偽皇妃として断罪された令嬢、今世では氷の皇子に溺愛されます~娘を虐げた者たちに復讐を

浅雲 漣

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第2章 婚約とデビュタント騒動

第9話 デビュタント開始前の騒動

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「ここで待ってて。カシウス殿下を呼んでくる」

 デビュタントの当日。
 アリーシアはライハート卿にエスコートされ、会場の皇宮までやってきた。
 伯爵家以上の令嬢に与えられる控室。
 ライハート卿がカシウス殿下を呼びに行き、今は自分とみーちゃん以外は誰もいない。

(結局、あれからカシウス殿下とは話せなかったな)

 婚約騒動が始まった後、カシウス殿下はエステルハージ邸をぱったりと訪れなくなった。
 一度、思い切って地下通路を使ってカシウス殿下が執務で使っている離れにも乗り込んだが、不在だった。

「だいじょーぶだよ、あのお兄さんがちゃんと殿下を連れてきてくれるから」

 あのデートの後、みーちゃんはライハート卿のことを認めた(?)様子だった。
 
(信じたいとは思っているんだけど……)

 どうしても前世でのことが引っかかってしまう。
 その時、コンコンと扉をノックする音が響く。

「あ、来たみたいよ!」
「す、すぐ開けます!」

 久々に会うカシウス殿下を想像し、少し汗ばむ手で扉を開ける。
 だが、そこに立っていたのは、貴族の服装をした見知らぬ数人の男たちだった。

「アリーシア・エステルハージだな? ある方がお前を呼んでいる。おとなしくついてこい」

 侯爵令嬢に対して、有無を言わせないぞんざいな口調。
 最近は紳士的な人とばかり接していたから忘れかけていたが、帝国貴族には女性に対して高圧的な者も多い。

「わ、わかりました」

 アリーシアは表面上は大人しく彼らについていく。

(落ち着くのよ。ここは皇宮の中。もし騒ぎになったら、カシウス殿下にも迷惑がかかってしまう)

 それに、だれが何のために自分を連れていくのかをつきとめる方が重要だ。

(考えたくないけど、もしライハート卿が関係しているとしたら……)

 カシウス殿下のためにも、娘のためにも、ライハート卿も排除する敵とみなさなければならない。

「ここだ、入れ」

 男たちが、先に扉の向こうに入る。

(今だ!)

 男たちの視線が一瞬こちらから切れたのを見計らって、アリーシアはみーちゃんをできるだけそっと床に落とした。
 そして促されるまま扉の向こう側に入る。
 廊下にはみーちゃんだけが取り残された。


 扉の向こうに居たのは、マリナの母であるバルダザール伯爵夫人だった。そして見覚えのない数人の貴族令嬢たち。
 伯爵夫人のドレスは派手で、デビュタントという令嬢たちが主役であるはずの場には似つかわしくない。

「あら、お久しぶりね、アリーシアさん。ずいぶんとご立派になられたみたいですね」

 そう言って微笑む伯爵夫人だが、目は笑っていない。顔立ちは似てはいるが、マリナと違って敵意が分かりやすい。

 バルダザール伯爵夫人と死に戻り後に会うのは初めてだ。
 前世ではエステルハージ家を乗っ取られた後にさんざんいびられたし、母の大切な服飾品ふくしょくひんは、隠していた形見の品を除いてすべて奪われた。投獄されてからも、マリナと一緒に幾度となくいたぶられた。

 その時のことを思いだすと、かっと頭に血が上りそうになるが、ぐっとこらえる。

「こちらこそお久しぶりです、バルダザール伯爵夫人。まだ伯爵様はお戻りではないのですか?」
「……あんな男が戻らなくても、バルダザール家はなんの問題もなくってよ!」

 もちろんアリーシアもバルダザール伯爵が拘束されたままであることは知っている。皮肉には皮肉で返したまでだ。

「そんな態度でいられるのも今だけですよ。あなたにはデビュタントが終わるまで、ここから出ることは許しません」

「その通りです、あなたはライハート様にはふさわしくありません!」
「どうせ、人形姫のあんたが、ライハート様をたぶらかしたって決まってるんだから!」

 伯爵夫人に呼応こおうするように周りの貴族令嬢からも声があがる。

(なるほど、伯爵夫人は乗っ取り失敗の逆恨み。周りの方々はライハート卿とわたしの関係をねたんでこんなことをしたのね)

 皇宮でのデビュタントは皇帝や皇妃もはじめ、中央貴族が一堂に会する。
 もし、そんな場を理由なくすっぽかしたとなったら。
 そして、それが他の男たちとの姦通かんつうの噂となったら――評判は地に落ちるだろう。
 とはいえ、あまりにも短絡的たんらくてき杜撰ずさんな計画だ。

「ここは皇宮ですよ? 私が控室からいなくなったら、すぐに騒動になります。見つかるのは時間の問題です」
「ふふっ、そこは心配ありません、特別な者しかここにはたどり着けないのです。まあ、あなたのような小娘にはわからないでしょうけどね」

(特別な者だけがたどり着ける?)
 
 確かに、かなり奥の間に連れてこられたのは間違いない。
 途中で回廊かいろうの雰囲気も変化し、衛兵たちの警戒も強くなっているように感じた。
 夫を拘束された伯爵夫人だけの力ではないとすれば――。

(第二皇子の手の者、皇妃が騒動の後ろ盾になっているの? それに、ライハート卿が第二皇子側だったら――)

 騒動自体が起こらないし、アリーシアの名誉が守られることはないだろう。
 信じていたマリナに裏切られ、投獄されたときのことが頭をよぎり、アリーシアの鼓動は大きく跳ねる。

「どうやら、やっと自分の立場が分かったようですね」

 押し黙ったアリーシアに、バルダザール伯爵夫人は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「もうすぐデビュタントが始まります。ここは殿方に任せて、会場に向かいましょう。わたくしも娘の晴れ舞台が楽しみですし」
「そうですね、伯爵夫人」

 伯爵夫人の言葉に、ライハート卿の信奉者たちもうなずく。

「では、アリーシアさん、ごきげんよう。アリーシアさんはアリーシアさんでこの殿方たちと存分にたのしんでいらっしゃいな」

 伯爵夫人の言葉と、男性貴族たちの下卑げびた笑み。
 投獄され、さんざん辱めをうけたアリーシアにはこれから何が起こるのか容易に想像できた。

 伯爵夫人と貴族令嬢が退出し、後には三人の男たちとアリーシアだけになる。
 男のひとりが扉に鍵をかけると、こちらに向きなおった。

「へっへっへ、オレたちのような下賤な者が、お貴族様を好きにできるなんてな」
「こんな機会、もう二度と来るかわからねぇし、存分に楽しまないと」

 好き勝手を言いながら、ゆっくり近づいてくる。
 言動を聞く限り、貴族の格好をしているが、平民か、貴族でも最下級の者たちのようだ。
 
「ち、近づかないで! あなた方、早くここから逃げないと、命はありませんよ?」
「助けがくるっていうのかい?」

(なんとか少しでも時間をかせがないと!)

 アリーシアにとって頼みの綱はこの部屋に入る前に離したみーちゃんだった。
 自分を支えてくれたみーちゃんのことは不思議と信じることができる。
 きっとみーちゃんなら何とかしてくれる。
 今できることは少しでも時間を稼ぐことだ。

「そ、そうよ! あなたたちが気づかないように合図を送ったから! もうすぐ来るはずよ! だから、今すぐ逃げないと、大変なことになりますよ!」

「わっはっはっは」

 男たちの間で大きな笑い声が響く。

「ここは皇宮の中でもかなり奥って聞いたぜ。いったい誰が、こんなところまで助けに来てくれるって言うんだい?」

「カ、カシウス殿下よ! 私はカシウス殿下に後見人になってもらっているのよ! もし、何かあったら、絶対に殿下が許さないんだから!」

 そこでさらに大きな笑い声があがる。

「おお、怖い怖い。カシウス殿下ねぇ。詳しくは知らねぇが、さっきの女たちが、おまえの婚約で興味を失われたって聞いたぜ。それで本当に助けが来るのかねぇ」

「そ、それは……」

 婚約騒動からカシウス殿下とは会えていない。
 カシウス殿下がライハート卿との婚約についてどう思っているのか、アリーシアは考えないようにしていた。

「大丈夫よ! 必ず、カシウス殿下はわたしを助けてくれる!」

 アリーシアは不安な気持ちを押し込め、声に出す。
 声に出すことで、少し不安が和らぐ。 

「わかったわかった。じゃあ、助けが来るまでは楽しませてもらうぞ」

 角に追い詰められていたアリーシアに、男たちはいっせいにとびかかる。

「や、やめなさい!」

 あくまで強気な姿勢は崩さないが、所詮は少女の腕力だ。
 複数人の男にはかなわず、あっという間に組み敷かれてしまう。

「おい、もう待ちきれねぇ、はやく服を脱がすんだ!」

 乱暴に服を脱がされ、その白い肌があらわになる瞬間、アリーシアは思わず叫ぶ。

「助けて! カシウス様!」


 その時だった。

 施錠せじょうされていたはずの扉が、外側から乱暴に破られた。
 そこに立っていたのは、まさに帝国第一皇子カシウス・ヴァレリアンその人だ。

「カシウス様!」
「お前たち、生きてここを出られると思うな」

 ただでさえ鋭い、氷のような眼光。
 男たちはその殺気に射すくめられる。

 その後は一瞬の出来事だった。

 男たちはカシウスの一撃で全員起き上がることができなくなる。
 カシウスが身に着けたマントをはずし、アリーシアのぼろぼろになったドレスは覆い隠された。
 そして、その腕の中にそっと抱き上げられる。
 まるでおとぎ話に出てくるお姫様になった気分だ。

「大丈夫か、アリーシア」
「は、はい、ありがとうございます」

 アリーシアの返答で、やっとカシウス殿下の眼光は和らぐ。

「礼はこの子にも伝えておくんだな」

 ぽんとアリーシアの胸に置かれたのはみーちゃんだった。

「みーちゃんもありがとう、ちゃんとカシウス殿下に知らせてくれたのね」
「もちろんよ! アリーシアの危機はみーちゃんの危機と同じだもの。ま、間に合ってほんとに、ほんとによかった……」

 人形のみーちゃんの瞳からはぽろぽろと涙があふれてくる。
 その声の温かさでアリーシアもやっと窮地きゅうちを脱した安心感につつまれる。
 
「そ、そうだ! ライハート卿は!?」
「あいつは大丈夫だ。婚約を妬む信奉者たちに足止めを受けていたようだが、この子が私の部屋にくるのと同時にかけつけてくれたよ」

 扉の向こうには、兵士に指示を飛ばすライハート卿が立っていた。

「アリーシア、すまなかった。まさかオレとの婚約をねたんだ連中がこんな大それたことを起こすなんて」
「マリナの母親もいましたし、それだけではないと思います」

 ライハートの謝罪をうけ、アリーシアは考えながら返答する。
 カシウス殿下の前では言いづらいが、殿下の弟君である、第二皇子派の者が動いている可能性が高い。

(本当に、ライハート卿は、足止めを受けていただけなの?)

 信じたい気持ちの方が強いが、どうしてもライハート卿への疑念ぎねん払拭ふっしょくできなかった。  
 
「そうだな、なんらか我らの力を削ごうとする勢力がいるのは間違いない。――とはいえアリーシア、今はそなたのデビュタントが優先だ」
「で、ですが、ドレスもぼろぼろになってしまいましたし、もう間に合わないんじゃ……」

「大丈夫だ、そなたは何も心配しなくていい。私にまかせるんだ」
「は、はい……」

 カシウス殿下はそれだけ言うとアリーシアを抱えたまま歩き出す。
 腕の中から見上げるカシウス殿下の顔はいつも以上に凛々しくアリーシアには感じられる。

 胸の鼓動は、先ほど襲われた時よりずっと早くなっていた。
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