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第一章

夏の来客たち 1.

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1. 

 夏はいつの間にか始まっている。

 何となく予感めいたものはある。緑がむせかえるほどに生い茂り、空の色が濃く、雲の形が変わる。
──入道雲のようにもくもくしてきたら、それはもう夏の盛りだ。
 そんなふうに美里は考える。
 それから続けて、畳の上に寝転びながらつぶやいた。
「夏は嫌いなのに、思い出が多いんだよね」
 美里のつぶやきは、完全な独り言となった。3Kのアパートは、一つ一つの部屋が狭く、築年数が古いので美里はいつも文句を言っていた。床はフローリングがいいし、白い壁紙がいい。
 しかし、夏が始まる少し前に母が突然亡くなってしまうと、手狭だと思っていたアパートもがらんとしているように思えた。
 
 母は美里が幼い頃に離婚し、一人で美里を育ててくれた。正社員ではなく、昼のパートと深夜の製造業をかけ持ちしていたのは、美里が学校から帰ってから眠るまでの時間を確保してくれようとする配慮だったのかもしれない。
 父は母と離婚後、そう間を開けずに再婚していた。
「万が一お母さんに何かあったり、お父さんが恋しくなってもゆめゆめ連絡を取ろうなんて思わないように」
 母はくり返しそう言った。幼い美里は「ゆめゆめ」という言葉を辞書で引き、初めて知った。詳しい理由について母は語らなかったけれど、きっと美里が連絡を取れば何かよくないことが起こるのだろう、と雰囲気で察した。
 父も母も嫌な思いをする、と最初は思い、もう少し大きくなってくるとそれは美里にとっても同じだとわかるようになる。

 まだ高校に入ったばかりだった美里にとって、母の死はあまりにも大きかった。
 失意ももちろんだが、煩雑を極める手続きの前に、美里の思考は停止しようとしていた。父に連絡するという方法が一瞬頭をかすめたが、「ゆめゆめ」だしなと思って踏みとどまった。いやその前に、父の最新の連絡先を美里は知らないのだった。
 葬儀やお金の整理など、どうすればいいのか途方に暮れている美里に手を差し伸べてくれたのは叔母だった。母は三姉妹の真ん中で、長女である母の姉がすばやくかけつけて段取りをつけてくれた。
「奈々枝、どうしてこんなに早く……」
 睦子叔母さんは家で存分に悲しんできたようで、美里の顔を見ると「さ、悲しんでばかりもいられない」と言って元気づけてくれた。
 睦子叔母さんとその夫である叔父さん、いとこたちが代わる代わる家を訪れ、母の死にまつわる作業の他にも美里の食事の面倒などを見てくれた。
「ハツミにも連絡してみたんだけどね。連絡つかなくて」
 睦子叔母さんは申し訳なさそうに言った。冷蔵庫を開けて麦茶の残量を点検すると、すばやく替えの麦茶を仕込んだ。
「姉の私が言うのも難だけどさ、あの子はダメだね」
 「ハツミ」と陸子叔母さんが呼ぶのは、三姉妹の一番下、母の妹のことだった。堅実な長女、少々冒険心の強い次女、そして三女は風来坊のような性格だと陸子叔母さんも母も事あるごとに言っていた。「そのくせどこか憎めないところがあって」と陸子叔母さんが言えば、母も「そうそう」と頷く。
 悪口を言い合っているようで、どこか嬉しそうで、二人の「ハツミ」叔母さんに対する愛情が下がっている目尻から伺えた。
──きょうだいってそういうものなのかな?
 一人っ子である美里は羨ましい気持ちもあり、まったく推測が及ばない部分でもあった。

 ハツミ叔母さんは大学を卒業してからふらりと海外へ行き、現地で好きな人を見つけてからはその土地に居着いた。同じ人に執心しているものか、ターゲットを替えたのかはよくわからないがパートナーを見つけたという噂。しかしそこから先はほとんど音信不通で、陸子叔母さんも母も、ハツミ叔母さんの暮らしぶりを知らないありさまだった。
 母の話では、美里が赤ちゃんの頃と、幼稚園ぐらいのときに会ったことがあるらしい。しかもそれは片手で足りる程度の回数だ。
「奈々枝が亡くなったって言うのに連絡がつかないなんてどういうこと?」
 陸子叔母さんは憤慨していたが、美里の前で怒っても仕方がないと悟ったのか、怒りの矛を収めた。
 
 陸子叔母さん一家のおかげで、全てが片付いた。どこか他人事のような美里の心持ちを除いては、全てが滞りなく進み、終了した。
 そして気がつけば夏になっていたのだ。
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