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20XX/XX/XX(X)
夏目弥生「その愛の行き着く先は・後」
しおりを挟む少年の姉、月島一風――。
父親こそ亡くしているが家族に愛され、島を出て自由に暮らし、まったく哀れではないのに、夫の心の中に居座っている。大寿のもっとも美しい愛は、初恋なんてものに縛られたままだった。他の女に捧げられた、唯一の愛。奪うには、殺すしかなかったのに――鬼石堂安に渡そうとしてしまった。
月島一風も『胎』として使われればいいと思った。好きでもない男に抱かれ、望まない妊娠をし、危険が伴う出産でも子供を産むために強行される――ひと思いに死ぬのではなく、そんな人生を送ればいい。一度でも自由を知ってしまった女は、さぞや苦しむことだろうと、思ってしまった。
その結果が、これだ――。
弥生は夏目大寿の前で縛られ、座敷牢に放り込まれた。彼女がしてきたことを知った愛する夫は、激怒している。侮蔑と嫌悪、怒りのこもった眼差しで、弥生を見下ろした。
「どうして、こんなところに閉じ込めるの? どうして、そんな目で見るの? わたくしを尊重してくれると、守ってくれると、約束してくれたでしょう?」
「それは環音螺島を受け入れてくれるならば、という条件の下での約束です。島民を受け入れず、殺めた者に約束だなんだと語る資格はありません」
「わたくしは立派に『夏目家の嫁』として務めを果たしています! ああ、跡継ぎができないからですか? だからそんなことをおっしゃるの!? 『胎』としての務めを果たしていないから、約束を反故になさるのね!?」
「誰もそんなことは言っていない!」
「でしたら何故!? 何故わたくしだけを見てくださらないの!? あなたがわたくしだけを見てくれないから、排除するしかなかったのよ! あなたのせい! どうしてわたくしの愛を分かってくれませんの!?」
興奮して立ち上がろうとしたが、縛られて自由を奪われた身体ではバランスが取れない。彼女は座敷牢の床に顔面を打ちつけ、芋虫のように転がる。それでも血走った目で、愛する夫を見上げた。
「夏目の家は、神と島民を繋ぐ存在です。時に島民を愛し、守り、支え、導かなければいけない。家族であっても、ただひとりを見ることなどできません」
「あの女のことはっ、月島一風のことは見ていたでしょう!?」
その女の名前を出した瞬間、大寿の目に怒りとは違う火が灯るのが分かった。それなのに弥生へ向ける視線は、初めて会った時に清廉だと感じた彼の纏う空気は、輝かんばかりの力は――
「彼女は私の聖域です。たったひとつの特別があるからこそ、その他の全てを平等に愛し、守り、支え、導くことができる――」
「っ……大寿、さん……」
「夏目の当主として、島民に手を出した貴方を私は許せません。そして――夏目大寿個人として、聖域に手を出した貴方を許すつもりはない」
「わ、わたくし、を……あなたの聖域に、してくれさえすれば――」
「もうよかろ?」
大寿の後ろから、ひとりの老人が現れる。
島長の興梠鳥座だ。
表面上は弥生を『夏目の嫁』として敬意を払っていても、内心では彼女を島の人間だと認めていない。それが分かるからこそ、弥生は興梠が嫌いだ。そんな相手が、目の前にいる。
「島んこつば話せんようにして、送り返す。向こうには、わしがしっかり話ば通してきてやるけん、大寿さんは気にせんでよか」
「鳥座さん……」
「水海んところから千天ば呼んどるけん、封じは任せときなっせ」
「……申しわけありません。私が選択を誤ったばかりに……」
「良か良か。夏目だけが背負わんで良かごて、四家がある。興梠も島長としておる。大事なこつは仲間の輪と和ばい。島ていうとは、そういうとこた」
興梠鳥座は弥生を見もしなかった。一瞥もせず、呼んできた四家の一角――水海家の当主である千天に、弥生への封じをかけさせる。
頭の中を掻き混ぜられるような感覚に、彼女は泣き喚いた。配慮は一切ない。環音螺島の内情を言葉や文字で外へ漏らせないように、何重にも複雑なまじないをかけられる。記憶の糸を切り、別の糸同士を繋げ、時には複数の糸を絡ませられ――封じられた。
別れの言葉はなかった。
生理がはじまった翌日、弥生は生まれ育った青森の島――実家へと送り返され、興梠鳥座は容赦なく賠償をもぎ取っていった。金はもちろん、島に古くから伝わる秘術の情報、宝物など、藍沢の一門から多くのものを搾り取り――その後、弥生がどんな扱いを受けることになるかなど、興梠鳥座は考慮していなかった。
(ううん、分かっていて、そうしたのよ)
愛する島の子供を殺した。
その復讐だ。
出戻りで、夏目の子も成しておらず、大事な財産を放出することになった原因の弥生の扱いは……嫁ぐ以前より悪くなっていた。日がな一日、なんの娯楽もない部屋の中で過ごし、申しわけ程度に出される食事を食べる。
日付の感覚もなくなる毎日を過ごしていた。
けれど不思議と、自分の運命を呪うことはない。彼女の中で夏目大寿への気持ちが薄れることも、恨むことも、揺らぐこともない。
(きっと、これが愛するということ――)
不憫な人生の中で、愛を忘れることなく、抱き続ける哀れな自分に、藍沢弥生は酔っていた。今の姿を夏目大寿が見たら受け入れて、また大事にしてくれるはず。そんな妄想を繰り返して、幸せそうに笑っていた――
――そんなある日、父が死んだ。
娘の不祥事を機に、それまで傲慢な父に煮え湯を飲まされていた分家筋の男が、反旗を翻したのだ。跡継ぎとして育てられていた弟も殺された。嫁いでいった姉たちや妹も、実家という後ろ盾をなくして、どうなることか。嫁ぎ先と上手くいっていれば何も変わらないだろうし、関係が悪ければ扱いが良くない方向へ変わるだろう。
「わたくしには、関係ないけれど」
まだ夏目大寿と再会していないのに、殺されるわけにはいかない。弥生は藍沢家から――島から逃げた。その途中で蛇が死んだ。環音螺島で医者を襲った時にも死んだため、複数いた蛇は、残り一匹にまで減った。
海を渡り、彼の居る島――南へ向かおうとした時、その人物が現れた。
喪服の女性だ。夕焼けに染まる港で、幽鬼のようにふらふらと、しかし真っ直ぐ近付いてくる。どこかで見たような気もするが、記憶は定かではない。顔立ちは整っているが、表情には疲労と悲壮感――それでいて、微かな高揚感が浮かんでいた。
「ああ……ああ……ようやく、見つけたわ……」
女が、笑う。
「あなた――」
女の足元で、影が揺れた。
「ええ、そうよ……ええ、ええ、みーちゃんを殺した女……ママが、一緒に……恨みを晴らしてあげるわね……」
あ――と思った時にはもう、遅い。
影が弥生を飲み込んだ。視界が……五感が奪われる。体温が急激に下がり、死へ近付いていく感覚。その中で――少女の笑い声が聞こえた。
環音螺島に居た時、聞いたことがある。
木守家の異能は影。直系の血の濃い者は命を落としたのち、一族を更に繁栄させるために強力な力を持った影となる。魂が輪廻の環へ逝くことを拒絶し、愛する血族の力となるのだ、と――。
木守翠子は愛する血族――木守の血の傍へ残るのではなく、母の傍へ逝くことを選んだのか。理論的には不可能ではない。半分は母の血だ。木守の人間ではない女が影を操っているのではなく、影となった娘が思うままに動いているのだろう。母に、見守られながら――
(大寿さん、大寿さん)
死を意識した瞬間も、なお――藍沢弥生の頭に浮かぶのは――。
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