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第六章

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  どこからともなく湧いてきた霧は、次第に濃くなっていった。車の窓を開けると涼しい空気が流れ込む。
「ますます霧が濃くなってきたね。ライトつけよう!」
 まだそんなに遅い時間ではないはずなのに、霧のせいで夕方が近いように感じる。風景も白樺の並木道に変わり、途端に森の中に迷い込んでしまった。
「高原……別荘地……!」
 影は目を輝かせて、車の窓をさらに大きく開ける。吹き込んでくる風は涼しさを通り越して寒いと感じるほどだった。
「文豪が避暑に訪れていそうだよな……」
──そうだった。この子は本が好きなんだよね。
 美里はめずらしくはしゃいだ様子の影の横顔を見つめる。嬉しそうな影を見ることはこれまであまりなかったので、美里の心もつられて浮き立つ。
 影のあやかし、という事実はまだ信じられないが、同じぐらいの年月を過ごしていて、しっかりと夢もあるこの子の将来が、望む形になってくれればいいなと願っていた。
──あやかしだって、夢を持ってもいい。
 二人と一緒にいると、命に関わる一歩手前のような体験に巻き込まれるけれど、それ以上に勇気が湧いてくるのだった。

 ハツミ叔母さんの運転する車は、森の中を走り続けた。道沿いにぽつぽつと可愛らしい洋館が現れ、大通り以外の脇道にも別荘が点在しているようだった。
「わー、可愛い建物がいっぱい!」
「古い洋館いいなぁ」
 美里と影が霧の間から目を凝らして、目につく洋館を指差していると、濃霧の中にぽつんと明かりを灯している洋館が現れた。
「あの建物……一番素敵……」
 つぶやいた美里に、ハツミ叔母さんはニッと笑って右手の親指を立てる。
「お気に召してよかった。あれが今夜の宿だよ」
「やったー」と美里も影ももろ手を挙げて喜ぶ。これまでの旅にはない。洒落た雰囲気。
 きっとベッドはふかふかで──夕食は創作フレンチか何かで、オーナーの手作りの薔薇ジャムをスコーンに塗っていただくようなペンションに違いない。
 美里の妄想は膨らみに膨らんでいた。眠ったときのハツミ叔母さんのように。
 洋館の裏手に車を停め、ミルクのような霧の中を手探りで進んで入口に辿り着く。
「こんばんは……」
 ハツミ叔母さんは確かにそう言った。美里は反射的に腕時計を確かめる。
──まだ三時半だけど。
 しかし言われてみれば、洋館の周りは夜のように日が落ちて霧に包まれている。そして、真夏だと言うのに上着を羽織らないと寒い。
 小さなドアチャイムの音が鳴ると、中から男性が現れた。すらりと背が高く、温厚そうな笑顔を浮かべている。
「いらっしゃいませ。ようこそ、お越しくださいました」
 完璧な角度でお辞儀をすると、男性は美里たちを洋館の中へ招き入れてくれた。
「お久しぶりです……お代わりなさそうですね」
 男性はにこやかに微笑む。美里はほっとしていた。まともな人が現れた──あやかしなのかもしれないが、お店としても正常に営業していそうだと安堵する。
「ぼちぼちだよ。しっかし、この辺りはいつ来ても霧がすごいね」
 ハツミ叔母さんが親し気に応じると、男性は「ええ、そうですね。一年中です」と答える。
「霧のせいで、外をまともに歩けませんからね」
 物騒なことを笑顔で言う。
 美里と影が「はじめまして」と挨拶をすると、男性もお辞儀をして「こちらこそはじめまして」と挨拶を返してくれる。
 美里はますます常識的なやり取りにほっとしていた。初対面でいきなり乗っている軽自動車を揺らされたりしない──それだけで十分だ。
──って、ずいぶん旅のハードルが下がってないか?
 自分の考えがおかしくて、美里は心の中で笑ってしまう。
「外は寒かったでしょう? 今、あたたかいものを淹れますね」
 男性に促され、美里たちは手近なテーブルにつく。
 するとほどなく、ドアが音もなく開きふわりと風が吹き込んでくる。美里が何気なくドアの辺りを目にして、視線を戻すと男性は虚空に向かって声をかけた。
「いらっしゃいませ。今はティータイムですがよろしいですか?」
──何も見えないんだけど。
 美里は男性と、ドアの辺りを何度も見返した。
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