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鬼石堂安「千夜一夜物語ごっこ・後」

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 長崎県内の某ホテルに滞在して、二か月が経とうとしている。歴代の鬼石堂安が稼ぎ、遺してきた資金は潤沢なため、弟子の百花台雲仙とふたりで宿泊を続けてもなんら問題はない。

 問題なのは、堂安の身体だ。

 ベッドに横たわり、大きな窓の外を眺める。長崎市内と海、緑豊かな山々の光景は今日も代わり映えしない。だが窓の外を見る以外にできることもなく、鬼石堂安は静かに身体を横たえていた。

 最初の数日は動かない足に焦り、苛立ちもしたが、今となっては気持ちも落ちついている。優秀な霊能者であるからこそ、足が動かない原因に思い至り、現状ではどうしようもないのだと、諦観していた。

 腕が動かず、痺れるように痛み続けるのは、神々廻慈郎の式神に噛まれたからだ。噛み痕から呪いが広がり、肉を爛れさせ神経を犯している。解呪を試みたが、呪いの進行を抑え、それ以上広がらないようにするので精一杯だった。

 右腕はもう動かない。痺れるような慢性的な痛みから解放されるためには、切り落とすしかないだろう。動かない腕に未練はないが、切断したところで、今度はべつの痛みに侵されることは予想できる。そのまま放置しておくことに決めたのは、割りかし早い段階だった。

 鍵の開く音が聞こえる。

「鬼石さん、メシ買ってきたよ」

 にこやかな顔で青年――百花台雲仙が部屋に入ってきた。

「遅い。メシ買いに行くだけで何時間かかってるんだ?」
「うわっ! 介護してやってる弟子にそんな言い方する? だいたい寝てるだけのくせに、そんな腹減らないっしょ?」
「やかましい。さっさと寄越せ」

 優秀な異能者ではあるが、いささかデリカシーに欠けている青年だ。彼の態度に慣れているため、傷付きもしなければ怒りも湧かない。ただ情緒面の発達を促してこなかった過去の自分を戒め、月島八雲を連れて来れなかったことを惜しく思う。彼がいれば、他人の気持ちをまったく慮ることのできない雲仙を支えてくれただろう。

 異能者はともかく、霊能者は完全に客商売だ。怪異や霊、異能に悩むあちら側の人間を相手にし、問題を解決――時には上手く騙すことで金銭を得なければならない。雲仙という青年、相談に来た客に対して『あ、もう手遅れっすね! あんた明後日の朝日は拝めませんわ!』と言って笑いかねない性格である。

 雲仙が差し出してきた紙袋の中には、長崎の名物料理が入っていた。それを見て、堂安のひたいに青筋が浮かぶ。

「百花台! お前は馬鹿か!」
「酷くない!? なんで怒ってんの?」
「片手しか使えない俺に『佐世保バーガー』を買ってくるやつがあるか! バラバラにして食えってか!?」
「片手で持って食べればいいじゃん」
「こぼれるだろ!」
「じゃあこうして食べればいいじゃん!」

 そう言うと、百花台雲仙は佐世保バーガーを両手でギュッと押し潰した。ペチャンコとまではいかないが、具材が潰れて薄くなったバーガーは食欲をそそる見た目ではない。これは食べ物への冒涜だと思うが、目の前の元佐世保バーガー以外に食べる物はなかった。堂安は片手で持ってソレを口に運んだ。

 ベッドから少し離れた場所――窓際には、丸いテーブルとひとり掛けのソファがふたつ置かれている。雲仙はテーブルに佐世保バーガーとコーラが入った紙コップ、ポテトやオニオンリングを出して並べると、おもむろに食べ始めた。

 雲仙は口元をソースで汚しながら頬張り、口いっぱいにして咀嚼する。もうひとりの弟子――月島八雲であれば、大きい身体に見合わない、丁寧で綺麗な食べ方をしていたことだろう。

「惜しいことをした……」

 思わずこぼしてしまうと、ストローを咥えた雲仙がこちらを見た。

「何が?」
「月島八雲を逃したことだ。ちゃんと手をかけて育ててやれば、あれは異能者として大成しただろうに……本当に惜しい」
「あのさー、それはこっちのセリフだって!」

 コーラを置いた雲仙が眉を寄せる。

「俺がどれだけ月島八雲と兄弟弟子になりたかったか、鬼石さんには分かんないよ」
「ああ?」
「百花台雲仙と月島八雲。これだけピッタリの名前はないって。いい組み合わせの名前同士は上手くいく。そうでしょ?」
「『雲』同士か」
「それに、百『花』台と『月』島だよ。あともうひとり、苗字に『雪』の字が入ってて、名前に『雲』を持つ人がいれば、完璧だったのに! ああー、マジで惜しいことした!」

 雲の名を持つ、雪月花の三人組を作りたかったのだろう。百花台雲仙がその点に執着する気持ちも分からないではない。

 名前には力が宿る。何代にも渡り生き残り、畏敬の念を抱かれてきた家の名前は、それだけで価値があるものだ。例えば『渡辺』『坂田』という苗字。平安時代に武人であった渡辺綱や坂田金時が鬼退治を成して以来、鬼たちはその家名を恐れて近付かない。

 日本において美しい響きの言葉、雪月花。濃い繋がりの名前の連なりは、強い力を生み出すとされる。家名の繋がりだけでなく、名前までも繋がっていれば、さぞかし相性は抜群、連携による力も倍々で増えていくだろう。

 雲仙がポテトを口に詰め、塩がついた指を舐める。

「俺さ、本気だったんだよ。鬼石さんを支えて、兄弟弟子同士で協力して、いずれ十四代目を継ぐ。それで鬼石さんの子供の面倒見たりして……あーあ、俺の将来設計台なし! どうしてくれんの?」
「消えたいなら消えていいぞ」
「鬼石さんを置いて? 馬鹿言うなよ。なんの伝手もない、あっちの世界の一般家庭出身の俺に教えを授けてくれる奇特な人間がどこにいるわけ? どこの家もどこの流派も秘匿の術ばっかなのに、外部の俺に開示するわけないじゃん」

 拗ねた口振りで言いながら、オニオンリングを食べる雲仙。香ばしい油の匂いが部屋中に広がっている。鬼石堂安は潰れたバーガーを口に運んだが、レタスが噛み切れず口元が汚れた。舌打ちをして一度バーガーから手を離し、ティッシュで拭く。

「まあ、今後のことは心配しないでよ。俺が鬼石さんの介護もしてやるし、立派な十三代目鬼石堂安にしてやるから」
「ああ? なんだそれ」
「だって鬼石堂安は血を継ぐ子供と、名を継ぐ後継者がいないとダメなんだろ? その両方を用意できなかった『鬼石堂安』はいない。逆に用意できなきゃ『鬼石堂安』じゃない。違う?」

 堂安は口を閉ざす。

 弟子の言う通りだ。このままでは『鬼石堂安』として死ぬことができない。これまで長い間、脈々と受け継がれてきた『鬼石堂安』の名前が、自分の代で消える。そう思うとガラにもなく肝が冷えた。

 黙り込んだ堂安の元へ、コーラが入った紙コップを持った雲仙が近付いてくる。そしてベッドの傍らに立ち、二ッと笑った。

「俺に任せといてよ。鬼石さんの子供を産む『胎』は俺が連れてきてやる。まあ、厳選はできないけど、そこそこ優秀そうなの連れてくるから、贅沢は言わないでよね」
「俺の上で女に腰でも振らせる気か?」
「動かないのは右腕と足っしょ? 勃つモン勃つなら問題なくない? 子育てなんかしたことないけど、大事なのは血を残すことで、育てることじゃないし。いざとなったら、教会かどっかに置いてくればいいじゃん」

 雲仙がケラケラ笑う。

「お前みたいにか?」
「そうそう。親がなくとも子は育つ、ってね。でも後継者は師匠がいないと育たないわけだから……ま、よろしく。十四代目鬼石堂安には俺がなるから安心して」
「まだまだ、先の話になりそうだな。お前に全部教え終わるのは……何せ百花台、お前は物覚えが悪い」
「一日一個とか教えてくれればいいよ。そのくらいなら覚えられるし」

 一日一個の術を、知識を、経験を、百花台雲仙に――デリカシーと倫理観を顔も知らぬ母の胎に忘れてきた青年に、教えるのか。なんとも途方もない道に思えてくる。そして、その道の先で、役目を終えた自分がどうなるのか。

(殺すだろうな、コイツは)

 子を成し、後継者を用意し、『鬼石堂安』として死ぬことが叶う状況になれば、百花台雲仙は堂安を殺すだろう。なんの見返りもなしに介護をし、人の世話を焼く人間性でないことは分かっている。雲仙が『ありがとね』なんて言って、ケラケラ笑いながら自分を殺す未来が見えた。

 だが、それでいい。

 無様に生き長らえるくらいなら、役目を終えて潔く――鬼石堂安はフンと鼻を鳴らして、雲仙の持つ紙コップを奪う。ストローに噛みついてコーラを飲み干した。

「それ俺のコーラなのに!」
「百花台、今日の分のありがたい知識を授けてやる」
「メシのタイミングで?」
「いいから聞け」

 首を傾げる青年に、鬼石堂安は足を指差す。動かなくなった二本の足。見た目にはなんの変化もないのに、自力で動かすことも叶わず、外部からの刺激にも一切反応しない。まさしく肉の塊と成り果てたモノだ。

「コレは呪いじゃない」
「呪いっしょ?」
「違う。コレは――神罰だ」

 神の愛する子供に手を出し、命を危険に晒した、罰。

 ただの人間が神子に手を伸ばしてはいけなかった。今さらになってそんなことを考える――のと同時に、思い出すのは神子を産んだ女――月島彩乃の顔だ。呪いに侵されているの思っていたが、彼女が眠りについていたのもまた神罰だろう。

 頭の悪い弟子のために順序立てて話してやろうと、鬼石堂安は静かな口調で語り出すのだった――。




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