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第1章『流浪の元聖女』
第20話「フローラさま、ブチ切れる」
しおりを挟むこの日の朝になって、急に領主の配下を名乗る者が領主邸にやってきた。
そして何の説明もなく、無理やり重傷患者を町の宿屋に移してしまった。
幸いクレールを含めて、容体が悪化する者は居なかった為、一先ず事なきを得るが、先日は快く屋敷を提供してくれた領主の心変わりに、フローラたちは嫌な予感がしていた。
この港町パトラの領主とは、ユーグの伝手で知り合う事ができた。
ユーグの父のタラント男爵と、この町の領主は古い友人だと言う。
そういう経緯があった為、ユーグはイルマが止めるのも聞かずに領主の元へと走った。
「おい! 俺はタラント男爵の息子だ! 領主さまとも面識はあるって言っているだろう!!」
先日の経緯を考えれば、何も言わずに町を出るのは不自然だ。
何事か良からぬ事を考えているのか、もしくは何か口に出せない事情でもあるのか。
とにかく、ユーグはそれを確かめたかった。
勿論ユーグを止めたイルマもそうだろうし、他の者たちも仔細を確認したい気持ちはある。
クレールもそうだが、他にも動かせない怪我人が居るのだ。
そんな時なら尚更、状況は正確に把握しておくべきだ。
「領主さまは所用でご不在だ! さっさと失せろ!!」
警備兵の態度も一晩で様変わりしている。
これほど極端な変わりようでは、やはり何かがあったと考えるのが妥当だろう。
「ユーグさん、一先ず戻りましょう」
「俺のせいですみません。力になれなくて……」
力なく肩を落とすユーグは、本当に済まなさそうな顔をしている。
彼を心配してついてきてくれた、リコ司祭の目を真っ直ぐ見る事さえできないでいる。
「とんでもない。貴方は全力を尽くしていますよ。結果が伴わない努力が無駄だと考えるのは愚かな事です」
優しく微笑みながら、リコ司祭はユーグの手をしっかりと握りしめた。
―――
「ククク。甘く見るなよ、小娘が。甘い顔をしていれば調子に乗りおって……」
何の冗談だろうか。
オルビアの王都に居るはずの男がここに居た。
玉座の上でふんぞり返るあの男がここに居る。
「クラウス王陛下! パトラ領主ヘイゼルが参りました」
「……お召しにより参上致しました。ヘイゼルと申します」
領主ヘイゼルは、フローラたちには内緒で町を出ていた。
「ほう、そなたがエドアルドの息子か。こちらの申し出は受けてくれるのであろう?」
下卑た笑みを浮かべて悦に入っている。
「従う以外の選択肢を与えないでおいて、申し出と仰いますか?」
「クククク。それが策と言うものだ。従うなら約束は守るし褒美も与える。そなたは黙って見過ごしておけば良い」
「聖女さまですぞ……」
ヘイゼルとしては、フローラを裏切るような事はしたくない。
先日は急な頼み事を快く聞いてくれたし、できる限りの手助けもしてくれた。
小さな町でろくに税収があるわけでもないのに、それでもヘイゼルは民を愛し慈しんできた。
そんな男が苦渋の決断をして、止む無くフローラを見限る選択をした。
「そうだ。あの娘は聖女であり、私の妻なのだ。取り返して何が悪いと言うのだ」
「その為だけに、ここまでなさらずとも……」
ヘイゼルはクラウス王の背後の兵士たちを見ながらそう言った。
どこの国と戦争をするつもりなのかと、聞きたくなってくるほどだ。
相も変わらず正気ではない。最早狂っていると言うべきだ。
「フローラは私の物だ。取り返すのに全力を尽くすというだけの事。獅子は兎を狩るのにも決して手加減はせぬものだぞ? そなたも覚えておくといい。この聖王クラウスが王者の戦いと言うものを見せてやろう くはははははは」
これは白昼夢か。非現実的すぎる状況が起こっていた。
パトラからそう遠くない平原には、あの愚王クラウスと、オルビア主力軍8千が静かに獲物を狙っていた。
狙っているのは当然ながら、フローラだ。しかもクラウスは弟の所在も探しているのだから。パトラを攻め落とせば、その両方を得られることになる。
しかし、だからと言って8千は多すぎる。
この戦力を集める為に、王都とその周辺からほとんどの兵力をかき集めている。そんな事をすれば前線との連携に支障を来すし、どこぞの戦線が崩壊すれば王都を守るのさえ難しい。
そういう事情を踏まえて、しばらくの猶予があると、リコ司祭も、ヴァージルも予測を立てていた。
それなのにだ。
この王にはとことん常識が通用しない。
諫める家臣たちの反対を強引に押し切ってここに居る。
オルビアを危険に晒してまで、フローラを追いかけてきたのだ。
幾らクラウス王でも、ここまでするのは想定外すぎた。
この王は8千もの大軍を引き連れ、更にパトラの民の命を盾に取っている。
フローラに協力すれば皆殺しにすると脅し、従わなければ本気でそうするつもりでいる。
「先発隊をパトラへ差し向けよ! 聖女フローラとクレールを捕えて参れ!!」
クラウス王は確実な勝利を前に、極上の気分に浸っていた。
これこそが聖王の戦いで、自分こそが英雄王だと、得意の妄想に耽っていた。
―――
「なりません! フローラさまが自ら出て行かれるなど、賛成できません!!」
「ヴァージルさん。一旦落ち着きましょう。フローラさまもお考え直し下さい」
怒気を露わに反対するのはヴァージルだった。そのヴァージルを宥めながらも、フローラに再考を促しているのはリコ司祭だ。二人はついさっき、フローラが発言した事に反対の意思表示をしている。
フローラはクレールの身を案じて、自分がクラウス王の元へ行くと言い出した。
町の外にクラウス王の差し向けた部隊がやってきている。
彼らは一先ず穏便な手段で、フローラとクレールの身柄を確保しようとしてきた。
その二人に何かあっては、クラウス王からどんな咎めを受けるか分からないからだ。
「他に手段がありますか?」
あるわけがない。
フローラもそれを良く理解した上で言っている。
「……貴女さまだけでもお逃げ下さい」
そう。
可能性は僅かだが、逃げられるかもしれない。
「私だけ逃げて、皆さんはどうなさるのですか?」
「できるだけ時間を稼ぎます。フローラさまの為に……」
「その気持ちは有難いのですが、その為にパトラの住民を犠牲にすると?」
いつになくフローラは強気だった。
こういう言い方をすれば、司祭もヴァージルも反論はできない。
どうしてもクレールを守りたい気持ちが、フローラの口から非情な言葉を吐き出させていた。
フローラにしても言いたくはなかった。
心を鬼にして二人を追い詰めようとしているのだ。
「しかし、どの道、勝算は……」
「一つだけあります。私にできるかは分かりませんが……やってみないと、ここで全てが終わってしまいます」
強く決意を固めた顔つきで、フローラは天を仰いだ。彼女には一つだけ、彼女にしかできないであろう手段が残されている。
「わかりました。それならば我らは貴女さまについて行くだけです」
先頃のように、ヴァージルは片膝をついて畏まった。そのヴァージルに倣って、この場に居合わせた者たちも、皆がフローラに膝をついて覚悟を表した。
それは言い換えるなら、フローラに命を捧げると言う意味だ。
彼らはフローラと共に死地に向かう決意をしたのだ。
―――
クラウス王はようやく目当てのものが、眼前にやってきて満足していた。
パトラに送った部隊が、フローラを連れて戻ってきた事に満足している。
「クレールの姿が見えないようだが?」
「クレールさまはお怪我が重く、こちらへは参れませんでした」
クラウス王の問いにはフローラが答えた。いつもとは違うフローラの声音に、王は少しも気付いた素振りを見せない。
「いいから連れてこい。治療はこちらでやってやろう」
「しかし、いま動かすわけには……」
「黙れ、妻なら夫の言うことに従え。クレールにも仕置きをせねばならぬのだ」
そう言うと厭らしい笑みを浮かべる。
実の弟にどんな仕置きをしようと想像すれば、こんな顔ができるのだろうか。
「貴方はどこまでも見下げ果てた人ですね……」
震える声でそう言いながらも、瞳に憎悪の炎を燃やしている。
クラウス王を真っ直ぐに睨みつけて、怒りに震えている。
こんなフローラは見た事がない。
彼女は今、心の底から目の前の男を憎悪していた。
「貴様……気でも触れたか?」
クラウス王もフローラの様子を怪訝に思っていた。
「気が触れているのは貴方でしょう!! 愚王クラウス!!!」
「……何だと? 今何と言った!」
「何度でも言いますよ。己の欲望の為に町の住民を盾に取り、あまつさえ瀕死の弟を死なせるような事を、平然とやれと言うその無慈悲さ!! 貴方には心底、愛想が尽きました! 愚王の妻になどなるくらいなら死んだほうがマシです!!」
瓶の底に溜まった澱をぶちまけるように、心の中にあった不満や恨みの全てをぶつけている。声だけでなく身体全体を震わせて、怒りを一点に溜め込んでいるような感じを見せている。
「言いたいことはそれだけか。さあ、どうすると言うのだ? クククク」
クラウス王は背後の8千の兵士を"ちらり"と見遣りながら、余裕綽々と言った態度を取っている。
確かに普通に考えれば、クラウス王の勝利は揺るぎない。
だが、それでもフローラの目には、怒りの炎が燃え盛っていた。
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次回、第1章ラストです。夕方に更新すると思います(´ー+`)
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