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第13話

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 「そうか? 美佐子さんのこと、沙恵さんに話したのか?」

 盆栽の松を剪定しながら、満の父親は言った。

 「それで?」
 「条件付きで許してもらえました。
 もっともその条件を付けたのは私の方ですけど」
 「どんな条件だ?」
 「来年のホノルルマラソンで、100位以内に入るという条件です」
 「それはまた大変な条件を付けたなあ? 若い時ならいざ知らず、お前もいい歳だからな?
 まあ、自分で決めたことだ、納得がいくようにやればいい。
 お前は一途だからな?
 女はな、時として逆のことを言うものだ。
 キライは好き。
 イヤよイヤよも好きの内ってな? あはははは
 沙恵さんはいいお嬢さんだ。長年子供たちを見て来た俺が言うんだから間違いはない」
 「でも、何か欲しいんです。これを乗り越える絆が。
 これからの結婚生活を、より強固な物にするために」
 「人の気持ちというものは相手にも伝わるものだ。
 好きだという気持ちを持ち続けていれば、それは必ず相手にも伝わる。
 たとえ離れていてもだ」

 父は母のことを言っているのだと思った。

 「それでもし、100位以内に入れなかったらどうするつもりだ?」
 「沙恵さんのことは諦めると言いました」
 「お前のそういう「All or Nothing」のところも、母さんに似たのかもしれないな?
 「生か死か?」なんでもシロクロをはっきりさせようとする。
 人生には時として、グレーでもいい時もあると俺は思うがな?
 だって疲れるだろう? 物事を決定するのって。白か黒かなんて。
 人間の心など、その時と場所、状況によって変化するものだ。
 あの時は黒と言ってしまっても、今は白だと思う時もある。
 物事を決めつけず、おおらかに生きればラクだぞ、満。
 パスカルの『パンセ』を読んだことはあるか?」
 「中庸ですか? 中身は知りません」
 「パンセとは「考える」という意味もある。あの三色スミレをパンジーというだろう?
 パンジーの語源はパンセ、つまり、俯き加減に咲くパンジーは、「考えているように見える」というところから来ているそうだ。
 パスカルは言う、
 
  「私は中庸には拘らないが、その状況におかれていることは認める。
  その端にあることはだ。
  ただし、下の端に置かれることは心外だ。
  人間の偉大さはその中間にあることを知る事だから」

 と、そうは思わないか?」
 「私は経済学部でしたから、すべてを理解することはできませんが、お父さんが僕を励ましてくれているのだけは伝わります」
 「なら良かった。
 母さんには今でも責められるよ、「私のこと好き?」って訊いたら、あなたは「好きでも嫌いでもない」って言ったとな?
 それからこれだけは覚えておくといい。
 女は何でも覚えている。自分に都合のいいことだけはな?」

 満の父親はそう言って微笑むと、

 「ビールでも飲むか?」

 と言った。

 遠くから貨物列車の通る音が聞こえてた。
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