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第七章

3.

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   何かが細かく震えるような音がし、全員がいっせいに音のするほうへ目をやった。
──お母さん?
 美里は心の中で、母親を呼んだ。その声は心の中に止まらず、口から勝手にこぼれていたようだ。続いて皆の視線は美里に向いた。
「お母さん、なの……?」
 苦しくて息がつかえる。美里はそれでも小さな声で、母のようなものに呼びかけてみた。
 するとじわじわと、写真が現像されていくように空気の一部に色がついてきた。
──あっ。
 美里は声にならない声を上げる。はっきりとは見ることができない。靄に隔てられたようではあるが、確かにそこには母らしき影が浮かんできていた。
 母らしき存在は、陽炎のように部屋の中でゆらゆらと揺れていた。
「お母さん……もっとはっきり現れるのかと思っていたのに」
 美里は何と言葉をかけていいかわからず、そんなことを言ってしまった。うふふ、と陽炎の中から声がしたので、間違いなくそれは母なのだと思った。
 母の声は、音としてではなく頭の中に響いてくるように伝わってきた。
「私もはっきりした姿で出られるんだと思ってたんだけど、死んでみたらこんなふうだったの」
 頭の中の母の声は、大した抑揚もなくイントネーションも平板だった。しかし意味だけはきちんと伝わってくる感覚が不思議だった。
「でも約束、守ったでしょう」
「それはそうだけど……どうしてもっと早く出て来てくれなかったの?」
 皆から見て、自分の今の状態はどんなふうなのだろうと美里は思う。しかし、独り言のように聞こえたとしても、構わずに口に出して会話してみた。
「行こうと思ったけど、行けなかったの……いえ、行くことはできるけど、姿を現わせなかったの」
 ほう、と美里はおかしなところで感心してしまった。
「……死んでしまったら自由にどこにでも行けるんじゃないの?」
 美里が言うと、母のような影は「いやいや」と言うように左右に揺れる。
「それが違ったの。魂……なのかな。気持ちは美里のそばに行けるんだけど、私の、この姿を見せられる場所は限られてるの」
「え、どこ?」
 母のような影は、上下にぴょんと跳ねたように見えた。
「ここ。睦子姉さんの家」
「どうして?」
 美里は尖った声を出してしまったが、母の声はさほど申し訳なさそうに「ごめん」と告げた。
「どうやら一番想いを強く残した場所にしか出られないみたい。案外幽霊って制約があった」
「そんな……」
 美里はしばらく言葉を失った。何故、実の娘がいる家ではなく、睦子叔母さんの家なのだ。
「ここ、私が生まれた家でもあるから。自分で思っていたより執着があったみたい。死んで初めて気がついた」
 母の影の言葉を聞いて美里は合点がいった。睦子叔母さんは婿を取って、生家に住み続ける道を選んだのだ。
 母にとって、一番帰りたい場所はこの家だったのかもしれない。
「何か、ごめん……」
 顔の造作はよくわからないけれど、母の影が申し訳なさそうにしていた。
「別にいいよ」と言って、割り切った自分を美里は我ながらさっぱりしていると感心した。
「私に会いたくなったら、ここに来ればいいから」
 母の影の声は唐突に途切れた。
 はっとして辺りを見渡すと、睦子叔母さんが何とも言えず気の毒そうな表情を浮かべて美里を見ている。ハツミ叔母さんと影も、同じような反応だった。
 伝わり方は確かめられないが、母と美里のやり取りは皆も把握できているようだった。
「あの、私……大丈夫です」
 皆が神妙な顔をしているので、美里は自分から口火を切った。するとますます皆が微妙な顔つきになったので重ねて言う。
「奈々枝と……話せた?」
 心配そうに尋ねてくれた睦子叔母さんに美里は「はい」と頷いた。
「ちょっと思っていた再会と違ったんですが……母と話せました。それで、何だかすっきりしました」
──姿かたちも母のようでそうでもないような微妙なものだったけど。
 何か、ごめん。だって──。
 美里はその言い方が母らしいと思い、思い返して少し笑ってしまった。笑うと同時に涙がポロリとこぼれたが、気付かれないように慌てて手の甲で拭った。
「ちらし寿司のお代わりをもらってもいいですか」
 睦子叔母さんの顔を見上げると、その顔にほっと安堵の色が浮かんだ。
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