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しおりを挟む「別に相手を突き止める必要は無い気がするけど」
「まぁ聞けよ。幸い怪我もしてないし、その子に文句を言いたいとかいう訳じゃないんだ。けどその時、衝撃でコレが外れてさ」
コレ、と今掛けている黒縁のメガネを指し示す。ドの付く近眼の俺は、このメガネが生活する上で必需品だ。裸眼の視力では他人の顔の識別など到底不可能で、できることといえば色とシルエットを認識することくらいである。
「そのせいで顔とかは全然見えなかったんだけど、ほら、この学校の女子の制服ってここらじゃ珍しい色とデザインだろ?だから辛うじて、うちの生徒らしいってことはわかった。それと───」
そして、俺がこれを彼に話している一番の理由。
「コレ」
「……それは」
窓際の席にいることを利用して、握っていた左手の拳を幸基にだけ見えるようにこっそりと開く。中には、赤・黄・オレンジの紐をより合わせて作られ、両端に綺麗なマーブル模様の石をあしらった───しかし全体的に少々不格好なミサンガが収まっていた。
「この前クラス全員で作ったやつだよな」
「そう。明後日の体育祭優勝祈願のミサンガだ。転んだとき咄嗟にもがいたら、ぶつかってきた人のカバンから引きちぎっちゃったみたいなんだよ」
「なるほど」
幸基はじっと俺の手の中を眺めた後、パタンと文庫本を閉じる。どうやらやっと興味を持ってくれたらしい。彼はその口角を楽しげに持ち上げた。
「お前にぶつかったヒロインさんは、このクラスの誰かかもしれない、って話か」
俺は「そういうこと!」と大きく頷いてみせる。
「とは言ってもたまたま偶然、なんの関係もない別クラスの生徒が、僕らとそっくりのミサンガを個人的に持ってただけって可能性も無くはないと思うけど」
しかしつい先程の芝居がかった表情と台詞を一瞬で取り消すように、幸基は顔の横でヒラリと手を翻して見せた。
俺も話だけ聞いた側だったら、その線も多少は考えただろう。だがそれは今回の場合、俺だけははっきり違うと言い切ることができた。
「無いな。まずこの両端に付いてる玉みたいなやつ。これ、えー……名前忘れたけどなんとかっていう結構珍しいもんらしい。お前は聞いてなかっただろうけど、こういうの好きなお嬢様が持ってきたから大事にしろよって配る時偉そうに言ってた」
『お嬢様』というのは、今は廊下側の後ろの席で友人達と談笑している黒髪をお団子に纏めた女生徒───文字通り大企業のご令嬢であらせられる、七々瀬楪のことである。周りの人間を支配したがる性格や立ち居振る舞い、妙に上から目線の発言が面白い程に典型的なお嬢様のイメージ通りなので、クラスの一部の人間は彼女をそう呼んでいる。
「あとこっちが決定打なんだけど…」
俺は上手いこと周囲から見えないように隠しながら、両手で幸基の目の前にミサンガをピンと張って持つ。
「これ作ったの、俺なんだよね」
「それなら前半の説明要らなかったろ」
「ははは。いやあのLHRの時お前が寝てたのつつこうかと思って」
「うわぁさっきの仕返しかよ。…あれ。でも確か、男子は全員同じ色の作ったよな?」
迷いなく言い切った俺の言葉にはて、と首を捻った彼の口から、真っ当な疑問が飛び出した。
このクラスは全員でミサンガなんか作っていることからもわかるように、来たる体育祭への熱意がありすぎる程にある学級だ。そしてそれは、少しばかりレアな体育会系学級委員長───東海林充希の主導によるものである。
東海林は部活動に燃える熱血バレー少女であり、加えて年頃の乙女であった。
そんな彼女の鶴の一声で、我らが2-Bは体育祭の優勝を祈って女子は男子の、男子は女子のミサンガを作って交換し、全員が当日まで学校指定の鞄に付けておくことに決定した。
平たく言ってしまえば、パワフルな乙女の采配によって「この機会にかこつけて、クラスに意中の人がいたら自分が作ったミサンガ渡しちゃえよ的なイベント」も同時に開催されたというわけである。
───まぁそんなものにはとんと縁がない俺は、同じく縁のない者たち用の箱に自分が作ったものを放り投げ、その中から男子の分である青っぽいミサンガを適当に1つ拾ったのだけれど、それはいいとして。
「わかる、わかるぞ!お前が訊きたいのは、どうして俺が同じ色と造りのものが十数個もあるにも関わらず、事故で偶然手に入ったコレが自分の作ったものだとわかったのかってことだろ?」
「そうだけど、なんでそんな嬉しそうなんだ」
「ちょっとテンション上がるじゃんこういうの。いいからそんでほら、ここ見ろよ」
呆れたような表情をした日に焼けない顔の前に、構わずミサンガの玉部分を近付けてやる。指の先でちょんと差してみせた所には、カタカナの「キ」の字に似た傷がついていた。
「これ、作ってる最中に気付いたんだ。全く同じ傷が別の玉にも付いてるとは考えにくいし、なによりこの全体的にお粗末な完成度にも覚えがある」
「そこで胸を張るなよ」
「うるせぇ。不器用で悪かったな」
細かい作業は苦手なのだ。メガネが全員チマチマしたことが得意だと思うなよ。
「でもそれなら簡単だろ。鞄にミサンガが付いてない人間を探せばいいだけの話じゃないか」
「俺もそう思って、今朝校門で通るクラスの女子の鞄を見てたんだ」
伝統を重んじるだかなんだかで何かと規則にうるさい我が校では、毎月第三水曜の朝、校門で風紀委員による服装検査が行われる。かく言う俺も、活動が月一だからという怠惰極まりない動機ではあるものの、なんと一応風紀委員会に所属しているため、今朝はその職権を濫用してそれとなく鞄をチェックしていたのである。
「だけど、ミサンガを鞄に付けていない女子は1人もいなかった。そして今日2-Bは遅刻者も欠席者もゼロ」
とどのつまり───俺の一歩間違えれば不審者となりかねない努力の甲斐なく、調査は暗礁に乗り上げてしまったというわけだった。
「なぁこれ、お前はどう思う?」
俺は机に両肘をつき、黙って話を聞いていた幸基の顔を覗きこむ。
「ずいぶん曖昧な質問だな」
「誰がこいつの持ち主かわかるかってこと!」
「言いたいこと言い切ったらあとは丸投げかよ」
それを眉を顰めて見下ろした彼は、しかし意外にも「まぁ、多少候補を絞るくらいならできるかも」と続けた。思わずえ、と目を丸くする。
「え、なんで!?」
「うるせ。先に言っとくけど、そんなに大したことじゃないぞ」
念を押すように眼前へ突きつけられた指に驚いて身を引きながら、コクコクと頷く。
「じゃあ言うけど。だってお前は、学校からの帰りに後ろから突き飛ばされたんだろ?だったら、その人はお前より後に下校していたってことだ」
「あ、それは……そうだな」
「帰る前、教室に誰が残っていたか覚えてるか?男は省いていい」
ハイ思い出せと促され、俺は頭を抱えて昨日の放課後の記憶を辿った。あの時いたのは確か───
「えぇと日直で日誌書いてたおじょ、じゃなくて七々瀬と、席で本読んでた柳。あとHRの後担任に呼ばれて出てった東海林の荷物もまだあって…」
口に出しているうちに記憶がはっきりと蘇ってくる。
「あっそうだ、昇降口に円香の靴があったんだ」
あいつは昨日、そして服装検査があるにも関わらず今日も、明らかに校則違反の洒落た靴を履いてきていた。
その後もしばらく宙を睨んで頭を捻ってみたが、下駄箱にあった靴の数と照らし合わせてみても、俺より遅くまで残っていた女子はこの4人だけだと言ってしまって良さそうだった。
「なら候補はクラスの半分の15人から4人まで減らせる。だいぶ楽になった」
「おぉ!……でもここからはどうすればいいかわからんな」
思わぬスピードで成された絞り込みに感嘆の声を上げたが、すぐに行き詰まって腕を組んだ。ここまで絞れても結局、その4人とも今朝の段階でそれぞれちゃんと自分の分のミサンガを持っていたことは俺がこの目でしっかり確かめたのだ。手の中で小さくなった不細工な赤いミサンガが、持ち主を失ってしょぼくれているようにすら思えてきた。
と、そんな俺を顎に手を当てて見ていた幸基が口を開いた。
「なぁ、ちょっと訊きたいんだけど、今朝その4人がどんな風にミサンガを付けていたか思い出せないか?」
「どんなって…」
あーと、と呟きながら朝見た光景を呼び起こす。今度はさほど時間が経っていないため、さっきよりスムーズに思い出すことができた。
「東海林はギッチギチに固く縛り付けてたな。いつだか引っ張って早く切れるように弱らせるんだとか言ってたような…。七々瀬は何がどうなってんだかわからん凝った結び方してた。ミサンガってこういうことするもんじゃないだろって言いそうになったわ。で円香は雑に縛ってただけっぽくて、柳はくるっと巻き付ける感じでコンパクトに結んであったと思う」
こうして改めて確認してみると、これ以上ないほど各々の性格がわかりやすく現れている。
「うん、なるほど」
俺が答えた途端、彼はそれだけ言ってひとつ頷いた。
「えっなに!?もしかしてわかったのか!?誰だよ?!」
「さてね。時に来人」
目を剥いた俺の質問を流し、幸基は上を向けた掌を差し出してきた。
「そのミサンガ、今日だけ僕に貸してくれ」
「は?なんで」
「貸してくれたら、それの持ち主が誰か教えてやれるかもしれない」
やけに楽しそうに目を細めた彼の意味深な言葉は、噛み付こうとしていた俺を黙らせるには十分すぎるものだった。
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