片思い・・・。
だって私はお父さんの愛人ですもの、ただの愛人・・・」
「親父、一体どこへ行ってしまったんでしょうね?」
「実はね? 1週間前にここへ来たの。私にお別れを言いに。
でも、なんだかとても明るかった。幸せそうだった、あなたのお父さん」
「父がここへ来たんですか?」
「でも本当に行先は知らないの。信じて頂戴」
「携帯も解約していて、裁判所にも有給休暇を出して行方不明なんです。
父は何から逃げようとしていたんでしょうか?
家族? 仕事? それとも自分の人生から?」
「私かもよ、逃げたかったのは・・・」
友里恵は寂しそうに微笑んだ。
俺はこれほど美しく、悲しい女の横顔を見たことがなかった。
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