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第三章

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   宿は温泉ホテルで、客室数が妙に多かった。
 夏休みの午前中、昔の再放送アニメを見ているとよくCMで見かけるような巨大な温泉ホテルだった。プールもあり、複数の大浴場があり、食事をする宴会場ではショーが見られるようなホテルだ。
 運良くキャンセルが一室あって、美里たちは飛び込みで宿泊できることになった。
  あれは一時代前の遺物だと思っていたので、実在してそれなりにお客が入っていることに美里はショックを受けた。
 客層は圧倒的にファミリー層。美里たちよりも小さな子供連れの家族が、すでに腰に浮輪を巻いた格好でチェックインしていた。
「何だかさあ、お子様ランチみたいだよね」
「へっ?」
 ハツミ叔母さんが、天井吹き抜けのロビーを見上げながら言った。叔母さんの言うことはいつも謎かけみたいだ。母もそうだったから血を引いているのだろう、と思う。
「こういうホテルって、ちょっとずつやりたい要素が全部詰まってるの」
「ああ、そういう意味……」
 美里は納得した。影はロビー売店の土産物屋に売られている本を立ち読みしている。
「とは言え、ロビーに鎧兜が置いてあるような旅館も好きだけどね、あたしは」
 何気なく言ってから、ハツミ叔母さんは慌てて口を押えた。
「あ、ごめん!とは言え、って言ったよね?あたし、今」
「大丈夫です。もう泣き尽くしました。今となっては……何であんなに泣いたのか」
 ハツミ叔母さんに謝られるまで気付かなかったくらいだ、と美里は思った。
「無意識に使うぐらいだから、あたしもいくらか口癖なのかなあ……」
「母さん、このご当地ミステリー本、買ってもいいかな」
 影が売店から声をかけたので、美里たちの会話は中断された。

 部屋は広く、全部で三部屋もあった。てっきり叔母さんと美里は一緒の部屋になるのかと思ったが、「せっかく三つも部屋があるんだからそれぞれ一室ずつ使おう」とハツミ叔母さんが言い、それに従うことになった。
──夜遅くまでおしゃべりするか、枕投げするのが旅の醍醐味。
 なんて言い出しそうな気がしていたので美里は少々意表を突かれた。続けて拍子抜けしている自分が不思議でもあった。
──夜通し叔母さんと喋りたかったのかな。
 自分の胸の内に問うてみる。意外とそうなのかもしれない、と正直なところ美里は考えるのだった。

 賑やかなビュッフェスタイルの夕食と、叔母さんといくつも大浴場をはしごして、就寝ギリギリまでトランプをして遊び、「そろそろ眠たくなってきたかも」とハツミ叔母さんがとろんとした声で言いだした頃、美里は異変を感じ出していた。
「ごめんね、も、寝る……」
 体を引きずるようにして、布団の敷かれている隣の部屋に向かおうとする叔母さんの体が一回り大きく見えた。
──夕食の食べ過ぎで太った?
 と言うかもともとあのぐらいの大きさだったっけ。
 美里は寝室へ消えていくハツミ叔母さんを、不思議な気持ちで見送った。
──私も寝ぼけてるのかな……。
 部屋には影と美里がぽつんと残されてしまった。叔母さんがいなくなった途端に、お互いに口をつぐみ、気まずい沈黙が訪れる。
「俺も寝ようかな……まだそんな遅い時間じゃないけど」
 影が言い、立ち上がる。言われて時計を見ると時刻は10時半だった。
「いつもハツミ叔母さんって、早寝だったっけ?」
 美里は今夜のハツミ叔母さんの動向が奇妙に気になる。いつもは夕食を食べるとそれぞれ入浴し、テレビを見るものもいれば自室に引き上げるものもいて──そもそも各人の動きを把握していなかった。
「まあ……母さんはたくさん寝るほうかも。あと、旅の疲れじゃないの?」
 一瞬、影が口ごもったように思え、美里はまた引っかかりを感じる。しかし、影にはそれを悟られないように気遣った。
「そうかもね。私もちょっと疲れた」
「じゃ、おやすみ。明日もなんだかんだ連れまわされると思うけどごめん」
 影は自分のせいでもないのに、ぺこんと頭を下げた。
「そんなことないよ。すごく楽しかった」
 美里の口から自然にお礼の言葉が出た。気を遣って言ったわけではなく、本心だった。
 影は少し驚いた顔で美里を見る。
「……それならいいけど」
 おやすみ、と言い合って影も空いた一部屋に音もなく入って行った。

 その夜、夜更けに美里がふいに目覚めたのは必然的な展開だったのかもしれない。
 一つ残った部屋で、敷かれた布団にもぐりこむと美里は滑り落ちるように入眠してしまった。
 しかし、何の物音もきっかけもないのに目を覚ましてしまった。
 することもなくトイレに行った美里は、間違えて自分の寝ていた部屋ではなくハツミ叔母さんの寝室のふすまを開けてしまった。
 朦朧とした頭でふすまを開けると、目の前が肌色だった。
「え……」
 なにこれ。
 美里は心の中でつぶやいたつもりが、声に出ていることに気付いた。目の前の肌色が、人の肉だと判断できるまでにしばらく時間がかかってしまった。
 手で触ってみると、ぼよんとした弾力で押し返される。

 どうやらこれは人の体で、部屋いっぱいに詰まっている。

 という判断が合っているのかどうか、甚だ不安だった。美里はそっとふすまを閉めると、今度は間違えないように自分の寝室に戻って布団に入った。
「でもこれは夢ではない」
 美里は混乱しながらも、おかしな手ごたえを感じていた。明日になったら絶対確かめよう。叔母さん本人に。
 ハツミ叔母さんが突然家に現れてから、今までの日々の記憶が急速に巻き戻される。何もかもが、非常識で型破りだった。初めて会った時から何となくわかっていたのだ。
 この人には秘密がありそうだ、と。
──でもちょっとやそっとのことで、私はハツミ叔母さんを嫌ったりしない。
 決意とともに、美里は再び深い眠りに落ちて行った。
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