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第1章「夢破れて、大根マスター」

第8話「大根の村リト」

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 ※2020/05/27 書き直し

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 マツバラから馬車に揺られてほぼ1日、アデラールは見慣れた景色に懐かしい気持ちが込み上げる。
 カイユテと王都を繋ぐ2つ目の中継地点『リト』の村が見えてきた。 
 森の間の広めの平地に、広大な大根畑に隣接した人口100人程度の小さな村だ。村の主要産業は林業そして、この地方の特産品である、大根だ。

 ありふれた田舎いなかの小さな村。
 その言葉だけでこの村のすべてを語ることが出来る。十にも満たない露天商が集まる小さな市場に、この村には不釣り合いな規模の教会がある。
 それから村の南東の高台にそびえる屋敷が領主の住む館として使われている。


 この村を治めるのはマーテル王国に功績のある騎士の1人だったファイルである。 
 彼は平民の出ではあったが、レム・リアス公国との戦乱で戦功を挙げ、6年前に領主としてリトへやってきた。
 良くも悪くも典型的な人物で村人からは良く思われてはいない。


 馬車は村の入り口で停止し、御者が衛兵と何か話し込んでいる。
 アデラールが幌の隙間から覗くと見知った顔がそこかしこにあった。

  ――やっと着いたな。すいぶん久しぶりに感じる…


 アデラールが懐かしさに浸っているところへ、馬車の後方から数人が駆けてくる足音がする。足音に少し遅れて男性の声音の大きな声が聞こえた。

「大変だ! 仲間が獣に襲われて大けがを負っている!! 助けてくれ!」

 声のする方向を確かめる。
 知らない顔の大人の男が二人、もう一人を両脇から抱えるように村のほうへ向かっている。
 格好からして兵士のようだ。
 サーコートにはこの村の紋章が入っている。領主の雇った兵士だと思われる。

「参ったな。今日は教会も人手が不足している。」
「そんなこと言われても! 神父さまはどちらにいらっしゃる!?」
 
 リトの村の状況が4年前から変わっていないのなら、村で治癒の魔法が使えるのは神父と看護師が2人。
 だが、この兵士のような大けがとなると神父の魔法でも治せるか微妙なところだ。
 以前は森の一軒家に薬師の老婆が住んでおり、彼女は高度な治癒の魔法を使えたが、ずいぶん前に亡くなっている。
 子供の頃、妹の手を引いて森の老婆をよく訪ねていたことを、アデラールは昨日のことのように思い出していた。

「神父さまは、領主さまに呼ばれてお屋敷にいらっしゃる」
「お屋敷では遠すぎる! 他に治癒師は…?」
「無茶を言うな、こんな片田舎の小さな村に神父さまがいるだけでも上等だろう?」

 衛兵の男が言うように教会ならどの村や町にもあるが、リトのような小さな村に神父が派遣されているのは珍しい。

「ベルナルド。」

 様子を見ていたルミエラが、ベルナルドの名を呼んだ。

畏まりましたかしこまりました、お嬢様。」

 ルミエラがベルナルドを伴って兵士のもとへ急ぐ。
 様子が気になったのか、アデラールも彼らのあとを追ってついていく。

「そちらの兵士の方。わたくしの従者が治癒魔法の心得があります。お手伝いできることはありませんか?」
「おお! どなたか存じませんがありがとうございます!!」

  ――ベルナルドさんは剣士に見えるけど、治癒の魔法も使えるのか…すごいな…

 運ばれてきた兵士の傷は酷いありさまだった。
 この傷を負わせたのは獣だと言っていたが、それが本当なら大型の熊か、サーベルタイガーにでも出くわしたのか。これがもし魔物に襲われた傷だと言われればしっくりくる。
 この兵士の傷は”そういう”傷に見えた。

 横たわった兵士の身体の下から血が染みでてくる。
 手入れがされず、ひび割れたままの石畳が兵士の血を吸って真っ赤に染まり始めた。

「どうですか?」

 兵士の様子にルミエラは目を背けたい気持ちを抑えている

「これは……お嬢さま。この者の傷は内臓にまで達しており、表面に近いところまでは治癒できますが、内部の傷までは恐らく無理でしょう」
「あなたの力でも無理でしたか…」

 見る間に血色を失って青白い顔になっていく。
 ぼんやりとした虚ろな目が彷徨うようになにかを追っている。
 この兵士にはあまり時間が残されていない様子に見える。

  ――これでは俺にできることは何もないな…だが…

 せめて何か自分に出来ることを。
 そう思ってアデラールは、兵士に駆け寄り手近な布をつかんで傷の止血を試みた。

 ルミエラさまは険しい表情で何かを考え込んでいる。
 俺の認識では貴族などという者たちは、兵士の一人や二人どうなろうと気にも留めない連中だ。
 だが、このお嬢さまは兵士を本当にどうにかしたいと考えているようだ。

「お嬢様、とりあえず魔法は使っておきましょう。やるだけやってみます。」
「そうですね。そうしましょう。」
「アデラールさん、この辺りを強く抑えていてくれませんか?」

 白髪の従者ベルナルドの指示に従い傷口を強めの力で押さえつける。
 ベルナルドは短く息を吸ったあと、おもむろに魔法の詠唱をはじめた。

『天上に在すいます慈悲深きお方に乞う』

 白髪の従者ベルナルドの手の辺りに小さく光が集まってゆく。

悠遠ゆうえんの光り輝く地より祝福をもたらし…』

 集まった光が傷口全体を覆うと強く輝き始める。

『その御業を以てこの者を救い給え! 光輝の癒し手ファラ・ルミエール!!』

 魔法が完成すると、傷口はきれいにふさがっていた。


 俺はこの不思議な光景に目を奪われつつも、労いの言葉をかけようとベルナルドのほうを見る、白髪の従者の額から大粒の汗が流れ落ち、肩で”ぜいぜい”と荒い呼吸をしていた。
 高度な魔法の使用には強い反動がともなう、そのため彼は精根尽き果て疲労困憊しているように見えた。

 だが、そんなベルナルドの努力も甲斐がなかったのか、兵士の顔色はどんどん悪くなっていく。
 恐らくはベルナルドのさきほどの言葉通り、内側の傷を治すことは出来ず内出血しているのかもしれない。
 次第に呼吸は浅く弱くなっていく、もうこの兵士を救う手段はないのだろうか。

 ベルナルドは疲れた身体にムチを打ち、他の負傷兵の治療をはじめる。ルミエラさまがドレスの裾を引きちぎって彼の治療の助けに入る。
 残念だがこの兵士にはもうなにもしてやれないということなのだろう。

  ――魔法の名は、光輝の癒し手ファラ・ルミエールと言ったな

 ルミエールとは、古い言葉で”光”を意味する。ルミエラさまの名と同じだな。
 俺はいまにも命の炎を燃やし尽くそうとしている目の前の男に手を添えて”すまない”と一言、短く伝えた。

至光の癒し手ファラ・ルミエールか…俺に魔法が使えたら良かったのにな…」

 俺がそんなことを呟いていると、傷を負った兵士の身体が強く輝く光に包まれはじめ眩しさに思わず目を閉じる。


「アデラールさま?」

 ルミエラが輝く光に気づいてアデラールに声をかける。
 その場に居合わせた者たちが、この異変に驚きの表情を浮かべ立ち尽くしていた。

 やがて光が収まると、傷を負った兵士が目を覚ました。

「目を……覚ましたぞ!」
「お嬢さま!! この兵士が意識を取り戻しました!」

 辺りから”わああ”と歓声が上がる。
 遠目でことのなりゆきを見守っていた村人たちも、自分のことのように手を叩いて喜んでいる。

「は…? 俺は……どうしたんだ…傷は…? 魔物に…」

 目を覚ましたばかりの兵士は、きれいに大怪我が完治していることに動揺しているようだ。

「そちらのお嬢さまにお仕えする、従者の方が救ってくださったんだ!」

 村人や兵士たちがルミエラに駆け寄り、労いと感謝の言葉をかけている。

「ベルナルド?」

 ルミエラは困惑した様子でベルナルドの名を呼ぶ。


「い、いえ…私にも何が起こったのか……」

 仲間の命を救ってくれたベルナルドに何度も頭を下げる兵士たち。
 ベルナルドも戸惑った様子で、さきほどまで瀕死の状態だった兵士のもとまでやってくると、腑に落ちないといった顔つきで容体を確認する。

「お嬢さま、どうやら傷はすっかり治っているようです。もう大丈夫でしょう。」

 ベルナルドの後を追い、そばまで寄ってきたルミエラに容体を説明する。

「あなたの魔法ですか? ベルナルド。」
「いいえお嬢さま、私の魔法では治しきれなかったはずです。アデラールさん、まさか治癒の魔法を? さきほどの強い光は魔法の輝きによく似ていました。」

 ベルナルドがアデラールに、信じられないものでも見るかのような表情で尋ねた。

「まさか! お嬢さまにも申し上げたでしょう? 俺は魔法を使えませんよ。」
「しかし、私の魔法では治癒しきれなかったのに……」
「遅れて効果が出てきたのではないでしょうか?」

 アデラールはそう言うと、ベルナルドの手を取り微笑んだ。
 治癒の魔法は特別な場合を除いて速効性だ。
 特にベルナルドが行使した魔法は、術者の力量によっては瀕死の者をも救える緊急性の高い魔法となる。それゆえに速効性でなくては意味がない。

「ベルナルドさん、あなたのおかげで村の者が救われました。ありがとうございます」
「私も腑に落ちませんが…とにかく、この兵士の方は救われましたが出血はひどかったのです。教会に運んで休ませましょう。ベルナルドあなたもですよ。」

 ルミエラは疲労の色を顔いっぱいに滲ませるベルナルドに、窘めるようにそう言った。

「ルミエラさま、俺は実家の様子を見てこようと思います。」
「そうですね。ここはもう大丈夫ですしこの場で解散するとしましょうか」
「わかりました。何かあれば連絡をください。失礼いたします」

 ルミエラに小さくお辞儀をして、アデラールは自分の家を向かって歩き始めた。

 村のやや西の外れにある青い屋根、くたびれて補修もされなていない木の柵がぐるりとこの家を囲む。
 柵の向こうで小さな菜園の手入れをする少女がいた。最後に会った時はまだ12歳だった。
 その後ろ姿はもう大人の女性のようで、漆黒の髪にかわいらしい髪留めをしている。

 アデラールの妹、エヴェリーナだった。

 彼女ももう16歳、ときの流れは早いものだと彼女の後ろ姿を見てアデラールはそう思った。

「エヴェリーナ!」





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2020/05/27 加筆修正

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