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第4話 再会

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 「どうぞ」

 そのぶっきらぼうな濁声には確かに聞き覚えがあった。
 間違いない、銀次の声だ。
 
 銀次は私をチラリと一瞥したが、私に気付いた様子はなかった。
 私は少し安心した。
 10年も前の裁判官の顔など覚えてはいまい。たとえ仮に銀次が私の顔を覚えていたとしても、ここは富山の小さな漁師町、私がここを訪れることは考えられない筈だ。
 他人の空似としか思われないだろう。
 客は私の他に赤銅色に日焼けした、漁師らしい50代位の男がひとり、カウンター奥の席で飲んでいた。
 私は真ん中の席に腰を据えた。
 

 
 あの日、検察からの求刑は懲役7年だった。そして弁護人からの主張は執行猶予を求めるものだった。


        傷害致死


 警察の調書はこうだった。
 クラブで銀次が情婦と酒を飲んでいると、そこに泥酔した客が銀次に絡んで来たのだった。
 初め、銀次はその男を相手にはしなかった。その客に付いていたホステスもその客を諫め、

 「お客さん、さあ、お席に戻りましょうよ、お酒は楽しく飲まないとね?」

 そこへ素早くボーイや支配人たちがその客を銀次のテーブルから引き離そうとした。
 もしここで銀次を怒らせれば大変な事態になると思ったからだ。
 銀次の組はこのクラブの「ケツ持ち」だった。

 「俺に触るんじゃねえ! 何で美紀がここにいるんだ? こっちへ来い! 俺のテーブルに来るんだ!」

 強引に女の手を引っぱった男の手を、銀次が捻り上げた。

 「やめろ」
 「なんだテメエ! 痛てえじゃねえか! 離しやがれ!」

 男は急に銀次に殴り掛かり、銀次はそれを咄嗟に躱すと反射的にその男の顔面に正確に拳を入れた。
 銀次は元ミドル級のボクサーだったのだ。
 男は打ちどころが悪く、病院でそのまま息を引き取ってしまった。
 周りにいた者たちは正当防衛を主張したが、銀次は暴力団の若頭、分が悪かったのだ。
 私は懲役3年の実刑判決を彼に言い渡したのだった。
  


 すぐに店を出ることも出来たが、私は何故か銀次が今、どんな暮らしをしているのか興味が湧いた。
 そして私は銀次というこの男が個人的に嫌いではなかった。
 それは銀次が裁判で、弁明らしいことを何ひとつ言わなかったからだ。



 店はカウンターが7席ほどの古い小さな店だったが掃除はキチンと行き届いていた。

 「何にします?」
 「生ビールを」
 「すいません、ウチは瓶しかな置いていないんです」
 「ではそれを下さい」
 
 ビールと富山の名物、黒造りと昆布巻きの蒲鉾がお通しとして出された。
 私は黒造りを口にし、グラスに注いだビールを半分ほど飲んだ。

 特にメニューらしい物はなく、壁に貼られた短冊のお品書きが10枚ほどと、黒板に「本日のおすすめ」が書かれてあった。

 
 「鳥皮とネギ間を2本づつ下さい」
 「タレでいいですか?」
 「タレでお願いします」

 銀次はショーケースの中からそれらを取り出すと、焼台の上にそれらを乗せた。

 「オヤジ、サヨリをくれ。あともう1本」
 「あいよ」

 焼台の焼鳥に注意を払いながら、銀次はサヨリを捌いて刺身にした。
 ねぎ間のネギに焼き目がついて来た頃、銀次はタレの入った甕にネギ間を軽く潜らせ、それを再び焼台の上に乗せた。
 2度焼きをするようだった。

 タレが焼けた炭の上に落ち、醤油の香ばしい香りがした。
 鳥皮もカリカリに焼けて来たようだ。
 するとそれを先ほどのネギ間と一緒にタレを纏わせると、それを私の前の皿に並べて置いた。

 「鳥皮とネギ間です」

 それは絶妙な焼き加減と旨いタレだった。
 鳥皮は脂が多く、焦げ易くて火も上がる。
 三流の店ではカリカリには焼かず、ぐにゃぐにゃとグミのような食感のまま出したりすることも多い。
 特に銀次のタレは今まで私が食べたどの焼鳥のタレよりも美味かった。

 「ここの焼鳥、美味しいですね?」

 銀次は私と話すきっかけを待っていたかのようにこう言った。

 「お久しぶりです、相沢裁判長。
 10年前にあなたに恩赦を掛けてもらった沢村銀次です」

 銀次はすでに私だと気付いていたのだ。
 私は遂に観念した。

 「私はすぐにわかりましたが言い出せませんでした。私は今でも後悔しています、沢村さんに執行猶予を付けてあげられなかったことを。
 本当にすみませんでした」

 私はカウンターに頭をつけるようにして心から詫びた。

 「頭を上げて下さい、相沢裁判長」
 「本当に申し訳なかったです」
 「俺はあなたを恨んでなんかいませんよ。寧ろ俺はあなたに今でも感謝しています。
 あなたが裁判長で本当に良かった。相沢さんは検察の求刑の約半分に減刑してくれたじゃありませんか?
 ありがとうございました。あなたは私の恩人です。
 今日は俺に奢らせて下さい。たくさん飲んで食べて行って下さい。
 ささ、どうぞグラスを空けて下さい」

 銀次は瓶に残ったビールを私のグラスに注ぐと、冷蔵庫からよく冷えた新しいビールを持って来て栓を開けた。
 
 「さあどんどん飲んで下さいね」
 「ありがとうございます。あれからご苦労されたんでしょうね?
 いつからここで?」
 「出所してすぐ組を抜けてここに戻って来ました。ここは昔、俺が住んでいた街なんですよ。
 何にもねえところですけど、静かないい町です。
 焼鳥屋は見よう見真似で始めました」
 「そうでしたか? 実は私、裁判官を辞めてここへやって来たんです。
 裁判官だけではなく、過去の自分も一緒に捨てて来ました。
 家族も何もかもです」
 「それはどういうことですか?」
 「私は人を裁けるほどの人間ではないということです」
 「イヤな仕事ですよね? 裁判官って」
 「ここでしばらく暮らすつもりです。
 家族にも、職場にも何も言わずに出て来てしまいました。
 私はこれからの人生を、別人としてこの街で生きることに決めたんです」


 先ほどの客は帰り、その日、私と銀次は夜が白々となるまで飲み明かした。
 私たちはお互いにどうでもいいことをたくさん話し、大きな声で笑った。
 こんなに旨い楽しい酒を飲んだことは今まで無かった。
 私は自分をすべてから解放し、別人になっていた。


 「相沢さん、浜に朝の散歩に出掛けませんか? 酔い覚ましも兼ねて?」
 「いいですねー。
 行きましょう、海へ! あーっははははは!」



 私たちは砂浜に大の字になって仰向けに寝ころんだ。
 私はなぜか涙が溢れ、嗚咽した。

 「相沢さん、しばらく俺の店の2階で暮らすといいよ。
 どうせ空いてるからさあ。
 そしてゆっくり考えなよ、これからの人生をね?
 あんたは今まで頑張り過ぎたんだよ」

 まだ明けきれぬ夜明け前の空に、明けの明星が美しく輝いていた。

 打ち寄せる波の音、そしてその波が砂に沁み込んでいく音が聞こえた。
 
 私は銀次の申し出に甘えることにした。
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