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第8話 ニューヨーク本社へ

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 功介はポワゾンに呼ばれた。

 「寺田君、来月からニューヨーク本社に転勤だからそのつもりで」
 「えっ、ボクがニューヨークの本社にですか?」
 「そうよ、嫌なの? 栄転なのよ。
 本社では今の10倍大変だけど、その分、面白さもやり甲斐もあるわ。
 磨いてらっしゃい、自分のスキルを。
 そして本社には綺麗なブロンド美人もたくさんいるから、ついてに男も磨いてらっしゃい」
 「どうして僕のような若造が本社なんですか?」
 「総理に感謝しなさいよ。ボスに口添えしてくれたんだから。
 恩に報いるのよ、頑張って来なさい。分かった?」
 「はい! ありがとうございます!」


 功介のニューヨーク行きはたちまち社内で噂になった。

 「すごいな寺田の奴、あの若さで本国勤務だなんて」
 「どうせポワゾンのおかげだろう? おそらくは」

 と、男性社員たちは冷ややかだったが、女子社員たちには更に株を上げた。


 「私も寺田君と一緒にニューヨークに付いて行きたーい!」
 「ダメよ、私と行くんだからあ」

 社内は功介の話題で持ち切りだった。
 親友の水沢からも言われた。

 「功介、すごいじゃないか本社勤務だなんて!
 役員コース確定だな! お前には先を越されたよ」
 「俺の実力じゃないよ」
 「ポワゾンか?」
 「ああ」
 「でもそれは違うな? ポワソンに認められたお前が凄いことに変わりはない。
 あのポワゾンは仕事の出来る奴しか相手にしないからな?
 ポワゾンは男を見る目は確かだ。
 頑張って来い、寺田」
 「ありがとう水沢」


 だがそれ以来、ポワゾンは功介を誘わなくなっていた。


 「功介、どうしたの? 最近ご無沙汰だよ?」
 
 功介は居酒屋で美香と飲んでいた。

 「俺、今度転勤することになったんだ」
 「えっ、どこに? 大阪? それとも仙台?」
 「ニューヨーク」
 「ニューヨーク! それって本社っていうこと? 私も一緒について行く! ニューヨークに!」
 「ダメだ」
 「どうして?」
 「武者修行だからだ。遊びじゃない。それに美香にも仕事があるだろう?」
 「仕事なんか辞める。
 辞めて功介のお嫁さんになる」

 功介は刺身を食べ、生ビールを一気に飲み干した。
 言い難い話を切り出すために。

 「ごめん美香、そのことだけど、少し考えさせてくれないか?」

 美香は俯き、黙ってしまった。

 「好きな人がいるんでしょう?
 なんとなくわかっていたわ、あの香りの部長さんなのね? 功介の好きな人って?」
 「どうして?」
 「だってあの香りに包まれてからの功介、ヘンだったもの。
 いつも上の空で。
 でもセックスだけはとても上手になった。
 前みたいにすぐに入れて出して終わり、のワンパターンじゃなくなったもの。
 その女上司にレッスンされたんでしょう?」

 功介は黙ってしまった。

 「イヤよ私、絶対に諦めないから。
 功介が日本に帰って来るまでずっと待ってる。
 そしていい女になって、功介を私に服従させてやるの、必ず」
 「俺は自分がわからないんだ。
 ただ眼の前のチャンスを活かすしかない、すべてが楽しいんだよ、毎日が。
 美香が俺を愛してくれるのはありがたい、だけど美香も考えてみて欲しいんだ。
 俺を本当に愛しているのかを」
 「愛しているに決まってるでしょう!。
 だから付き合っているんじゃないの! 愛していない男に抱かれるほど、私は男に飢えてはいないわ!」
 「わかった、それまでお互いにこれからのことをよく見つめ直してみよう。
 離れても、本当に愛していると言えるかどうかを」

 美香は泣きながら席を立った。

 「私がこんなに功介のことを愛しているのに! 功介のバカ!」

 美香はそのまま店を飛び出して行った。
 私は美香の後を追わなかった。

 女心とは想いと裏腹の事を口にする場合が多い。

 「あなたなんか大っ嫌い!」は「こんなにあなたのことを愛しているのに!」が隠れており、
 「私があなたをこんなに愛しているのに!」には「愛していたのに」という過去形に色褪せた言葉が、「でも今はそんなあなたが嫌いなの」という本心が露呈しているのだ。
 つまり、美香はもう俺を愛してはいないと言ったことになる。

 功介は少し安堵した。


 その後も功介は何軒か飲み屋を梯子し、酔った功介はポワゾンに電話を掛けたが既に着信拒否にされていた。
 マンションに押しかけようかとも考えたが止めた。
 おそらくそれは、ポワゾンも同じ気持ちだと思ったからだ。「会いたい」と。



 いよいよ明日、日本を発つ時がやって来た。
 功介が荷物の整理をしていると電話が鳴った。ポワゾンからだった。

 「功介? これからウチに来なさい」



 僕はポワゾンのマンションへ急いだ。


 「麗華さん! 麗華さん!」

 ポワゾンはシルクのガウンを羽織り、ワインを飲んでいた。

 「どうしたの? そんなに慌てて。
 明日の準備はもう終わった?」

 功介はいきなりポワゾンに抱き付いた。

 「麗華さんに会いたかった。すごく。
 どうして会ってくれなくなったんですか?」
 「それはね? 離れるのが辛かったからよ」

 ポワゾンは功介をやさしく抱きしめた。
 そしてあの香がした。『Poison』の香りが。

 「あなたをニューヨークへ行かせることはとても悩んだわ。
 でも、私は自分を鬼にした。
 あなたをもっと輝かせるために」
 「僕は麗華さんと別れたくない! このまま麗華さんと暮らしたい!」
 「そんなお子ちゃまみたいなことは言わないの。
 あなたはもっともっといい男になるべきよ。
 そして、私はもう誰も愛せない」
 「だって麗華さんはいつも僕を愛してくれたじゃないですか!」
 「それは愛じゃないわ、それはただの気まぐれよ。
 私が愛した男はあの人だけ、ごめんなさいね?」
 「嘘だ! 僕はいつも確かに麗華さんの愛を感じていた!」
 「嘘じゃないわ、そして彼はもうこの世にはいない・・・」
 「えっ、じゃあ麗華さんはずっとその人のことを?」
 「私と彼の時間は止まったままなの。
 だから功介はもう私を忘れていいのよ」
 「そんなのイヤだ! 絶対にイヤです!」
 「我儘を言わないの。
 わかったわ、今夜だけは抱っこして寝てあげる。
 だからあなたはこれからは自分の人生を歩きなさい。いいわね?」

 ポワゾンの熱い口づけに、功介は自分を抑えることが出来ず、ポワゾンを絨毯の上に押し倒した。

 「どうしたの? 功介」
 「麗華さんが欲しい!」

 久しぶりのポワゾンの香りに、功介は無我夢中だった。
 だがポワゾンは言った。

 「止めなさい功介。今夜は静かにお別れしましょう。明日、私は空港へは見送りに行かないわよ」

 そう言ってポワゾンは功介を強く抱き締め、泣いた。

 それがポワゾンとの最後の夜だった。

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