屋島に咲く

モトコ

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比志城

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 それから四日、小規模な攻防戦が続いた。田口勢は堀を渡ろうとしてみたり、火矢を放ってきたりしたが、どれもこれも通信たちは防ぎきっていた。堀を渡って垣根にたどりつこうとするものには石を投げ、垣根も櫓も打ち水をして常に湿らせている。

 城内には肘川の流れを引きこんだ水路があり、水は潤沢にあった。

 しかし、じりじりと気持ちが圧迫されはじめる。城の外に出られないということが、案外辛いのだ。海が見たい。潮風の匂いを嗅ぎたい。活きの良い魚を捌いて生で食べたい。通信は、日々そういったことばかり考えていた。

 数度、景高や信家が外に出て田口勢を攪乱していた。通信も帯同を願ったが、景高も信家も首を縦に振ることはなかった。当たり前だということは頭ではわかっている。

 暇を持て余した通信は、頻繁に御厨みくりやに出入りしていた。下女の世間話は暇つぶしにはなった。彼女たちには信家と景平が人気のようだった。たしかに信家は男から見てもいい男であるし、景平は気怠げな優男である。通信は下女たちの黄色い歓声を耳にするたびに、下唇を噛み締めた。

 いつだって、老若女子にはもてたい。それが男心である。

 やはり、通信を盲目的に慕っていた美津は、普通ではないらしい。実家に返して正解だったと思い至る。美津は苦手だ。その気持ちは変わらない。

 この日も、つくねんと御厨の端っこで暇つぶしをしていると、女たちが、「明日は靄がでるかもしれない」ささやきあっていた。「このあたりでは靄は珍しいのか」と問うと、口々に、「この時期の靄は、とても濃く煙る」と言った。

 翌早朝。まるで真冬のような寒気に、通信は震えながら目覚めた。

 目を擦っている通信のもとに、信家が慌てたように寄ってきた。いいから外を見てくれと言う。蔀戸を跳ねあげさせて外を見ると、異様な光景が広がっていた。もうもうとした白い靄に覆われて六尺先すら霞んで見える。

「あっというまに、城ごと飲みこまれました」

 信家が言った。物見櫓に登る。濃い靄がすべてを覆いつくし、田口勢の姿形も見えない。靄が晴れたら、そのまま存在ごとかき消えてしまえば良いのにという感傷を、通信は喉の奥に押しとどめた。

「いま出陣すれば、敵は混乱するでしょう」
「同士討ちにならないかしら」
「なりませんよ。敵の数のほうが圧倒的に多いのですから」
「じゃあ、おれも出ていい?」
「は?」
「退屈で死にそうなんだよ。ねぇ、信家。おれは退屈で死ぬより合戦で死にたいよ」
「白石殿が許すのであれば」

 通信は寝ぼけ眼の忠員をたたき起こし、物理的に首を縦に振らせると、大鎧を着けだ。

 靄はまだ濃く敵陣と城を覆っている。胴巻き姿の信家が馬上でふて腐れていた。景高はまだ眠っていて、声をかけても揺すっても、頑なに起きないようだ。

 それぞれに兵をまとめて、そっと門扉を開かせる。田口勢の困惑したようなざわめきに肌が震えた。

 しんしんとした侵攻。同士討ちを嫌った通信と信家はそれぞれ左右にわかれた。視界のおぼつかない濃密な靄のなか、あちらこちらで悲鳴があがる。それだけで、敵兵は統率が取れなくなった。逃げまどう敵を射殺すことなど、造作もないことである。

 通信は雄叫びをあげていた。人垣を突き抜けると反転し城へと戻る。

 一刻近く盆地を覆っていた靄は、気温の上昇とともに山裾へと引いていった。徐々に視界が開けてくる。

 そのとき、どこからか鬨の声があがった。城を包囲している兵たちが、にわかにざわめく。なにごとかと通信は物見櫓に登った。目を懲らすと敵兵たちの背後に、あらたな軍勢が見えた。森に隠れており全貌は明らかではないが、大軍勢のように見える。それらが一斉に矢を放った。驚いた田口勢が一時撤退をはじめる。隙間なく城をかこんでいた人垣が割れ、兵たちが我先にと肱川の対岸に渡った。

 通信は久方ぶりに城の門扉を開放した。対岸から眺めているだろう田口教能は、さぞかし悔しがっているに違いない。

 木々の隙間から白旗を掲げた騎馬が、十騎ばかり城に近づいてきた。堀の手前で下馬する。土佐勢にちがいない。通信は櫓から飛び降りると、信家と忠員、それから景高を伴って城の外に出た。

「あなたが河野殿ですか。甥と兄が世話をかけております」

 そう言って、気弱そうな小男が頭をさげた。あの景時の弟とは思えない、しおらしい振る舞いに、日々の心労が透けて見える気がした。烏帽子をかぶっていてもわかるほど、男の頭髪は禿げあがっている。

「いえ、こちらこそ」
梶原六郎友景かじわらろくろうともかげともうします。到着が遅くなってしまい、まことに面目ない」
「いえ、しかたがありませんよ。海岸は田口の水軍に抑えられていたでしょう」
「海岸――いえ、わたしたちは山を越えてきましたから」
「は」

 舟を使わずに、山を越えて軍勢を動かしたと言ったのか。そんな無益な行軍を行うなんて、この男もどうかしている。土佐勢がよくつき従ったものだ。

「それは、きっと、怪我の功名ですね」

 通信の引きつった笑顔に、友景は怪訝な表情を浮かべた。

 友景の率いる土佐の軍勢は入城せず、そのまま森のなかに待機をするという。通信は忠員に言って、彼らのための兵糧を運ばせた。景高と景平は逡巡していたようだが、城内に残るとのことだ。おそらく野営を嫌ったのだろう。

 一度、肱川対岸まで引いた田口の軍勢も、翌日には体勢を立てなおし、友景の率いる軍勢と比志城を挟むようなかたちで陣を敷いた。田口の軍勢およそ三千騎、友景の率いる土佐勢およそ一千騎。ここからまた数日、両軍による睨みあいが続いた。

 二月十日。景時からの伝令が通信のもとにやってきた。

 曰く、範頼の率いる坂東の軍勢が一月末に渡海。二月のはじめに九州を制圧したという。しかし、平家方の拠点となっている彦島は抑えられなかった。ただ、これによって、山陰、山陽、九州からの補給路を断つことには成功した。よって、当初の予定どおり屋島の御所を攻撃する。

 義経と協議した結果、義経の率いる軍勢は二月十六日に渡辺津を発ち、十九日に阿波国に入ることとした。したがって、四国決戦は二十一日。景時の率いる九州と播磨の軍舟と通信の水軍で、平家方の舟団を包囲し陸に押しもどす。

 田口勢が阿波に戻るためには、最短でも海路で三日から四日はかかるだろう。つまり、あと五日は田口の軍勢を引きつけていろということだ。そののち包囲を突破して、屋島に来いといっている。

「簡単に言ってくれるよなぁ」

 通信は、ため息をついた。

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